シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【兵庫】鷲林寺の裏手、観音山へ

山へと続きそうな舗装された坂道を登っていくとお堂がありました。

f:id:roy-7303-pkbs:20200322212454j:image

荒神

『悪人を治罰することがあるので麁乱荒神と称し、三宝(仏・法・僧)を衛護するので三宝荒神という』

寺伝によると天長十年(838)淳和天皇の勅願により弘法大師が寺を建立使用した時、この地を支配していた麁乱神と呼ばれる神が大鷲に姿をかえて現れ、大師の入山を妨害したという。大師は法力を使い大鷲を桜の霊木に封じ込め、その霊木で十一面観音刻み寺の本尊とし、鷲林寺と名付けたと伝える。この麁乱神は鷲林寺開基伝だけでなく甲山 神呪寺開基伝にも登場するので両寺にとって大切な尊であると言えよう。麁乱神とは麁乱荒神のことで、八つの顔と八本の腕を持つ八面八臂の姿で、別名三宝荒神ともいう。俗に竈の神として広く信仰されている。

古文書では「麁乱荒神を鎮守の神としてまつった寺を鷲林寺と名付け、宝塚市 清荒神はこの麁乱荒神をお招きしたもので鷲林寺のもとの同体である」と伝える。

天正年間、織田信長の兵火により堂宇は寺と共に焼失したが、当山檀信徒・前田榮子様の発願にてこの地に再建し、幸福と平和を祈るものである。

平成十八年十一月吉日 六甲山鷲林寺山主 栄善敬白

 

荒神堂の略縁起がなんとなく気になり全て文字に起こしてみたところ、『麁乱荒神』は神呪寺の開基伝にも出てきており、鷲林寺と同様入山しようとした如意尼を妨害しています。

そして、麁乱荒神は竈の神様。

以前、交野市にある交野山山頂の観音岩の麓にも三宝荒神のお社がありました。

shironpton.hatenablog.com

 

三宝荒神繋がりで、今読んでいる本の中に面白い一文がありました。

古代には女神のお社には、釜がご神体として安置されていた。それは子宮を釜に例え、炊けたご飯を子宝に見たてる習慣から来ている。

  (サルタ彦大神と竜 ー古代の子宝信仰ー 谷戸貞彦著 より抜粋)

 

 ・今から登ろうとしているお山(観音山)の麓に竈の神様=三宝荒神

 ・交野山の観音岩の麓に竈の神様=三宝荒神

 

こんな面白い発見も、家に帰ってからのこと。

やはり直接行って、見て、感じることの大切さを実感します。

 

さて、荒神堂の裏手を確認。

ここ最近どうもお堂の周りや裏手が気になります。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185406j:image

立派な木がありました。

 

その木を左手に見つつ、右手に丸太を渡しただけの面白そうな道を発見しました。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185409j:image

進んでみます。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185445j:image

早々に大きな岩が出現。

今日も沢山の巨石に出会えそうな予感です。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322194652j:image

ここから以降は急な坂が続き写真を撮る余裕もなく、ふと後ろを振り返ると左手に甲山と北山貯水池が見えました。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322212512j:image

こんな巨木があったり、
f:id:roy-7303-pkbs:20200322212523j:image

こんな巨石の側を手足を使ってガシガシと登っていきます。

f:id:roy-7303-pkbs:20200322185420j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20200322185448j:image

人の手で側面を切り取り積み上げたとしか思えないような石組み。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185502j:image

綿が平行になるように積み上げられています。

この斜めの角度に意味があるのかもしれませんが、全く分かりません(^^;
f:id:roy-7303-pkbs:20200322194701j:image
まだまだ急斜面を歩きます。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322194656j:image

どこを見ても巨石だらけというくらいに、山中あちこちに点在しています。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322212447j:image

甲山がはるか下方に見えます。

頂上に着きました。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185528j:image 

登って初めて知りました。
こちらのお山は観音山というのだそうです。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185511j:image

予定していた甲山には登れませんでしたが、こんな眺望の良いところでお昼ご飯を食べることが出来て幸せです♪ 

さて、下山は行きのルートはあまりにも急斜面な為、別ルートを探すことに。

 

山道の中央にあるこちらの石がなんだか意味ありげなルートを発見。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322212451j:image

こちらのルートも山中には当たり前のように巨石。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185428j:image

舗装されたハイキングコースとは程遠い、ゴツゴツの岩の合間を気を配りながら慎重に歩いていきます。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185434j:image

こんな岩の間からも木がニョキニョキと。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185517j:image

木の根元にある斜めに組まれたように見える石。

同じ方角を向いているように見えます。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322212435j:image

山道を歩くだけでなく、こうやって周りの景色に思いを巡らせるのも楽しく、気付けば目の前に標識が。鷲林寺パノラマコースと記載されています。どうやら道は間違えていないようです。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185417j:image

右手に甲山。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322212440j:image

パノラマコースというだけあってとても良い景色ですが、足元は砂利と岩でなかなか神経を使う道が続きます。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185413j:image

下山途中、大きな岩が重なっている個所が祠のようになっており中を覗いてみると像が安置されていました。

f:id:roy-7303-pkbs:20200322185531j:plain
聖母マリア

腕には赤ちゃんを抱っこしており、頭にはヴェールのお姿でした。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185424j:image

聖母マリアと観音山の観音に何か繋がりがありそうだと調べてみると、マリア観音なる言葉を見つけました。

マリア観音(マリアかんのん)とは、おもに江戸時代禁教令によって弾圧を受けたキリシタンキリスト教徒)達によって信仰の対象とされた聖母マリアに擬せられた観音菩薩像。

マリア観音 - Wikipedia

 

観音山にマリア観音。そして、竈の神様の三宝荒神

山の神様は一般的に女性であることが多いと聞きますが、観音山もここまで揃うと女性の神様なのだと思われます。

 

ここから先は六甲ロックガーデンを思い出すような道が続きます。

頭でイメージした通りに手と足を思う位置に運んで慎重に進んでいきます。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185438j:image

ヒーヒー言いながら降りてきたところに祠がありました。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322212516j:image

こちらの祠には卵がお供えされています。

蛇さん?大国主命?がおまつりされているのでしょうか?
f:id:roy-7303-pkbs:20200322212520j:image

パノラマコースの終着点は若宮神社の境内裏手。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185459j:image

鳥居を抜けると、出発地点。

荒神堂へ戻ってきました。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185525j:image

消えかかっていますが観音山へと続くハイキングコースの看板が、若宮神社の鳥居近くにありました。
f:id:roy-7303-pkbs:20200322185514j:image

行きは観音山まで直進、急坂のベルナールコース、帰りは絶景!パノラマコースで帰ってきたようです。

距離はさほどなかった為、まだまだ時間にも体力にも余裕があります。

ここから距離にして1キロ程にある夫婦岩を目指します。