安威砦跡へ向かう道中、以前から気になっていた場所に立ち寄っていました。
【塚原八十塚】
後程立ち寄った本龍寺の由緒沿革に記載のあった塚原八十塚です。
塚原古墳群は15群・約110基を数えた大阪府高槻市の古墳群で、塚原八十塚と呼ばれていたが現在40基ほど残っている。1872年、ウイリアム・ゴーランドによって有名となり、古墳研究の先駆けとなった古墳群として注目された。ウィリアム・ゴーランド(1842−1922年)は明治政府がイギリスより大阪造幣寮(現造幣局)に招聘した化学兼冶金技師で日本の古墳研究の先駆者としても知られ日本考古学の父と呼ばれている。
古墳群は、阿武山東・南斜面一帯に営まれた6世紀中頃から7世紀中頃に造られた、府下屈指の群集墳で東は高槻赤十字病院構内、西は安威川、南は経王寺境内、北は京大阿武山地震観測所付近にまで及んでいる。古墳群に葬られた人々は、安威川流域にあった集落の有力者層と考えられ古墳の多くは横穴式石室をもつ円墳で方墳や埴輪を巡らせた円墳もあり出土品は、土師器・須恵器の他、埴輪・装身具・馬具・鉄刀などの鉄製武器・刀の把頭などもあるそうだ。
【出典元】https://4travel.jp/travelogue/10662443
古墳群のあった地帯は、北は京大阿武山地震観測所付近とあり、地震観測所のすぐそばに藤原鎌足公の陵墓とされている阿武山古墳があります。
そして、西は安威川、東はマルヤスと書かれた右端の地点(高槻赤十字病院)、そして下の赤い印は南の経王寺。
この一帯が塚原古墳群だったようで、あまりの広さにビックリします。
地図でこうやって見ると、大半の土地は宅地開発されてしまっているのが分かります。
さて、ぐるりと回って鳥居前へ。
お堂はこじんまりとしており、中がどうなっているかは分かりませんでした。
目を引いたのは、この二股の木。
根っこの周りには、花は散ってしまったのかシュガの草がチラホラと。
さて、お次に向かったのは塚原八十塚から目と鼻の先のこちら。
単なる公園だと思って、竜王山の時も安威神社の時も、その他いつも素通りしていましたが、息子が私に教えたかったのはこの場所。
【塚原B33号墳】
もう、砂場の中に大きい石があるとしか思えないレベルの知識しかありませんが、れっきとした古墳群。
自転車で通る度に『大きな石がある!』と気になっていたようで、さすが巨石好き、古墳好きの息子チョイスでした。
この日メインだった安威砦跡には入れませんでしたが、この空を見る為に自転車を走らせていたのではないかと思うくらいに、とても気持ちの良い空でした。
私の撮影技術では伝わらなくて残念ですが、良い空参りとなったサイクリングでした(^^)