ちょうど一年ぶりの1月3日。お正月で重くなった身体をエイコラショと本山寺へ。
2年前には鬱蒼としていた木々たち。無残な姿に言葉がありません。
黙々と歩いて、さぁここからが駐車場の警備員さんの毎度の合言葉。
『こっからが地獄の坂やでー。』の声を合図に最後のひと踏ん張り。
こちらの石の標識が一丁になればゴール。
ここまでくるとあともう少し。
ふと後ろが気になり振り返ると『櫓塚』とあります。去年は気付きませんでした。
『やぐら?』それとも『ろ?』どちらで読むのでしょうか。
山なので船の櫓ではないとは思うのですが・・・。
写真右下に一丁とあります。Googleさんの予想通り1時間ほどでゴール!
略記を読むと、ポンポン山に向かう道中に天狗杉という天狗の休息地があるそうな。
こちらも前回全く気付かなかった事実。
いかに、自分の興味のあることしか見ていないのかがよく分かります(^^;
必要な時に必要な情報が入ってくるということで(笑)
ほどなくすると山門です。
山門くぐってすぐのお稲荷さん。
そして、このもうもうとした煙の正体は。
今まさに、火渡り神事が行われようとしているところでした。寺務所で尋ねると予約なしで誰でも参加可能とのこと!
ただし、生理中の女性は参加することが出来ないとのことでした。神社でも生理中の参拝は控えるようにとよく聞きますが同様なのでしょうか。
火渡り神事中の写真はありませんが、こんなチャンス滅多とありません!渋る息子を言いくるめて家族で火渡り神事に参加してきました。
この火で燃え盛る上に丸太を敷き詰めてその上を歩きます。
左右には山伏さんが何人も手を出して誘導して下さるので安心です。
神事中、山伏さんがお経を唱えて下さるのですがとても心地良く、あっという間の火渡り神事でした。
周りを見渡すと毎回参加されているのだと思うのですが、替えの靴下やらウェットティッシュでレジャーシートに座って煤で真っ黒けになった足の裏を綺麗にされていました。私はこんな時に限ってウェットティッシュを車に置き忘れてしまい、煤だらけの足で靴下が真っ黒に(笑)
こちらは神事が終わり、火を消されている最中です。
お次は何でしょうか。テーブルがセットされダンボールが運ばれてきました。
ビックリ!
お餅が頭上から降ってきました(^^)
私は下に落ちたお餅を拾うので精一杯でしたが、よっぽど良いポジションにいたのか主人は帽子を広げて立っているだけでこれだけ入ったようです(笑)
リュックを前にして全開にして待っている方や、大袋をおもむろに出してきた方、下をひたすら見ている方など、色んな作戦で思い思いに福餅をゲットされていました(^^)
神事も終わり、さぁお次は本堂へと進もうとしたところ『ここにいる人はラッキーやでー。加持しますよ~。』と錫杖で一人一人にお加持して下さいました。
女性の山伏さんもお一人いらっしゃいました。
さて、本堂へ向かいます。
写真手前にある摩尼車。子供達はこの下に紙を置いて車輪を回せば文字が印字されると思っていたようで、確かにコロコロ回すハンコありますけどね(笑)
般若心経を覚えれば摩尼車に頼らなくてもすむと話したところ、子供達は『覚える!』と。さて、私と子供達どちらが早く覚えれるでしょうか(^^;
本堂の毘沙門天立像は役小角作で鞍馬寺、朝護孫子寺とともに『日本三毘沙門天』。国宝だそうです。
お次は本堂右手にある開山堂。
開扉されています!
前回は確か閉まっていたような気がします。
中央に『役行者神変大菩薩』(えんのぎょうじゃじんぺんだいぼさつ)
役行者は分かるのですが、後半についている『神変大菩薩』とはなんでしょう?
調べてみました。
『神変大菩薩』とは?
江戸時代 寛政11年(1799)正月25日、役行者一千年御遠忌に際し、その威徳を称え、光格天皇より「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」の諡号(しごう)が授けられました。
とのこと。またまた勉強になりました。
役行者の左右の鬼は多分、弟子の前鬼、後鬼だと思います。
そして、左の鬼の後ろに本山寺を創建した開成皇子、右の鬼の後ろに役行者が葛城山で受けた秘法孔雀明王が控えていました。
前回より面白い発見が沢山ありました。次回は新たな気付きがあると嬉しい。
さて、本堂後ろにあるポンポン山への登山道へ向かってお次はレッツハイキング!
つづきます。