週末の朝、Googleマップを眺めて、さてどこへ行こうかとふと目に留まった先へ。
目に留まった先をどうやら素通りしてしまったようです。
目的地の次に立ち寄ろうとしていた八坂神社に着いてしまいました。
スサノオノミコトを祭神とする。
社伝によれば、清和天皇の時代(9世紀後半)に疫病が流行したため、牛頭天王(ごずてんのう)を迎えたのが起源という。境内には花崗岩製の石槽があり、大阪府の有形文化財に指定されている。
神社では、毎年4月初めに農耕神を迎えまつる、「春祭歩射神事(通称:大蛇祭)」が行われる。
祭礼は藁で編まれた大綱を大蛇に見立て、神輿のごとく担いで村内を練り歩いた後、大綱を境内に設けた的場の2本の松に掛け渡し、的を取り付け、弓で射る「歩射=弓引き」を行う。
明治時代以前は、村の男たちが境内を流れる川を挟んで上手下手に分かれ、綱が切れるまで引き合ったという。
社伝には、「その昔、神社の北西、阿路ヶ谷の地に住み村人を悩ました大蛇と当社に祈願して退治した」という故事にちなんで綱引きと称して祭礼を行ったと記されている。
「八坂神社の春祭歩射神事」は、弓引きの神事と綱掛の神事とが集合合体したことがうかがえ、民族の重層性を考える上で極めて貴重な祭礼として、平成18年2月に市の無形民俗文化財に指定されている。
八坂神社の総本社といえば、京都祇園にある八坂神社。
今年は祇園祭がコロナ騒動で行われません。
社伝によれば、今から千年以上も前、清和天皇の時代に疫病が流行り、牛頭天王を迎えたことを起源とするようで、どれだけ世の中が発展しても、見えない細菌に人間は成す術はないのかもしれません。
人のいない境内。
橋の下、川の流れが心地良く、明治時代以前、この川を挟んで綱引き神事が行われたのかと思うとタイプスリップしたような気分。
川といえば水。
だから近くに石槽?
さて、境内を進みます。
石畳の上に立派な拝殿が見えてきました。
なんとも素敵な格子戸、というのでしょうか、建具が目を引きます。
可愛らしい狛犬さん。
『こっちの狛犬さんは角があるー!』と、息子は初めて狛犬さんに角があることに気付きました。
口をあけているのが狛犬。
口を閉じて角があるのが獅子。
そうやって、教えなくとも、どんどん自分で気付いていくことの大切さに気付いてもらえたらと思います。
拝殿の横に回ってみると、年季を感じさせる重厚な作りの本殿。
本殿の後ろ側に面白い石を見つけました。
ピラミッドのよう。
向かって左、
【琴平神社】
御祭神は大物主神。
素戔嗚尊の子孫。
向かって右、
【多賀神社、春日神社】
素戔嗚尊のご両親。
春日神社の御祭神は、天の岩戸を開けた立役者の祝詞の達人、天児屋根命。
こちらの石碑、文字が注連縄で読めませんが上二文字は『庚申』で間違いないと思います。
庚申と聞いて真っ先に思い浮かぶのが干支と方角くらいの無知な私。
《庚申とは》
西暦と皇紀では、60の倍数の年が庚申の年となる。
庚申は干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされた。そのため、庚申・辛酉は政治的変革が起こるとされ、それを防ぐために2年続けて改元が行われることも多かった。例えば万延元年(1860年)と文久元年(1861年)などである
庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。
この庚申の日に禁忌(きんき)行事を中心とする信仰があり、日本には古く上代に体系的ではないが移入されたとされている。
『入唐求法巡礼行記』838年(承和5年)11月26日の条に〈夜、人は咸く睡らず。本国の正月、庚申の夜と同じきなり。〉とある。
平安時代の貴族社会では、この夜を過ごす際に、碁・詩歌・管弦の遊びを催す「庚申御遊(こうしんぎょゆう)」と称する宴をはるのが貴族の習いであった。最も早い記録では清和天皇の代に貞観5年(863年)11月1日の庚申に宮中で宴がもたれ、音楽が奏せられている。9世紀末から10世紀の頃には、庚申の御遊は恒例化していた
【出典元:Wikipediaより抜粋】
ここでも清和天皇の名前が出てきました。
清和天皇が気になり少し調べてみると、9歳で即位、27歳で皇子へ譲位、その後苦行を経て仏門へ入られています。
源氏=武士のイメージですが、清和源氏のルーツである清和天皇は、平和を望み仏門に入られていたとのこと。
こういったことは、学校の授業では教わらない楽しさ。
何かの、誰かの役に立つ訳でもありませんが、こういった無駄な事をすることがここ最近とても楽しく、いかに無駄な事をせずに生きてきたか改めて感じます。
さて、境内に戻ります。
朱塗りというより、深紅な鳥居。
後ろ手に咲いている黄色いお花とのコントラストが美しく、
中心の幹は朽ちてしまっていますが、脇芽が育っている古木の存在感に圧倒されます。