左手に琵琶湖、右手に田園風景の中をビュンビュンと走ります。
近江八幡市にある天之御中主尊神社にやってきました。
御祭神は古事記冒頭での天地開闢の時、最初に出た造形三神の中心神、天之御中主尊。
ただし、境内にあった御由緒書きによるとどうやら元々は日吉大社の末社、下八王子社(八柱社)より勧請されてきたようで、本地が虚空蔵大菩薩。
そして、由緒書きの下記の部分が私にはよく分からず、
日吉七社中の下八王子虚空蔵とあるのを下八王子天之御中主尊に習って、虚空蔵即ち天之御中主尊として社名を決定したと伝える。
名前を変えたけれども、実際は虚空蔵大菩薩ということなのでしょうか。
・虚空蔵菩薩は智彗の仏様。
・菩薩は如来になる前の悟りの修行中のお姿。
近隣の方はこちらの神社で十三参りをされているようですので、虚空蔵菩薩を安置されている神社として地元の方は認知されているのでは、と思いました。
そして、こちらの天之御中主尊神社は長嶋親子が、もっと古くは海軍の東郷平八郎も参拝に来られていたそうで、全国的にも有名な神社のようです。
こちらの二の鳥居までは車で上がってくることが出来るようで、ご近所の方と思しき人達がチラホラとお参りに来られていました。
手水舎。
ちょうど風が吹いてきて、さらし生地のお手拭きがまるで旗のようにはためいて、そんなタイミングで手を拭こうとした息子はお手拭きに翻弄され、後から来た親切なおじさんにお手拭きを持ってもらって手を拭いていました。そんな姿を、『いい光景やなぁ』と手助けせずに見る私(笑)
こちらの拝殿前の石が水の紋様のようになっており、避けて歩いていたところ先程のおじさんはザクザクと躊躇なく進まれていました。
きっと踏んでもよいのでしょうが、やはりなんとなく踏めずに裏手の本殿へ。
小さいながらも立派な本殿です。
前に敷き詰められた玉砂利が美しい。
通常よく見る石の狛犬さんの後ろ手に、初めて見る木の狛犬さんが。
目が生きているようでした。
こちらは本殿左手。彫り物が美しかった。
ちょうど太陽が木々の間から入り込み、光が綺麗に入った写真が撮れました。
水の音がするほうに歩いて行ってみると、勢いよく龍の口から水が出ており、柄杓が置いてあったのですが飲めるかどうかわからず、手を清める程度にとどめました。
社務所の方から、『よろしければ御神酒はいかがですか?』とお声がけいただき、自転車なので飲酒運転になるとお断りしたのですが、ほんの一口だけとお赤飯と一緒に頂いてしまいました(^^;
そういえば今日は三月一日で朔日参り。だから先程お参りした藤ヶ崎龍神社もお供え物が多かったのかもしれません。
左右の森はもっと木が生い茂っていたんじゃなかろうか、
なんてことを考えながら、自転車を押しながら一の鳥居へと来た道を戻ります。
こちらは二の鳥居の足元。
見ると小さい立札のようなものがありました。
『ありがとうございます
大自然のすべてに 愛と感謝を!』
参拝を終えて、更に胸がいっぱいになる言葉。
昔々の私は『愛』という言葉が男女間の『愛』であるとしか思えず、安易に『愛』という言葉を使うことが好きではありませんでした。
気付けば自分の内面を見る機会が増えてきて、やっと『愛』という言葉が『愛し合う』という相互間の関係だけではなく、『与えられずとも、自ら溢れ出る愛を与えるもの』であることに、少しづづですが分かる(感じる)ようになってきました。
・愛とは、与えられたら満タンになるものではなかった。
・そして、愛と感謝は与えても減るものではなかった。
私は年齢だけ見れば立派な大人なはずなのですが、勉強することはまだまだ沢山あると気付きます。
さて、お次は目的地の日牟禮八幡宮へと向かいます。