シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都】六角堂の唐㟢社から繋がるご縁

六角堂周り、及び境内の左側(西側)の散策が終わりお次は右側(東側)です。

 

木の根元にはなんとも可愛らしいお地蔵さん。

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こちらのお堂は浄土真宗開祖の親鸞聖人のお堂。
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もまたしても六角。

 

六角堂、太子堂親鸞堂の全てが六角

六角に何か意味があるのかと調べてみると、HPに下記記載がありました。

 

六角堂の御詠歌は「わが思う心のうちは六(むつ)の角ただ円(まろ)かれと祈るなりけり」です。

「六の角」とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことで、これらを捨て去って角を無くし、円満になること、すなわち「六根清浄を願う」という祈りを込めた形と伝えられています。
本尊は聖徳太子の念持仏と伝える如意輪観音坐像で、秘仏とされており、厨子の前に御前立が安置されています。脇侍は、毘沙門天立像(重要文化財)と地蔵菩薩立像です。また、本堂の裏側にも多くの仏像が安置され、小窓から拝むことができます

 

・六つの角とは、六根((喉・耳・鼻・舌・身・意)から生ずる六欲のこと。

・これらを捨て去って角を無くし円満になること=六根清浄を願う

 

だから六角

 

そして、気になっていた六角堂本堂の裏側。

HPの内容からすると小窓から覗けたようですね(^^;

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確かに写真を見返してみると、小窓の下に石がありこの上に乗れば覗けそうです。

次回、行く機会があれば是非覗いてこようと思います。

 

それにしても、建物の形に深い意味があったことに驚きました。

そして欲がもたらす人間の不浄を感じました。

私は欲まみれですから。

 

こうやってお参りの際は全く分かっていなかったことが調べていくごとに分かっていく楽しさ。

 

分からなくても良く、ただ行って感じてみること。

気付けば調べれば良いだけ。

気付かなければ、その時の私には不要なだけのこと。

そんなことも随分と腑に落ちるようになりました。

 

さて、境内に戻ります。

 

親鸞堂の奥に階段が見えます。

鳥居があるということは神社ですね。
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【日影稲荷】
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隣のお社は稲荷社と比べると大きく、
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天満宮、唐嵜社、祇園社
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お目当ての唐嵜社!

 

勝手に六角堂の中心部に位置するかと思っていたのですが、まさか境内の東の端、一番奥に位置するとは。

 

唐嵜社は六角堂の鎮守となるそうで、御祭神の唐崎明神は滋賀県大津市の唐崎神社の神様とHPにありました。

 

【六角堂 唐嵜社】

六角堂の鎮守です。

御祭神の唐崎明神は、「唐崎の松」で有名な琵琶湖畔の唐崎神社(滋賀県大津市)の神様で、比叡山延暦寺とも深い関係があります。

かつては明星天子菩薩とも称していました。社殿には、祇園社(八坂神社)と天満宮北野天満宮)の神様が合祀されています。

【出典元:境内・諸堂|『六角堂』 紫雲山 頂法寺 ~いけばな発祥の地

 

滋賀県大津市の唐崎神社は七瀬の祓の一所。

祓いといえば瀬織津姫

下鴨神社の井上社の御祭神も瀬織津姫

ですが、唐崎神社の御祭神は瀬織津姫ではなく女別当命(わけすきひめのみこと)

同じく滋賀県高島市にある川裾宮唐崎神社の御祭神は瀬織津姫速佐須良比咩

速秋津日売神。

 

こうも唐崎神社の御祭神が瀬織津姫ばかりであれば、大津市にある唐崎神社も瀬織津姫のような気がしないでもないですが。。。

 

そして、唐嵜社と合祀されているのは菅原道真公が御祭神の天満宮素戔嗚尊が御祭神の祇園社

唐崎神社は比叡山延暦寺と深い関係があるとHPに記載がありますが、となると空海さん。

 

瀬織津姫不動明王空海さん、聖徳太子とくれば役行者が側にいそうな感じですが、六角堂に役行者と関連するものは見当たらなかったように思います。

 

と思いつつも何だか気になり調べてみると、面白い繋がりを発見しました。

 

山伏山、浄妙山、役行者八幡山、南観音山、北観音山、霰天神山
これらに共通するもの、それは修験道」にゆかりがある山ということ。

毎年宵山山鉾巡行の前日)には、東大路丸太町付近にある「聖護院門跡」より山伏がやってきて六角堂より、ゆかりある山を巡って読経、最後役行者山にて「役行者山採燈護摩」を行います。

【出典元:役行者山 護摩焚き | 京都いいとこブログ

 

山伏たちは午後1時、中京区六角通烏丸東入ルの六角堂を出発。

ほら貝や錫杖(しゃくじょう)の音を響かせて浄妙、南観音、北観音、八幡、役行者の各山を順に巡り、お経を唱えた。

www.kyoto-np.co.jp

 

六角堂を出て、最後に役行者山。

 

瀬織津姫不動明王空海さん、聖徳太子

そして

役行者(山)!

 

揃いましたね。

 

祇園祭と言えば、人が多い・暑いで嫌厭していた関西人の内の一人で、今更ですが由来を調べてみました。

 

祇園祭の由来】

祇園祭貞観年中(859~877)京の都に疫病が流行したとき、勅を奉じて神泉苑に66本の矛を立てて祇園の神を迎えて祭り、洛中の男児祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由来し、平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。

室町時代になると町々の特色ある山鉾のあったことが『祇園社記』に記されています。応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中絶しましたが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われることになりました。以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失しましたが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っています。

 

【出典元:祇園祭 概要 | 八坂神社

 

由来の一文に、『京の都に疫病が流行った際、神泉苑に神様をお迎えした・・・』とありますが、この後六角堂の次に訪れた場所は神泉苑・・・。

 

寺社仏閣にお参りするようになってこの数年(特に去年一年)、強く感じるのが、偶然はないということ。

偶然だと思うことはもちろん自由で、自分が偶然だと感じればそれはそれで良く、誰かに何かを証明する必要もありません。

ただ、自分が何をどう感じ、信じるのか。

この部分がとても大切なような気がします。

 

ありがたいお導きに今こうして文章を起していて気付き、私なんぞが頭で考えて出来ることなんてたかだか知れており、見えないけれども確実にある何か、の存在(=それは人によって、サムシンググレートであったり、神様であったり、様々なのでしょうが)を痛切に感じます。

 

祇園祭と言えば、な山鉾の詳細についてはこちら。

山鉾について(山鉾一覧) | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会

 

さてさて、境内に戻りましてこちらは唐嵜社上部。f:id:roy-7303-pkbs:20210207151647j:plain

魚を担いだ行商の人でしょうか。

彫りがとても精巧です。

 

唐㟢神社を見つけてやっと喉のつっかえが取れたような感じ。

スッキリしました。

 

さて、こちらの根の張りが立派な木は境内入って左手、厠横にひっそりと。
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空を覆い尽くさんばかりの枝振りは見事としか言いようがなく、
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ご覧の通りの立ち姿。
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やはり素晴らしい木に出会うとワクワクします(^^)
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そんな、色々な出会いや気付きを気付きを頂けた六角堂の御朱印

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気になった太子堂と石不動もあとから追加でお願いしました。

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ひとまず、一年以上越しで気になっていた六角堂にお参りが出来たことに感謝。

 

 

さて、この後はこちらも去年の春から気になっていた神泉苑へお参りです。

 

つづきます。

【京都】唐崎神社繋がりで六角堂

滋賀県高島市の唐崎神社、京都市下鴨神社内の井上社、そして同じく京都市の六角堂を結べば一直線。

 

更に、その延長線上の高槻市にある三島鴨神社。

その境内には唐崎神社があり、偶然とは思えない位置関係。

 

こんななんともワクワクする情報を、下記サイトで見つけてしまいました。

瀬織津姫と聖徳太子の御縁 | 八上 白兎神社�Uと全国神話伝承

 

と、ここまで文面を作っていたのが2019年の12月。

滋賀県の唐崎神社、下鴨神社の井上社、そして高槻市にある三島鴨神社はすでにお参り済み。

【滋賀】七瀬祓い所の址 唐崎神社 - シロンプトンでパンとお参りと

下鴨神社のみたらし祭り - キモノ★キドキ

【大阪】三島鴨神社で唐崎繋がり - シロンプトンでパンとお参りと

 

残るは、やっとやっとの六角堂。

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今日はカルタで滋賀へ行く娘とは京都駅で別れ一人自転車です。
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六角堂の近くには若かりし頃、何度か足を運んだ新風館ヴィレッジヴァンガード目当て)があり、こんなビルが立ち並ぶ中にこの空間だけがタイムスリップしたかのような感覚。
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まず、何に驚いたかというと、お堂の裏手にあるこちらの人工池を優雅に泳ぐ白鳥の姿。

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こんな都会の人工池に白鳥!
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もう、ビックリしたのと砂漠のオアシス感が尋常じゃなく(笑)

ビルの合間の人工池に白鳥ですから、そりゃ、もう、オアシスです(^^)

 

そしてこのオアシス、人工池かと思いきやどうもそうではなさそうな。。。

下記、六角堂のHPより転記です。

太子堂の西側、池の中にある石でできた井筒は、聖徳太子沐浴の古跡と伝えられる場所です。当時このあたりにあった池に太子が入り、身を清めたと伝えられます。その池のほとり、現在の池坊会館(11階建てのビル)の位置に僧侶の住坊が建てられ、池坊と呼ばれるようになりました。現代の境内整備事業で池がよみがえり、白鳥や鯉が泳いでいます。

【出典元:その他見どころ|『六角堂』 紫雲山 頂法寺 ~いけばな発祥の地

 

聖徳太子が身を清められた池だとは知らず、都会のオアシスだなんて(^^;

池坊の名の由来も、池のほとりに僧侶の住坊があったことから池坊と呼ばれるようになったとあり面白い発見です。

 

こちらは池の反対側。

ちょうどお堂の裏手にあたり、正面よりこちらが少し気になりました。
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人工池に浮かぶ朱色のお堂。
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瓦に『堂』がズラリ。
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扁額には六角堂開基の『聖徳太子』とあります。
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その手前には、なんとも可愛らしいお地蔵様かと思いきや、十六羅漢というのだそう。
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ここで、十六羅漢とは?

羅漢とは、仏の教えを護り伝えることのできる優れた僧侶に与えられた名前です。十六というのは、方位の四方八方を倍にした数で、あらゆる場所に羅漢がいることを意味しています。
六角堂の十六羅漢は、「和顔(わげん)愛語(あいご)」を実践し、いつもにこにこしています。いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあるという教えです。

【出典元:その他見どころ|『六角堂』 紫雲山 頂法寺 ~いけばな発祥の地

 

文中にある、いつも優しい顔つきで穏やかに話をするように心がける。

私は般若の形相で息子に接しております。

お参りも大事ですが、現実世界をもっと見直さねばなりません(^^;

 

こちらは『見ざる聞かざる言わざる』ならず、『見ない聞かない言わない』お坊さん?
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体のぽっちゃり感、表情といい何とも愛らしいお姿です。

『見ない』の手がなんともツボです。

 

六角堂の左手奥に面白い幹の木がありました。
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そばにはお地蔵様がズラリと。
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京都御所を守るために北を向いている「北向地蔵」
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お地蔵さんが倒れているのかと思いきや、寝そべっているのだそうです(笑)
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お地蔵様の目の前には重厚な造りの六角堂。
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境内入って左手には不動明王の旗が掲げられています。
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こちらのお堂の後方の大きな石が気になりました。
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石不動とあります。
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綺麗なお花が生けられ、その傍らには水が途切れることなく流れており、それは境内全体から感じる水の気と相まって、石不動(火)と水で火水(かみ)。

清浄な水に六角堂自体が守られているような感じがします。
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そばには、ビルに負けじとそびえる木が一本。
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幹同様に上方の枝ぶりも素晴らしく、さながらお堂の守り手のようです。
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その木の根元には、なんとも味のあるお顔のお地蔵様。
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道祖神でしょうか。

 

決して大きくはない六角ですが、見所満載。

さてさて、お次はお目当ての唐崎神社を探して境内を散策です。

 

つづきます。

【滋賀/大津市】那波加荒魂神社

那波加神社から道路を挟んですぐの場所に那波加荒魂神社。
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とても目を惹いたこちらの巨木。

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これは新緑の時期に是非とももう一度見に来たい。
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葉が生い茂る様は圧巻だと思います。

 

【拝殿】

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両脇には狛犬さん
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境内社

大炊神社、愛宕神社
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大炊神社は雄琴神社の主祭神 大炊神 今雄宿禰命(おおいのかみ いまおすくねのみこと)と同様だと思われます。

shironpton.hatenablog.com

 

 

【須古神社】
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初めて目にした須古神社。

『須』の漢字から連想されるのは、須佐之男

少し気になり調べてみました。

 

八坂神社(祇園さん)は、もとは須古之庄祇園屋敷に鎮座されていた国史所裁の名神で、社号を「久治国神(くじくにつかみ)」という。

その創建は遠く景行12年と伝えられ、「三代実録」の清和天皇貞観2年(860)条に「二月壬午八月己丑 進従五位下久治国神従五位上」の宣旨を賜ったと記されている。
下って江戸時代初期、佐賀初代藩主鍋島勝茂有明海や江湖干拓の督励のため白石干出(ひいで)に屋形を造営し、その後寛永18年(1641)にそれまで須古に鎮座されていた久治国神を屋形のうしとら(鬼門)方向にあたる現在地に鎮護神として遷座し、「疫病除け、水難除け」の神として古くから厚く信仰している。
当社は、佐賀藩の祈願所と定められ、毎年旧暦1月13日(現2月13日)に春祭りが、旧暦6月13日(現7月13日)に夏祭りが執行されている。特に夏祭りには、以前は白石地方及び横辺田(大町・江北町付近)の郷村から山車(山人形を飾った通称「ヤマ」という)挽夫として300人の献夫が出て、参詣人と一緒に干出の町を、山車を北から南へ、南から北へ引き回し、徹夜の賑わいを呈したという。
明治維新後は、挽夫は勿論、引綱用の材料さえ工面できず衰退していった。その上、電燈、電話線架設のため、山車は飾り付けのみで一時中止状態になっていた。その後、山車は小型に改造され、昔と同様に引き回すようになった。
素朴な農民の崇敬を集めている白石の夏の祇園祭りは、肥前三大祇園祭の一つに数えられ、県下の夏祭りの圧巻として知られている。
江戸時代までは通称「祇園さん」と呼んでいたが、明治元年(1868)3月の神仏分離発令後、京都の「祇園社」が「八坂神社」と社名を改めた為に、当社も「八坂神社」と改め社格制により郷社に列せられた。(出典=改訂白石町の文化財 平成5年3月)

 

【出典元:白石町ホームページ |八坂神社

 

やはりというか、須佐之男命と繋がってきました。

更に、八坂神社が祇園社から八坂神社へ社名を改めた際、同じく社名を八坂神社と変えたことを考えてみても、佐賀県京都府という遠く離れた地にもかかわらず深いご縁がありそうな気がします。


境内周りの木々達は、それはそれはとても立派。
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上方もご覧の通り。
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毎度のことながら拝殿周りをぐるりと回ると、
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拝殿の真裏に面白いものを発見しました。
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霊石とあり、拝殿の真後ろから石を拝む遥拝所まで用意されています。

 

面白いですねー(^^)

拝殿の正面に立ち拝むにもかかわらず、ちょうど真反対からも霊石を拝む形になっています。

私は拝殿付近を散策するのでたまたま気付きましたが、普通に拝殿前でお参りする方であれば、案内板も何もありませんので気付かないかと。

 

またしても立派な木。
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上方の枝ぶりも見事です。
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拝殿手前の【岩水不動尊
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横に墨染という文字が見えますが、一体何のことやら・・・。

墨染といえば、京阪電車の駅名に墨染があります。

墨染は京都市伏見区

付近には伏見稲荷神社須佐之男命が主祭神の藤森神社があります。

さらに調べていてわかったことですが、墨染の南部に撞木町という花街があったそうで、忠臣蔵といえばな大石内蔵助が遊びに来ていたという伝説も残っているそうです。

大石神社といえば、稲荷山を挟んで伏見稲荷神社の反対側に位置する山科区の大石神社。

【京都】大石神社の少し大きな石 - シロンプトンでパンとお参りと

 

・・・うーん。

滋賀県大津市からどんどん遠ざかっていますが、色々と繋がりが見えそうで見えないのがもどかしい(笑)

 

境内のケヤキは保護樹木に指定されていました。
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枯れていない姿を是非見たい。
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境内を少し離れた場所から。
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さて、境内を後にし隣接する公園を通って元来た道へと行くつもりが

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息子が何やら気になると立ち止まった銅像
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側面に『傅教太郎童形御尊像』と彫られています。

調べてみたところ、幼名広野、後の天台宗開祖 最澄の幼き頃を模した銅像になるようです。

最澄といえば天台宗

比叡山延暦寺滋賀県大津市に位置します。

高野山 真言宗空海さんとセットで、『必ずテストに出る!』と日本史の後藤先生に言われて覚えた記憶があり、あれから数十年経ちまさか自転車でお参りすることがライフワークの一部になるとは、人生なんて分からないものです(^^;


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正念寺跡とありますので、以前はこの地にお寺があったようです。

 

今はご覧の通り、開けた土地に遊具がポツポツと。
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とりあえず一通り試さないと気が済まない息子(笑)

 

帰り道、川沿いにいるにゃんこが気になりふと見るとお地蔵様。
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『オン カカカビ サンマ エイ ソワカ

 

昨年秋のお参りでしたが、こうやって見返してみると色々と気付くことがあり、これが面白くてブログを続けているようなもの(笑)

 

完全に自己満足のブログですが、それでも見に来て下さる方に感謝です☆

 

さてさて、お次は少し時間が飛びまして2月に入ってから京都でのお参り模様。

ずっと気になっていた神社へのお参りです(^^)

 

【滋賀/大津市】那波加神社

雄琴で足湯に浸かってポッカポカ。

車で一眠りする主人を残して息子と2人、以前タイムオーバーでお参りが出来なかった神社へテクテク歩いてお参りです。

shironpton.hatenablog.com

 

那波加神社

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紅葉が少し残っていますね。

写真を確認したところ、12月12日にお参りに行っていたようです。

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写真を見ながら、色々と思い出してきました。

鳥居右手の紅葉の木が素晴らしく。

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【拝殿】

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【手水舎】

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手水舎側から見た境内のおおよその全景。

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【由緒書き】

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社伝によれば、祭神の天太玉命はこの地に降臨し太古から鎮座したという。

老翁となった天太玉命の農事を助けるために、鹿が現れて稲の苗を背負って運んだので「苗鹿(なはか/のうか)」という社名・地名になったと伝える。当社との関わりがうかがわれるものとして、周辺には苗鹿古墳群や法光寺古墳群なども残っている。天智天皇7年(668年)に社殿造営、大同2年(807年)に荒魂社が造営されたと伝える。

仁寿元年(851年)、小槻宿禰今雄が雄琴荘を拝領して以降、当社と雄琴神社とが小槻氏の氏神とされ崇敬された。また、氏寺として建立した法光寺が当社別当寺となった。なお、法光寺境内には鎮守社として天神社があり木造男女神像(市指定文化財)が安置されているが、これらは当社の神体として作られたとする説がある。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では近江国滋賀郡に「那波加神社」と記載され、式内社に列している。

 【出典元:那波加神社 - Wikipedia

 

 

【本殿】

主祭神天太玉命

配神:於知別命 (おちわけのみこと)
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天太玉命といえば祭祀の神様。

天照大神の岩戸隠れの際に、活躍された神様です。

 

フトダマは、日本神話に登場する神。『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命、『古語拾遺』では天太玉命(あめのふとだまのみこと)と表記する。忌部氏(後に斎部氏)の祖の一柱とされる。

出自は『記紀』には書かれていないが、『古語拾遺』などでは高皇産霊尊(たかみむすび)の子と記されている。

岩戸隠れの際、思兼神が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、天児屋命とともに太占(ふとまに)を行った。 そして、八尺瓊勾玉八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。

天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。『日本書紀』の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれている。

 

 配神:於知別命 (おちわけのみこと)

文献上では「落別王」「祖別命」とも。

第11代垂仁天皇皇子で、当地を治めた小槻氏の始祖。一説には、於知別命ではなく雄琴神社祭神の今雄宿禰命が祭神であるともいわれる。

 

配神の於知別命 (おちわけのみこと)から、雄琴神社との繋がりが出てきました。

 

狛犬さんは、私の好きなちょっとムッチリな感じ。
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格子の隙間から境内社をパチリと。
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龍の付く龍神社は息子にとっての特別です。
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その手前にお祀りされていた何の説明書きもない石。
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とても丁寧にお祀りされているだけに、とても気になりました。

 

その右手に、こらちは扉が閉じられていましたが注連縄がかかっており、お祀りされている神様がいるのでしょうか。
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私には判読不能な石碑。
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恒例の拝殿の周りをぐるりと回ってみましたが、拝殿周りで特に気になる箇所は見当たりませんでした。
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ただ、やはりというか木が立派ですね。
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歩いていても遠目からでも分かるほどに、立派な木のある一帯が那波加神社

お次は道路を挟んで那波加荒魂神社へ。

 

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前回、雄琴を通過する際、Googleマップで同名の神社が道路を挟んで並んでいることに興味をもち、よく見て見ると片方は『荒魂』。

となると、もう片方は明記されていなくとも和魂。

 

表と裏。

陰と陽。

 

想像するだけで面白く。

 

続きます。

 

【大阪/高槻市】聖徳太子御直作地蔵尊、大塚神社の役行者尊

以前、通りすがった道で素戔嗚尊聖徳太子の繋がりを感じ、その際Googleマップで気になっていた聖徳太子繋がりの場所に今日は一人ふらりとサンクリング。

shironpton.hatenablog.com

 

高槻市にある【聖徳太子御直作地蔵尊

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左側に『一切悪事〇消滅』と彫られています。
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調べ方が悪いのか、手掛かりになるものが分かりませんでした。
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聖徳太子が作られたお地蔵様が拝見できるのであればと思っていましたが、扉が開いていることもなく、説明書きもなく、石柱の文字のみを確認して終了(笑)

 

さて、あまりにもあっさりと今日の目的を達成した為、このまま帰るのもなんだかとGoogleマップを見てみると、面白い場所を発見しました。

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現在地を少し北上した場所に役行者尊(大塚神社境内)とあります。

これは行ってみなければなりません。

 

自転車でものの5分もしないうちに到着。
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【大塚神社】
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紅白の少し厳めしい狛犬さんの間を通り抜け、参道を進むと右手に石碑がありました。
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御祭神:高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)

 

【由来】

当神社は大塚に古くから鎮座する村社で、ご祭神 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二柱を祀る。

建武2年(1335)5月、当地大洪水の際、二神の木像が流れ着き、これを僧侶恵慶(えいけい)が祀ったことが始まる。
産霊(むすび)は天地万物を産み出す神であり、「むすぶ」という言葉から、諸願成就・縁結び・五穀豊穣・合格祈願に霊験あらたかな神とされる。
なお 大塚神社は現在の場所より淀川べりに位置したが、昭和16年(1941)の淀川改修工事のため堤防が後退したのに伴い現在地に移転した。

 

【大塚の地 伝承】

平安時代後期(9世紀中頃)清和天皇が皇子の陽成天皇に譲位した後、日本諸国を巡ったという。そして当地の「松ケ崎」に立ち寄り、小松原で休憩をとり淀川の風景を楽しんだ。そのとき天皇は松の木に冠をかけたまま帰国され、気づいた村人はその王冠を埋めて「王塚」と名付けた

天皇の没後、社殿を設けて清和天皇の霊を祀った。これが現在の大塚小神社「大塚殿」にあたる。

 

造花三神のうち二神がお祀りされています。

残る一神は天之御中主神

 

天之御中主神主祭神の神社は、滋賀県近江八幡市に。

【滋賀】天之御中主尊神社、と感謝の気持ち - シロンプトンでパンとお参りと

 

京都では、木嶋坐天照御魂神社の御祭神の一神が天之御中主神です。

【京都】木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)で水を思う - シロンプトンでパンとお参りと

 

大塚神社の第一印象は、木々は生い茂ってはいないもののどの木もとても立派な事。

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町名が付いた神社だった為てっきり小さい神社かと勝手に想像していたのですが、境内は広くとても良い空間。

 

【拝殿】

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拝殿左手に稲荷神社。

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お社の後ろに幹回り根の張り共にとても立派な木。

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先日お参りした笠置山の稲荷神社を彷彿とさせる1ショット。

【京都】笠置寺の稲荷神社 - シロンプトンでパンとお参りと

 

こちらは稲荷神社の手前に、拝殿と稲荷神社が南向きなのに対し、左向きにお祀りされている役行者

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いやはや、溜息ものの木ばかりです。f:id:roy-7303-pkbs:20210121192333j:image

私が小さい頃は、神社の境内が当たり前のように遊び場で、境内にはブランコやジャングルジム、シーソーに砂場など遊具がある神社も沢山ありました。

こんな木が沢山ある境内で、走り回って遊べたら、それはそれはとっても元気な子に育つのじゃなかろうかと思います。

木も喜びますしね。

境内も活気づくと思います。

もちろん遊ばせてもらうからにはお片付けや丁寧に扱うなど、全体のルールを守っては当たり前のことですが。

親以外に、地域の人や見えないものから見守られて遊べる場所が少なくなってしまったと思いました。

なんで神社で遊ばなく(遊べなく?)なってしまったんでしょうか。

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根の張りに圧倒されっぱなしで境内を散策していると、

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拝殿の後ろ手にお社があるのが見えました。

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【大塚殿小宮】

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由緒書きにあった、清和天皇がお祀りされているお社。

清和天皇が淀川の景色を眺められ、そのとき天皇は松の木に冠をかけたまま帰国され、気づいた村人はその王冠を埋めて「王塚」と名付けた。

大塚地区の名の由来になった王塚。

 

こちらの境内も見事な幹回りの木。

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上部は冬だからなのか枯れていますが、何の木になのでしょう。

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その木の根元には、なかなかひょうきんな狛犬さん。

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対の狛犬さんの顔には、思わず頬が緩みました。

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『えっ!?なんていってんの?』と喋っているかのような表情(笑)

 

拝殿の左手の木。
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大塚神社の境内の木は本当に面白い。
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『この根の張りたるや!』

一人で興奮。
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惚れ惚れしてしまいます。
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上部
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境内右手に一本、途中で切られている木がありました。
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境内をぐるりと取り囲むかのように住宅密集地にある大塚神社。

それでも、人の声がすることもなく(平日のお昼前ということもあるのかもしれませんが)、参拝客は私だけ。

一人、ケータイ片手に木ばかりを撮っているおばさんは傍から見ればかなり変な人だとは思いますが、(その辺りは一応認識しております(^^;)いやはや自分の楽しいことはどうにも押さえられませんね。

まぁ、押さえる必要もないのですが(笑)

 

大塚殿小宮の境内から大塚神社を振り返った景色。

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大本命の聖徳太子御直作地蔵尊を拝見することは出来ませんでしたが、今回は大塚神社へ行く必要があったようです。


聖徳太子に呼ばれ、当のご本人にお目にかかることはなく役行者にバトンタッチのような流れ(笑)

 

ふとこの流れが気になり調べてみると、役行者聖徳太子について書かれているブログにあたりました。

makild.exblog.jp

 

愛姫伝さんからのブログから、下記抜粋です。

「渓嵐拾葉集」

鎌倉時代末の仏教書で、天台僧によって書かれたものです。
もとは300巻あったと伝えられていますが,現存113巻。
比叡山西塔北谷の別所黒谷にいた光宗(1276‐1350)の著だといいます。

 

その中の1ページ

役行者は太子(聖徳太子)と一体のこと。大峰縁起を見るに、役行者と太子一体と見えたり。その故は、大峰の役行者は、即ちこれ天照皇大神と注せえり。大峰は霊鷲山欠け来たるといへり。日本最初の天の逆鉾の本拠はこれなり。行基菩薩の注。その詞に、日本一洲の仏法利益は法喜菩薩の利益なりと書留り。・・・・法喜菩薩とは役行者の異名なり。六十華住処品に明らかに説けり。また、曇無竭菩薩と法勇菩薩・法誦菩薩、これ同体なりと、行基菩薩注し給へり。太子は正しく太神宮再誕と知んぬ。行基また太神宮再誕なり。故に太子と役行者と一体なりと見えたり

【出典元:役行者と聖徳太子 : 愛姫伝

 

聖徳太子役行者の一体とのこと。

 

教科書で習った知識、世の中の常識から照らし合わせると、『いやいや、まさか

そんな訳はなく、別人でしょ』となるのですが、今まで常識だと思っていたことが必ずしも常識ではなく。

 

いつか分かる時が来るのかもしれませんが、今はこうしてお参りに行きその場を感じ体験できるだけでありがたく、それで良いのかもしれません。

 

必要な時に、必要な事が、必然として起こる。

 

今回もありがたい、必要なご縁でした(^^)

 

【大阪/高槻市】摂津峡の行者岩

1月11日のトリプル1の日に、息子と娘と連れ立って近所の摂津峡公園へ

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いつ見てもこの木の根の張りが素晴らしい❤
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何度見ても圧倒される幹回り。
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反対側を見ると、以前は折れていなかったと思うのですが、落石で折れてしまったような痕跡がありました。
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お目当ては公園ではなく、
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行者岩

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私にはこの行者岩が巨神兵にしか見えないのです(^^;

 

そんな巨神兵のような行者岩の手前には石の祠があり、誰かが開けたのか、風の仕業なのか扉が開いていました。
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祠の右手には石像。
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扉が開いていたのも何かのご縁。

中をお掃除させて頂き、毎週汲みに言っている水無瀬神宮のお水をお供えしておきました。

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こちらは行者岩の上部。

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勝手に顔だと思っている個所の裏手にあたります。

 

こちらは行者岩の裏手にある大きな岩。
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見つけた当初は全面、草木やツタで生い茂っていましたが掃除を完了して半年。

綺麗なままでした(^^)

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反対側も綺麗なまま♪

 

この岩の左手からは高槻市街が少し見渡せます。
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この一帯は行者岩とその裏手の大きな岩がある間。
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木の幹だけが残っていますが、幹の大きさ、根の張り、そして岩と岩の間にあることから、立派な木が生えていたのではなかろうかと思われます。
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立派な木が無くなってしまったのは残念ですが、それでも側に次世代であろうと思われる木が育っており、このまま大きくなっていって欲しいと思います。

 

そういえば、この木の根元で以前トカゲをよく見かけました。

トカゲさんは岩と木のお目付け役かもしれません(^^)

 

先日訪れた、笠置寺の稲荷神社でも感じたことですが、大きな岩の側には当たり前のように立派な木があり、2つでセット。

必ずしも当てはまるわけではないのですが、2つが合わさることで本来の力を発揮できるような感じを受けました。

根拠はないです(^^;

 

ふと見やると、こちらが何を言わなくとも掃除を始める二人。
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自分の部屋を何度片付けなさいと言っても片付けないくせに、一体全体どういうことなのでしょうか(笑)


私は一人の部屋が無かったのでとても羨ましいのですが、当の本人達はそこまで部屋に固執しておらず、気付けばダイニングやリビングで過ごすことが大半。

私の無いものねだりなのかもしれません(^^;

 

この日は寒く、軽く掃除してゴミを撤去するにとどめました。
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『寒い寒い』と言いながら歩いていると、娘がふと何かに気付いた模様。

川沿いにある石塀を見ると、
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山水が流れている個所が寒さで凍っていました。

 

今年は去年に比べてとても寒く、思った以上にお山には入れていませんが、ほんの短時間でもこうやってお山には入れただけで気分爽快。

これからも行者岩にはお世話になりそうです(^^)

 

娘と息子、そして私を含め3人でその後がとても気になっていた行者岩。

何もなくて、何よりでした。

【京都/相良郡】笠置寺の稲荷神社

弘法大師空海作の虚空蔵磨崖仏を後にして、お次は胎内くぐりの文字が見えてきました。

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笠置山には滝がない為、こちらの胎内くぐりをすることで身を清めることになるそうです。
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胎内くぐりを通り抜けると、またしても目の前には巨石があちらこちらに。
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その中でも、こちらは巨石というほどではありませんが道の中央にあった石。
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何となく心惹かれた石。

 

そして、この心惹かれた石の近くだったかどうかは忘れてしまいましたが、このエリアも気になりました。
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さてさて、まだまだ磐座巡りは続きます。
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お次は太鼓石とあります。
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胎内くぐりよりは広い岩と岩の間を抜けると、
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またしても大きな岩を左手に進みます。
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お次はゆるぎ石。
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ゆるぎ石の上からの眺め。
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眼前には木津川が広がります。
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この一帯で、底は広いもののヒールのある靴で来られている女性に出会い、さすがにこの岩場を目にして引き返されていました。
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まだ先があるようです。
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鬼滅の刃の影響で、長い棒を持つとすぐ刀になってしまう息子(笑)
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木の生命力を感じる衝撃的なワンショット。
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今回通った中で一番狭かった岩と岩の間。
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通り抜けた岩の足場は石組になっており、人工的に固められているように見えます。
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こちらのとっても広く大きな岩は、貝吹き岩というそうで、武士の士気を高める為や、修験者もこの岩に登って法螺貝を吹いたところから名前の由来がきているそうです。
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息子、思ったよりも急斜面な岩に恐れをなして途中でリタイヤ(笑)

 

順路通りに進むとお次は後醍醐天皇行在所跡。

その手前の大きな岩の足元を見ると、お地蔵様が彫られていました。
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後醍醐天皇 行在所跡】
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京の都を追われ、奈良、和束も安住の地でなかった後醍醐天皇は、この地に三種の神器とともに行幸され、この地が南朝の皇居となりました。
後醍醐天皇は、この地で「うかりける 身を秋風にさそわれて 思わぬ山のもみじを見る」と詠まれました。

【出典元:境内案内 – 笠置寺 巨石と雲海の山

 

階段を上がった先は、このような石で作られた塀がありますが、前面だけ。
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いつも通り裏手を散策しようと塀伝いを歩いていくと、後ろ手に塀はなくそのまま入れてしまう簡素な作り(^^;

入れるものの、入ってしまうのは気が引けて散策せずに戻って来ました。

 

この行在所跡の下方にもみじ公園があり、もみじは時期的にないものの気になった岩があり下りてみました。
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こちらの三角錐のような岩が気になりました。
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そして、距離は少し離れているものの近くに二股の巨木。
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三角錐の三面の内、一面に面するこちらの巨木。

気になりました。

 

さて、まだまだ続くかと思った磐座巡りですが、お山をぐるりと一周してきたようです。

スタート地点の大師堂に戻って来ました。

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大師堂の裏手の岩。
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そしてここにきて私の携帯のバッテリー切れに続き、主人の携帯も残り数%。

この先に、初めに境内図を見てからどうしても行きたかった稲荷大明神があり、どうにか2枚だけ写真が撮れました。

 

稲荷大明神
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いやー、ここはすごかった。

磐座、巨木、その後ろ手にあるお社。

この3つが絶妙な配置で並んでおり、磐座のエネルギーを巨木が吸い上げ、その巨木に守られお社があるかのような位置関係。

そのお社のエネルギーを参拝者が頂き、感謝のエネルギーと共に磐座へ循環。

そして、巨木、お社へ。

 

このお社のある少し小高い丘一帯が、エネルギー循環の場のよう。

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笠置山

想像以上にとても面白いお山でした(^^)

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