シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都】大石神社の少し大きな石

週末、午前中までザザ振りだった雨。

曇天ながらもありがたいことにお参りする頃にはやんで、さてお参りです。

向った先は京都は山科区にある山科神社。

先週、岩屋神社で岩屋三社なる存在を知り気になっていました。

 

中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社(岩屋神社)であり、西が山科神社、上は不明である。 

【出典元:【公式サイト】山科一之宮 岩屋神社 | 由緒

 

ところがどっこい着いた先は、

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山科神社の側にある大石神社。
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大石神社の大石は大石内蔵助の大石。

あの忠臣蔵とご縁のある神社です。

これも何かのご縁です。お参りすることに。

 

参道を真っすぐに進むと、大きな石が橋のたもとに。
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注連縄がかかっており、短絡的な私は大石内蔵助=大石?

その少し大きな石の後ろの木も気になります。

 

更に、橋を渡ってすぐ正面に池があり立派な鯉が泳いでいましたが私が気になったのは池のほとりにあるこちらの木。

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空に広がる枝ぶりと

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こちらの生命力あふれる幹。
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この一帯に祠はありませんでしたが、少し気になる石碑がありました。
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何か文字が刻まれていたような痕跡がありますが、全く分かりません。

そそり立つような、面白い形の石碑でした。

 

さて、先を進みます。

池の左手にも石碑がありました。
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こちらもどういった類の石碑なのかは全く分からずですが、池の付近に形が異なる大きい石が3つ、置き方も場所もバラバラに安置されていました。

説明書きも何もありませんでしたが、木、水、石が集合した気になる場所でした。

 

拝殿手前の筋肉隆々タイプの狛犬さん。
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強そうです。

 

人気は我が家以外全くなく、立派な拝殿ですが少し寂しい感じがしました。

 

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【由緒書き】

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創建は昭和10年とありますので、まだ比較的新しいお社のようです。

 

拝殿前の枝垂れ桜。

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春先にはさぞやきれいな桜が見れるのではないかと思います。

 

本来の正面はこちら。

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右手に先程の枝垂れ桜。

そして、拝殿後ろに控えるお山が威風堂々としています。

 

拝殿の左手にお社がありました。
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HPで確認すると、義人社とありました。

義人社の詳細については、下記HPより抜粋です。

赤穂義士討入りに際し、必要な武器を調達した。 大阪の本町橋に店をかまえ北組惣年寄の大阪の豪商であり、「商売の神様」 と言われ、現在も (商売繁盛) の信仰があつい。「天野屋利兵衛は、男でござる。」 の名ゼリフは有名である。

【出典元:京都市山科大石神社|大石内蔵助良雄公山科隠棲の地 由緒書き

 

お祀りされているお社より、私は右斜めの木が気になりました。


さて、こちらの大石神社、境内に入った時から感じていたのですが、参道の砂利道からは想像できないくらいに水の気がとても多い神社です。

後で社務所の方にお伺いしたのですが、水の出処は拝殿後ろのお山。

後方のお山から流れてくる水が境内をぐるりと回るように流れており、となると気になるのが生き物。

 

ここで生き物班の子供達の出番です。

早速、水路でサワガニを見つけました。
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見つけた途端正面から捕まえた息子は、早速サワガニさんのハサミ攻撃で大騒ぎでした(笑)

 

そんなサワガニさんの生息場所は、提灯の下を流れる水路。
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とても綺麗なお水が、境内を流れています。

朝まで降っていた雨も手伝っていつもより水量が多く、そんな日はサワガニさんも沢山いるようで、実際子供達はあと数匹見つけていました。

 

こちらは境内にある宝物館で見つけた一枚。
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キムタクさまが忠臣蔵の撮影で来られていたようです❤

特にファンというわけではありませんが(笑)

 

さて、宝物館を出てやっと見つけた手水舎。
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まさかの手水舎が一番最後になってしまいました(^^;

こちらの手水舎の中にもたまにサワガニがいるとのこと。

 

さてこちらは手水舎前の狛犬さん。

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拝殿前の筋肉隆々タイプとは正反対。

ずんぐりむっくりで愛嬌たっぷり❤
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こちらの狛犬さんの後方。

いつもであれば花子ちゃんというお馬さんがいるようで、『今日は雨上がりだったから連れてこなかったのよー』と、社務所御朱印を書いていただいている際に伺いました。
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産まれて20年を超えるお馬の花子ちゃん。

人間の年齢にすると60~70歳くらいになるそうで、そんなおばあちゃんの花子ちゃんといつも自宅から、犬の散歩のように紐をつけて神社まで一緒に歩いてくるとのこと。
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その際、美味しい草を見つけたら一目散に走って行ってしまい、そうなるともうコントロール不能で大変なのだそうです(笑)

大変だと言いながらも、笑い話にされていたので思わず一緒に笑ってしまいました。

次回は花子ちゃんに会いに。

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さて御朱印もいただいて、社務所右手の細い道が気になり散策です。
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つづきます。

【京都】岩屋不動尊から繋がった先には

さて、岩屋神社の奥の院を下ってきました。

このまま来た道を帰ろうとすると、息子が面白いところがあるとのこと。

どうやら息子と主人は、私と娘とは違ったルートで奥の院に来ていたようで、息子先導の元、面白い場所に連れて行ってもらいました。

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向った先は【龍の滝】と看板のある川。
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こちらが『龍の滝』になるようです。
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そして、次に教えてくれた場所。
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ハートの真ん中にフクロウ❤
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がメインではかなったようで(笑)、笠原寺 四国八十八ヶ所お砂ふみ霊場でした。

 

更に下っていくと、
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立派な板根のそばに稲荷社。
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その先にはまたしても小さな祠。
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祠の中には左手に不動尊、右手に役行者の石像がお祀りされていました。

それにしても祠の後ろの木のエネルギーたるや!な感じの佇まい。

 

奥の院に向かう道中、『岩屋不動尊』の文字が目に入り気になっていたのですが、どうやらこちらの祠が岩屋不動尊のようです。

予期せぬ嬉しいお参りとなりました。

 

さて、ここからは岩屋神社の境内へ。
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八幡神社前の木は行きも撮っていましたが、帰りも気になったようで撮っていたようです。

やはり惚れ惚れとする佇まい。

 

お参りが済んで、社務所御朱印をいただくことに。

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子供達の気になる視線の先は、


こちらのカマキリ。
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緑が多い方が嬉しいだろうと、社務所から植栽へ引っ越し作業。

待つ時間も楽しい、良い遊び相手が見つかりました(^^)

 

私は、社務所の待合室でボーっと。
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やはり、こちらのご神木は圧倒される大きさ。

 

そんな立派なご神木のある岩屋神社の社務所に掛かっていたこちらのお手製の地図。
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無駄を極限まで削ぎ落としたのではなかろう地図。

意外とGoogleマップよりも分かりやすいような気がします(笑)

 

さて、鳥居を抜けてそのまま真っすぐ。

どうしてもそばで見たかった石階段側の水流。
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凄まじい水の勢いと水量。

 

水と木、そして陰陽岩の磐座。

更には岩屋不動明王役行者、笠原寺のご本尊・厄除弘法大師空海)。

神社だけへのお参りのつもりが、何だか早々たるメンバーへのお参りに。

 

ふと気になって、岩屋神社のHPを見たところ面白い記述がありました。

 

また、中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社(岩屋神社)であり、西が山科神社、上は不明である。 

【出典元:【公式サイト】山科一之宮 岩屋神社 | 由緒

 

岩屋神社は岩屋三社と呼ばれていたとのこと。

そのうち、上社は不明で西社は山科神社が該当するとのこと。

山科神社の場所を確認してみると、先月葡萄を買った勧修寺近く。

これは行ってみなければ。

 

となると、気になるのが地形。

Googleマップを見たところ、岩屋神社裏手に音羽山

そして八大龍王の社の文字。

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不動明王、八大龍王、磐座とくれば、何もないとは言わせない(笑)

 

更に、岩屋神社と八大龍王を線で結んだ上部に『白石神社』の文字。

またしても『』。

どちらかというと、白石神社と八大龍王を底辺にして、岩屋神社が二等辺三角形の頭頂になるような形にも見えます。

 

またしても、気になる場所を発見してしまいました。

これで娘をダシに、まだまだ滋賀&京都通いが出来そうです(笑)

 

こうやって、気になる箇所を地図で見ることが昔から割と好きで、『ナビより私の方が精度が高い!』と我が家の車にはナビをつけていません。(半分冗談、半分本気(笑))

よく誤作動を起こす人力ナビですが、地図を見ていると色々な発見があり、ワクワクします(^^)

 

地図同様、現地に行くと地名も気になります。

今回気になった箇所は、岩屋神社のある付近の地名・大宅古海道町。

こんな山間部にもかかわらず『』という漢字が使われていることがとても気になります。
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岩屋神社内に住吉社があったことが関係するのでしょうか。

住所の漢字一文字とっても、様々な想像が頭を駆け巡ります。

 

さて、今週末はどんな出会いがあるのでしょうか(^^)

楽しみです☆

【京都】岩屋神社で陰陽石

近江神宮で娘をピックアップしてからの帰り道。

京都は山科で、いつも目にしていた鳥居を今回は素通りではなくお参り。

 

【岩屋神社】

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巨石好きの息子。

岩と聞いて大騒ぎ。

夢の一つは、黒曜石を探すこと。

巨石とちゃうやんか(笑)

 

さて、『チャームポイントは八重歯です』

と言っても過言でないような狛犬さん。
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穏やかなお顔です。
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岩屋神社付近の略図がありました。
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奥の院には陰石と陽石がお祀りされているようで、地図を見ながらすでに興奮。

 

境内入ってすぐ、正面に拝殿。

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奥の院に早く行きたい気持ちを抑えつつ、本殿で手を合わせようとしたところ、御神事が今まさに始まるところでした。

 

以前、京都は大将軍神社(【京都】大将軍八神社と、幸せの100円パン - シロンプトンでパンとお参りと)で、御神事中のお参りの作法として教えて頂いた

 

 ・柏手は音を出さない。

 ・鈴をは鳴らさない。

 

を厳守してお参りしました。
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手水舎側にある、貫禄たっぷりのご神木。
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ご神木の後ろにこども園があり、妙に納得。

 

近所にある春日神社。

 

 ・バス通り沿いに面した決して広いとは言えない境内

 ・周りは中層階のマンションと駐車場

 ・もちろん緑は皆無

 

な、神社の環境としてはあまりよろしくないであろう場所にも関らず、とっても立派な木が境内にあり、いつ行っても心地の良い神社です。

 

道を挟んでお隣は幼稚園。

木が、元気な子供のエネルギーを喜んでいるかのような気がいつもします。

 

幼稚園の側にご神木。
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となりのトトロに出てくるご神木と、メイとさつきを連想させるような構図でした。

 

さて、境内に戻ります。
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奥の院の参道に入った途端、妙なテンションになってしまった息子(笑)
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カニなのか、今日はダブルピースの日なのか、親である私でも全く分かりません(^^;

 

御神事中の本殿が参道から見えました。
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【稲荷社】宇迦之御魂神
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【大神宮社】天照皇大神豊受大神
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剪定されたのか、葉のない幹だけの木。

それでも圧巻の姿。
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【蛭子社】
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お社が気になりつつも、木の根元が気になって仕方なく(^^;
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この根元であれば、やはりの枝ぶりな木。
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天満宮菅原道真

【山王社】大山咋神

【住吉社】住吉三神(底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命)
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狛犬さんが気になりました。

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お祀りされた当初は、それはそれは色彩豊かな狛犬さんだったのであろうと思います。

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八幡宮応神天皇神功皇后の母子神
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境内社を通り抜けながら、この鎮守の森を歩くだけでサイクリングの疲れも何のその。
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奥の院に行くには、一度境内を出るようです。
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さて、標識通りに進みます。
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真っすぐ進んでいくと左手に、コロナ禍を体現されているお地蔵様を発見。
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こちらのお地蔵様。

とても信仰されているようで、屋根があるわけでもないのにお供えされているご進物が沢山!

足元にぺったりとくっつく小さいお地蔵さん(というのでしょうか?)と抱っこされたお地蔵さんが、とてもホッコリとする空間でした。

 

さてさて、ホッコリしていたのが嘘のような道に突入です。
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ここからは舗装されていたアスファルトから一変して山道。

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後ろを振り返ってみると、分かりにくいかもしれませんがまぁまぁな坂道。
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山道と並行するかのように川が流れていました。
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注連縄が張られており神域ですね。
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正面にやっとそれらしき感じがする鳥居が見えてきました。
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だがしかし、続く鳥居の先に奥の院はまだ見えず(笑)
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景色を見ながら、一歩一歩、歩を進めます。
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この方までダブルピースしてはる(笑)

【岩屋大明神】
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まずは陰石からお参りです。

【陰石】お祀りされているのは栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
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小社には饒速日命がお祀りされているそうで、岩屋神社のHPの由緒を見ると、栲幡千々姫命は饒速日命の御母になるそうです。

 

【出典元:【公式サイト】山科一之宮 岩屋神社 | 由緒

 

岩のすぐそばに面白い姿形の木。
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陰石の周りが回れそうでしたので、一人反時計回りにぐるりと回ってみました。
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陰石正面の真後ろ辺りは結構な高さで、歩ける幅も狭く、これは落ちたら登るのが大変やなと妙に冷静でした。
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この辺りが一番狭くて、更に木が生い茂っていて通りにくかったです。
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頂上の陰石。
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一周して、陰石の左手に出てきました。
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こちらの岩は暖かい感じのする岩でした。

こうして改めて写真を見ていると、籠神社の奥宮、眞名井神社の磐座を思い起こさせます。

 

さて、お次は陽石目指してまたしても鳥居の参道を進みます。

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白い案内板が見えてきました。
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陰石からはさほど離れていない場所に陽石がお祀りされていました。
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【陽石】
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お祀りされているのは天忍穂耳命饒速日命の御父。

陰石同様、小社には饒速日命がお祀りされているようで、となるとこちらのお山にお祀りされているのは饒速日命とそのご両親。

 

饒速日命といえば、大阪は交野市にある天孫降臨の地、磐船神社の御祭神。

磐船はもちろん天の磐船です。

 

饒速日命=磐座

の構図は、ここ岩屋神社でも同じようです。

そもそも、神社の名前が岩屋神社ですしね。


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陽石の周りは、倒木だらけで撤去作業の途中なのか、それとも荒れた状態のママなのか、全く回れる状態ではなく、手を合わせるだけにとどまりました。
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陽石から後ろを振り返ると、結構な坂道だったことに気付きました。
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『行きは良いよい、帰りは恐い~♪』な道でした(^^;

 

つづきます。

 

【滋賀/大津市】足湯と雄琴神社

娘が自宅からバス、電車に乗って滋賀通いが出来るようになってしまい、望んでいた形なのに、望んでいた形が予想以上に早くき過ぎてしまったことに、望んでいた私が受け入れられず、滋賀に行きたくてウズウズ(笑)

 

そんな訳で、久し振りに朝から家族で滋賀入りです。

娘を近江神宮へ送り届け、主人先導の元、あてどなく走っていると面白い施設を見つけました。

 

おごと温泉 観光公園】

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道の駅かと思いきや、
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足湯がありました!
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おごと温泉観光公園おごと温泉は滋賀県のアルカリ天然温泉です。日帰り温泉・足湯もあり

 

既に9キロ程走っていた為、疲れた足に温泉は心地良く、更に足湯から上がってビッリクのツルツル肌❤

これは、病みつきになりそうな予感。

 

さて、ここからどうしようかとGoogleマップに相談。

1kmほど先に雄琴神社がありました。
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いくら曇天だからと言っても、もう少し上手く写真を撮れないものかと自分に言いたい。
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鳥居までの急斜面を自転車で上がった甲斐がありました。

とてもよい眺望。
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手水舎の水が出ていなかった為、こちらで手を清めました。
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正面に拝殿
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【由緒書き】
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拝殿の後ろは、中門で囲まれた本殿。
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主祭神は大炊神 今雄宿禰命(おおいのかみ いまおすくねのみこと)

 

初めて聞くお名前です。

Wikipediaから、下記抜粋。

 

文献上では「阿保今雄」・「小槻今雄」とも。

於知別命(垂仁天皇皇子)の後裔で、仁寿元年(851年)雄琴荘を拝領し元慶8年(884年)に歿した。

のち当地を治めた小槻氏(官務家)の祖

大同3年(808年)雄琴山上に鎮座したとされる。この時はまだ今雄宿禰は祀られておらず、土地神であったと推測されている。

仁寿元年(851年)今雄が雄琴荘を拝領、当地は小槻氏所領となる。社名・地名の「雄琴」は、今雄宿禰の邸から琴の音が聞こえていたためだとも言われる

今雄の死後、延長4年(926年)に子・小槻当平が社殿を造営し、一族の礎を築いた今雄の神霊を「雄琴社大炊神」と称して祭祀した。

小槻氏により同市苗鹿にある那波加神社とともに氏神として崇敬され、ともに同地にある法光寺の鎮守社を担ったとされる。また鳥居前方にある福領寺は神宮寺であった。

 

【出典元:雄琴神社 (大津市) - Wikipedia

 

雄琴を納めた小槻氏の祖先を、雄琴社大炊神としてお祀りされているようです。

そして、配祀神につていは下記の通り。


樟本神社:祟道尽敬天皇舎人親王
二峯神社:大己貴命

 

 ※いずれも正応4年(1291年)相殿に配祀。

 

舎人親王といえば、近江神宮の御祭神、天智天皇の弟・天武天皇大海人皇子)の息子です。

 

なぜ、舎人親王をお祀りされているのかが気になり調べたところ、雄琴神社と同名の神社が唯一、栃木県に存在していました。

 

下記、Wikipediaより抜粋です。

 

社伝では、寛治5年(1091年)に清原武則子孫の保定が栃木県壬生町に祖先の舎人親王を祀ったのが創建とされる。

創建当初は「藤森神社」と称したとする。

寛正3年(1464年)には、下野壬生氏初代の壬生胤業が、雄琴神社(近江国雄琴、現・滋賀県大津市雄琴)から壬生氏遠祖の小槻今雄の神霊を勧請して合祀したという。その際、社殿を建て替えるとともに社号を「雄琴大明神」に改めたとされる。

【出典元:雄琴神社 (壬生町) - Wikipedia

 

年代から考えると、

 

  雄琴神社(大津市)926年創建・御祭神:大炊神 今雄宿禰

⇒ 藤森神社(後の雄琴神社・壬生町)1091年創建・御祭神:舎人親王

⇒ 雄琴神社(大津市)1291年・配祀神として樟本神社に舎人親王

⇒ 藤森神社(壬生町)に1461年・雄琴神社(大津市)から壬生氏遠祖の小槻今雄の神霊を勧請して合祀。雄琴神社へ改める。

 

うーん。

藤森神社が雄琴神社へと改めた経緯は分かりましたが、雄琴神社(大津市)がなぜ、200年後に舎人親王をお祀りしたのか。

色々な経緯はあるのでしょうが、年代を追っていくだけでは明確には分かりませんね(^^;

 

脇道に逸れたついでに。

藤森神社と聞いて思いつくのが、京都市伏見区深草にある藤森神社。

御祭神は素戔嗚尊ぐらいの知識しかありませんが、調べてみたところ東殿(本殿東座)に天武天皇崇道尽敬皇帝舎人親王)がお祀りされており、雄琴神社の御祭神と一緒。

面白い!

 

さて、程よく自分の知りたい病をみたしたところで、境内に戻ります。

 

中門前の狛犬さん。
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お顔が少し見えにくいような。

 

こちらの狛犬さんは、少し威嚇気味に見えなくもないような。
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後ろを振り返ると、この景色。
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志賀湖畔の、少し小高い場所にある神社は先日訪れた樹下神社もそうですが、何とも言えない爽快感。

 

中門沿いに本堂をぐるりと一周できそうなので、回ってみます。
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本堂背後に良い木を一本見つけました。

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本堂向かって右手にも良い木があると思えば、
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そばにお社がありました。
【稲荷神社】  
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目の前に井戸があることから水の神様を連想させます。

御祭神は倉稲魂命市杵島姫命、そして水速女命(みづはのめのみこと)

ビンゴ!


お神輿が保管されているのでしょうか。
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大きな蔵がありました。

少し離れた場所から撮影した拝殿。
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後方のお山と言い、想像していた以上に立派なお社です。

 

さて、拝殿エリアから伸びている道を下ってみます。
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お社が三社。

中央に地主神社(御祭神:大物主神
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こちらも先程の本殿エリアのお社と同様、裏手の木に力があります。

 

各々気になったお社の前で手を合わせます。

 

【野神社】御祭神:野椎神
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私としては、そのまま一番右に進んで牛尾神社(御祭神:大山咋神荒魂、菅原道真)で学問の神様にお参りして欲しかったのですが、何事も私の思惑通りにはいきません(笑)

 

野椎神は建部大社の摂社 大野神社で草野姫命(かやのひめのみこと)としてお祀りされています。

【滋賀】建部大社、気になる摂社 - シロンプトンでパンとお参りと

 

野椎神(のづちのかみ)は草野姫命の古事記における別名です。

 

三社から境内を見ると、この高低差。
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右手に先程お参りした本殿が見えます。
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気付けば、境内をぐるりと反時計回りに一周して、一番最初に手を清めた場所に戻ってきました。

その側にあった【霊光社】 

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雄琴神社の縁の人物、八木氏の霊や、日清戦争日露戦争日中戦争・太平洋戦争戦没者を祀っているお社だそうです。

 

息子に『ここの神様はどんな人なん?』と聞かれ、戦争で亡くなった人をお祀りしている旨話すと、『戦争は絶対にあかんな。』と一言。

 

戦争を知らない世代でも、『絶対にあかん!』と感じる戦争。

戦争のない世の中を、これから日本を担う世代に。


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さて、もう二社お参りしたいところがあったのですが、思いのほか足湯で長居をしてしまいこのまま近江神宮までサイクリング。

 

お次は、娘をピックアップして滋賀への帰り道、いつも目にしながら気になっていた神社へお参りです。

 

つづきます。

【滋賀/大津市】瀬田は唐橋近く、勢田橋 龍宮秀郷社

週末の滋賀通い。

まずは建部大社でお水を頂いた後は、

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今回は一人ではありません。男子チームと一緒とくれば・・・。

ひたすら走る(笑)
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琵琶湖の唐橋を南下。初めて走る道です。
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どうやら瀬田川ぐるりさんぽ道(一周約8.2km)という道を走ってきたようです。
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瀬田川沿いにある水のめぐみ館を起点に、お次は北上します。

 

もうすぐで瀬田の唐橋という場所で鳥居を見つけました。

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社務所横の由緒書き

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【由緒書き】

伝説 俵藤太ムカデ退治の勢多橋龍宮秀郷社

祭神:瀬田川龍神、俵藤太秀郷

 

神代の古から此の大川に鎮座す龍神瀬田川と唐橋の守り神です。

俵藤太が龍神の頼みにより大ムカデを平らげた伝説が廣く知られています。

江戸時代には殿上人の信仰厚く霊験あらたかな龍神であります。

 

 むかで射し 昔語りと 旅人の

 いいつき渡る 瀬田の長橋

 大江 匡房

 

大江匡房という名前が少し気になり、Wikipedia

平安時代後期の公卿、儒学者歌人

大学頭・大江成衡の子。

官位は正二位・権中納言。江帥ごうのそつと号す。

藤原伊房・藤原為房とともに白河朝の「三房」と称された。

小倉百人一首では権中納言匡房

 【出典元:大江匡房 - Wikipedia

 

小倉百人一首の一人。

滋賀県に入る度に、歌、そして龍神との繋がりを色濃く感じます。

 

【歌】

【滋賀】福皇子神社でまたしても古墳 - シロンプトンでパンとお参りと

【滋賀】大伴神社で歌に触れる - シロンプトンでパンとお参りと

【滋賀】蝉丸神社 下社 - シロンプトンでパンとお参りと

 

 

龍神

【滋賀】藤ヶ崎龍神社 - シロンプトンでパンとお参りと

【滋賀】リュウ繋がりの龍宮神社 - シロンプトンでパンとお参りと

【滋賀】園城寺三井寺 其の一 - シロンプトンでパンとお参りと

 

さて、龍神というだけあってなのか、こちらの手水舎には龍が2体。

『2匹(←まるで虫のよう(笑))もいるの、初めてや!』と息子大喜びの手水舎。
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こちらはなかなかいかつめな狛犬さん。
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このまま進むと顔にあたる為、とっても頭を下げてくぐります。
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左手に右三つ巴紋の摂社。
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正面に本殿
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お社が並んでいます。
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右手【龍王宮】
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左手【秀郷社】
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【由緒書き】
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大ムカデが意外と可愛らしい絵なことにホッコリ(笑)

そして、こちらの大ムカデを退治しているお方が秀郷社としてお祀りされている、藤原秀郷公。

平将門を討伐した有名人だそうです。

 

そして、藤原秀郷公といえば、滋賀県近江八幡市にある藤ヶ崎龍神社の石碑龍王龍神ナトハ夫婦ニテ 名高キ藤太家名藤原の藤太家名藤原のこと。 

【滋賀】藤ヶ崎龍神社 - シロンプトンでパンとお参りと

 

点と点が線になるようでならないような。

でも、少し繋がってきたような感じで嬉しい瞬間です(^^♪

 

境内のすぐ横には瀬田川が流れています。
他に境内で散策できる場所もなく、鳥居の外へ。

社務所はあいにくと閉まっていましたが、その壁にかかっていた唐橋の写真。
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白黒なので分かりにくいのですが、木造でしょうか。

随分と古い時代の写真のように見えます。

 

お参りが済んだら、さっさと自転車な男子チーム。
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このあと、まだまだこの付近を散策していた私を、息子が『遅いから心配した。』と戻って様子を見に来てくれました。(主人は自転車のチェーンがまたもや外れていました(^^;)

 

相性の悪い(と私が思い込んでいる?)私と息子ですが、息子から学ぶことが沢山あります。

 

『全く考え方が違うから。』

『物の見方が違うから。』

 

一言で言ってしまえば、『何を考えているのか分からん。』な存在の息子。

だからこそ学びがあるんだと、心底気付かせてくれた息子。

 

こうやって感謝できる時もあれば、怒りに狂う時もあり、これもまた学び。

私が自分のことを俯瞰して、客観視できれば良いのですが、まだまだまだまだ、まーだまだ、自分の感情に支配されて、踊らされっぱなしの母親です。


この日も良いお参りとなりました。
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『頑張ったらいいことあるカモねー。』

とは、鴨のひとりごと(笑)

【滋賀/大津市】長安寺で西国三十三所巡り

道中、前回立ち寄ったパン屋さんdry riverwを見つけ、疲れた身体に糖分補給と称して玄米粉のミルクサンド。

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のお供は、ブックオフで購入した本。
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パンのお供が本?

本のお供がパン?(笑)

 

さて、膳所神社を出て向った先はやはり前回気になった場所へとUターン。
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長等山の山麓、弁財天社の場所から先に進んでみます。

【滋賀】長等山の山麓、弁財天 - シロンプトンでパンとお参りと


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道が二手に分かれており、左に進むと上栄町駅。それだとまたしてもパン屋さんへ逆戻り(笑)

右手の上岡寺の標識に従って進んでみます。

 

山道を誰とすれ違うこともなく、スイスイと~。
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下った先は1号線と161号線の分岐地点。

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目の前のお山の側には先日お参りした満月稲荷があります。

【滋賀】満月稲荷と長等山の清流、サワガニ - シロンプトンでパンとお参りと

 

果たして上岡寺はどこに?

再度、来た道を戻ります。


道中、山へと続くハイキングコースを見つけましたが、立ち入り禁止とになっていました。
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道中、右手に下に降りれそうな面白い道を見つけました。
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相棒のシロンプトンとは暫しお別れ。
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階段を下って早々に、石仏と歌碑が。
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西国第二十八番とあります。

となると、この山道沿いには、
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どこかとぼけているような顔が仏様っぽくないような(笑)
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西国第二十七番と読めます。

 

反対側、下を見ると京津線が見えました。

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そして、境内らしき場所も見えてきました。
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こうやってみると、随分と荒れているように見えますが、お参りしている私はとても楽しい。
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弘法大師空海さん
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平らな場所まで下ってきました。
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向かって右手にお稲荷さん。

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左手には寺務所。
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池のほとりにも石仏

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寺務所向かって左手には百体地蔵。

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その側に玉姫龍神の石碑がありました。

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小野小町供養塔

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なぜ小野小町の供養塔があるのかと調べてみると、小野小町のことを謡った謡曲『関寺小町』の関寺とは長安寺の前身であることから、供養塔があるようです。

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一遍上人・超一房供養塔】

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【本堂】
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ここに来てやっとこちらのお寺が長安寺だと分かりました。

大津市で気になっていたお寺の一つです。

となると、標識にあった上岡寺は一体どこに?

 

牛沸とあるだけに牛の石像が祀られています。
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年代を感じさせる面持ちです。

 

本堂側の祠にも牛の置物が安置されていました。
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長安寺といえば、こちらの牛塔が有名なようで、JR大津京駅にも掲示がありました。
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写真では大きさが伝わりにくいですが、実物は高さは3.3mと側に近付くとなかなかの迫力です。
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説明書きより

万寿二年(1025)の「関寺縁起」によると、天延四年(976)の地震で破損した関寺を復興する時に、資材を運搬した一頭の牛が、仏の化身であるという噂が立ち、多くの人々が関寺へ参拝したということです。

そして万寿二年(1025)、霊牛は関寺の工事が終わると共に死にました。その霊牛を供養し祀ったのがこの牛塔であるといわれています。

 

中央の石階段を隔てて、獣魂碑

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そのまま中央の石階段を下っていくと、本来の入り口に出てきました。
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さて、来た道を戻り寺務所を越え、気になっていたその先へと進んでみます。
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山道の傍らにはきっと数えれば三十三体+α(空海さんやら地蔵菩薩さま)の石仏があるはず。
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【西国第十七番】 悪病除け
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こちらの石仏は台座から落ちてしまっていました。

【西国第六番】
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舗装道路に出てきてしまいました。
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左手に行くと、先程の道標に戻ってしまいます。
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右に下ってみました。

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どうやら、ここが長安西国三十三所の入り口のようです。
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せっかくなので、入ってみます。
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左右に分かれる分岐に差し掛かりました。

右手は行き止まりのようですが進んでみます。
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こんなに立派な木の側にはやはり
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石仏。
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西国第十二番とあります。

 

左手に進むと、稲荷社に戻ってきました。

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どうやらお山をぐるぐると一周してきたようです。

思わぬところで三十三所巡りが出来、なんだかホクホクした気分です(^^)

 

ふと、兵庫県は甲山にある神呪寺の八十八ヶ所巡りを思い出しました。

ここ数か月、気付けば滋賀ばかりのお参りですが、お参りに拍車がかかったのは同じく滋賀県瀬田川沿いにある佐久奈度神社で瀬織津姫様を始めとする祓戸大神四神へのご挨拶からではなかろうかと思っています。

 

祓戸大神の四神】

瀬織津比売神(せおりつひめ)

もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す。


速開都比売神(はやあきつひめ)

河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む。


気吹戸主神(いぶきどぬし) 

速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ。


速佐須良比売神(はやさすらひめ)

根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う。

【出典元:祓戸大神 - Wikipedia

 

あれから色々と状況が代わり、家族4人揃ってのお参りとはいかなくなってきましたが、それでもこうやってお参りが続けられていることに、感謝です☆

 

【滋賀/大津市】木に誘われて、膳所神社で五行説

石坐神社を出て、宮司さんの話されていた石山寺へ行ってみようかと思いつつも、気の向くままに自転車を走らせていると、境内外からでも分かるほどに立派な木が見えてきました。

 

膳所神社】

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御祭神は豊受比女命
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豊受比女命といえば、思いつくところで伊勢神宮外宮、籠神社(京都府宮津市)奥宮の真奈井神社、比沼麻奈為神社京都府京丹後市)の主祭神穀物の神様。

 

由緒書きより、天智天皇がこの地を御厨地とされたと記載があり、豊受比女命を大和国から奉遷したようです。

 

【由緒書き】

社伝によると天智天皇大津宮遷都の際、この地を御厨地と定められた

天武天皇6年に大和国から御食津神を奉遷して、大膳職の御厨神された。

慶長年間に至り大政所豊臣秀頼徳川家康が当社を厚く尊信されて種々の神器の寄進があり、東山天皇膳所大明神の宣下をされました。

また慶長6年、膳所城創始以来、藩主本多候は歴代崇敬が厚く、社領の寄進や社殿の造営が度々行われました。

現在の当社表門は旧膳所城の城門で重要文化財に指定されています。

 

平成十二年 五月吉日

 

こちらが由緒書きに記載のあった重要文化財の旧膳所城の城門。
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膳所城取り壊しの際に、移築されてきたそうです。
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その城門手前、気品に満ちた狛犬さん。
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スラリとした姿がカッコいい!

足元の鞠が、何だかサッカーボールのように見えてきました(笑)
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そんな凛々しい狛犬さんの後ろにある木。
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こちらもとても立派です。

 

そして表門くぐってすぐの木も素晴らしく、立札を見て見ると膳所神社の鎮守の森自体が大津市の保護樹林に指定されているようです。
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このあと、境内をぐるりと散策しますが、圧倒される木々達ばかりでした。

 

さて、先を進んで手水舎側のこちらの石灯篭。
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初めてみるタイプ。

足元はまさかの亀です。

 

境内はとても広く、その境内を覆いつくさんばかりの木々。

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本殿左手の摂社 愛宕神社 (火之加具土神)
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こちらのお社は小さいながらも木の圧倒的な存在感で惹きつけられました。

 

そんな素晴らしい木々達の中、こちらのご神木は何があったのでしょうか。
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痛々しい姿です。

 

さて、鎮守の森が楽しくてウロチョロしておりますが、お参りです。

表門からまっすぐ進んで、拝殿の後ろに中門で囲まれた本殿。

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中を覗いてみると、こちらはさっきのスラリとした狛犬さんとは対照的な、なんともにこやかな狛犬さん。

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ちょっと、手足がずんぐりむっくり(笑)

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でも、かわいいからまぁえっかー(笑)

 

本殿を少し離れた場所からパチリ。

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木々達に守られているかのような佇まい。

 

そんな立派な木々達の根元はやはり素晴らしく、こちらは拝殿側の木の根元。

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エネルギーが漲っているように見えます。

 

拝殿の周りはどこを見回しても青々とした葉が生い茂っており、それだけで充分な心地良さ。

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摂社 松尾社 (大山咋神市杵島姫神

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大山咋神といえば、比叡山麓の日吉大社、京都松尾大社の御祭神。山の王。

その他、こちらは初めて知りましたが伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社である山末神社は大山津姫命を祀るが、大山咋神が祭神だとする説もあるそうです。

【出典元:大山咋神 - Wikipedia

 

となると、こちらの膳所神社と同じ図式になりますね。

 

 【豊受比売命】 【大山咋神

  伊勢神宮下宮  山末神社

  膳所神社    松尾社

 

市杵島姫神宗像三女神の一柱で水の神様。

松尾社は山と水の神様が一緒にお祀りされているお社でした。

 

こちらの摂社も見るからに心地良い場所にお祀りされています。
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摂社 稲荷大明神(宇賀之御魂神)

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稲荷大明神の右手に石碑が縦に並んで配されていました。

横はよく見かけますが、縦は珍しい気がします。

 

【辰巻大神】

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『竜巻?』

ぐらいしか思いつきません(^^;

 

その奥に【人麿竜神
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人麿と聞いて、漢字は異なるもののパッと思いつくのが歌人 柿本人麻呂

少し気になって調べてみると、梅原猛さんの著書『水底の歌-柿本人麻呂論』で、通説とは異なる水刑で柿本人麻呂は処刑されたと論じているようです。

 

水=竜神

 

安易な発想ですが、であれば人麿竜神の石碑は鎮魂碑かもしれません。

 

その人麿竜神の後ろに【金龍大神】

金龍大神のお祀りされている神社は春日神社 若宮社摂社の金龍神社。

春日大社・金龍神社 | 春日大社-御朱印

 

龍神社は毎月初めの辰の日に、初辰祭りをされるそうで、辰巻大神の『辰』とリンク。

 

【月道龍神
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こちらの月道龍神の御祭神はWikipediaでは闇淤加美神(くらおかみのかみ)とされていました。

膳所神社 - Wikipedia

 

闇淤加美神は属性は水ですが、火の神様 火之加具土神の子。

火之加具土神はイザナギイザナミの子。

その為、出産の際イザナミの陰部に火傷が出来、そのことが原因でイザナミは亡くなってしまい、これに怒ったイザナギが十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で我が子である火之加具土神を殺してしまう。

その火之加具土神から生まれたのが闇淤加美神

 

闇淤加美神といば、貴船神社の御祭神。

その貴船神社の由緒書きから、下記抜粋です。

 

水は恐ろし 水は尊し

高龗神・闇龗神について、社記には「呼び名は違っても同じ神なり」と記されている。

かくして、火の神から生まれた神は、水神『高龗神』というわけなのである。

人間にとって火はとても大事なものであるが、使い方を間違えると大きな禍をも招く。

その荒ぶる火を鎮める為、火の神から水の神が誕生したのである。

火を鎮められるのは水だけである。

ここに、火と水の大事な関係を窺い知ることが出来る。

 【出典元:由緒

 

膳所神社の左手に愛宕神社の御祭神は火の神様 火之加具土神

そして、右手に月道龍神の御祭神は水の神様 闇淤加美神

 

陰陽、火水、男女、強弱、生死、明暗・・・。

どちらかだけが必要なわけではなく、どちらも必要。

 

拝殿の左右に火と水の神。

相反するものが大事な関係であるということが示唆されているような気がしました。

 

ふと、境内の神様が五行説に当てはまるのではないかと思い、当て嵌めてみました。

 

 愛宕社=火

 月道龍神=水

 人麿龍神=水?

 松尾社=木(大山咋神は山の神様)、市杵島姫命=水

 金龍大神=金

 豊受比女命=土(穀物の神様)

 

お互いが影響し合って、循環する。


そんな拝殿周りの木々達は本当に素晴らしかった。
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さて、こちらは変わって社殿左手の木。
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木の後ろに変わった形の石碑を見つけました。
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『永代百御百燈』と読めますが、何のことやらさっぱりで。。。

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上部の空洞は、ふと太陽を表しているのではないかと思いました。

となると、この石は陽石?

であれば、社殿右手にあった月道龍神が月=陰で陰石?

 

永代御百御燈で調べてみると、近しい語句で岩屋神社の八朔祭『御百燈献灯神事』が見つかりました。

【公式サイト】山科一之宮 岩屋神社 | 祭事説明

 

永代御百御燈の意味は分からないものの、岩屋神社は車で滋賀通いの際、帰路に案内板があり気になっていた神社。

これは一度行ってみなければ。

 

拝殿から境内を見るも、境内よりも目の前の木、いや根元に釘付け(笑)
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良い景色です。

 

つづきます。