御霊神社を後にして、時間もちょうどお昼時。
向った先は近くのパン屋さん。
本町はオフィス街。
もれなく定休日でした(涙)
さて気を取り直して、歩きます。
Googleマップを見ると、同じ道沿いに神社を見つけました。
こちらも一度お参りしたかった神社です。
『坐摩神社』
三鳥居ですね。
ただし、左右の小さい鳥居はくぐれないようになっていました。
筋肉隆々、前足が長くスレンダーな狛犬さん
色といい、まるでシーサーのようです。
手水舎は先程お参りした御霊神社と形状は似ているものの、可愛らしい感じではなくスタイリッシュな感じ。センサーで水が出る仕組みでした。
境内は、改修工事中の為、
末社五社へのお参りはこちらでは出来ませんでしたが、神様は本殿へ移されているとのことで本殿で一緒にお参りできるとのことでした。
拝殿です。
ちょうど中では神職の方のお勤めなのでしょうか、神事の模擬練習のようなものをされており、緊張の中にも最後に和やかな雰囲気があったりと、裏側を少し垣間見れたような気がしました。
こちらの石碑は、坐摩神社のホームページからすると明治天皇ご誕降の記念の石碑ではないかと思われます。
古くは、神功皇后が応神天皇(八幡大神)の安産を坐摩神社に祈願されたこともあるそうで、明治天皇ご誕生の際にも、宮中より御祈願の依頼があり、坐摩神社の秋季大祭当日(旧暦)にお生まれになったそうです。
早速、坐摩神社のホームページを確認すると
・秋季大祭 10月22日
・明治祭 11月3日
とありました。
そして、明治天皇の誕生日は11月3日。だからの明治祭ですね。
その石碑の横には、突如として一体だけあるライオンの像。
ライオンといえば、ライオンズマンションくらいしか出てきません(^^;
近くに面白い石碑がありました。
こちらの説明書きからすると、昔は『算額』というものを神社へ奉納したとあります。その聞き慣れない算額はといいますと、数学の問題を額に掲げ出題したもので、それをお互いに解きあい、難問が解けたことを神仏に感謝する習慣があったそうで、坐摩神社はその算額が奉納されていたようです。しかし、残念ながら現在は消失して残っていないとのこと。
説明書きに船場三社に奉納されたとありますが、こちらの坐摩神社以外にも先程お参りに行った御霊神社、更にはこれから行こうとしている難波神社で船場三社となるそうです。
偶然にも、今日一日で船場三社を巡ることに。
面白いです(^^)
こちらは境内にある気持ちが良いくらいに伸びやかな木。
こちらの石碑はなんでしょうか。
文字が判読できませんでした。
境内はこれで終わりかと思いきや、社務所横、少し奥まったところにひときわ目立つ稲荷社がありました。
お稲荷さんの主祭神である宇迦之御魂神(倉稲魂命)は穀物の神様。
神門が稲なことに今更ながら納得です。
境内末社がお隣にもう一社。
初めてみました、『防火陶器神社』
昔、信濃町などは瀬戸物町筋だったそうで、陶器商人が信仰した神社になるそうです。
左右の燈籠も石灯篭ならぬ、瀬戸燈籠。
写真には写っていませんが、立札なるものも瀬戸物でした。
さて、お次は目的地の難波神社へ。