歯医者さんの帰り道、久々に立ち寄りたくなりお参り。
『宮田春日神社』
境内に人がいることはあまりなく、いたとしてもご年配の方が一人て参拝されている姿を見ることが大半。
今日は珍しく、中高生くらいの女の子が二人でバトミントンをしていました。
私が子供の頃の神社は格好の遊び場で、鬼ごっこに探検、缶蹴り、ゴム跳び、合間にお菓子タイム、といつも子供で賑わっていました。
なんだか懐かしいものを見たような気になりました。
本殿裏手の木
こちらの木も立派です。
こちらの神社の境内の雰囲気が好きで何度もお参りに来ていますが、今まで木の根がこんなに立派だったとは気付きませんでした。
いかに自分の関心のあることしか見ていないかがよく分かります。
人は見たいものしか見ないと言いますが、まさしくその通りで、どこにフォーカスして生きていくのか、とても大事な事のような気がしました。
お参りの際は、「祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え」と心で3回唱えています。
今まで漠然と唱えていたのですが、このコロナ騒動でとてもありがたい言葉だと気付きました。
当たり前のように生活が出来て、何不自由なく暮らせていることは当たり前ではなかったということ。
極論を言ってしまえば、衣・食・住が困らなければそれだけで充分なのではないかと。
久し振りに一人でのお参り。
色々と気付きを頂くことが出来ました。