シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪】行者山、行場巡り その2

怖がりの癖に先に行きたがる息子。

『なんか道がある』に付いていくことに。

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今しがたお昼ご飯を食べていたと思われる岩の横に出てくるルートのようです。
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これが胎内くぐり?
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だとしても、高さがあり全く登れそうにもありません( ;∀;)

ひたすら下り坂を道があるようなないような場所を踏みしめて降りていきます。
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一足お先に到着。

やはり大きな岩です。
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これが胎内くぐりの入り口?
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往生際悪く、まだ探しています(笑)

 

やはり胎内くぐりの入り口は行きも帰りも分からず、行場巡りを後にして、次は大日如来坐像の先にある本堂を目指します。
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下記、行者山の由緒書きの抜粋です。

修験道の開祖といわれる役小角が天智八年(669)当地に入り、道場開設の草創者になったとされている。

下って平安時代には醍醐寺をひらいた修験道中興の祖といわれた理源大師が登拝し、自らの像を刻み行場復興に尽くしたといわれている。

また江戸前期の寛文年間(1661~72)以降、各所にそびえ立つ岩面に不動明王・弁財女・大日如来弥勒菩薩などが刻まれ、修験の行場にふさわしく整備された。

とくに正徳・享保年間(1711~35)には玉泉寺の宝雲上人らによって、岩窟に本堂を建て役行者の金銅仏が安置された。

かくして修験の法えんは広がり、近在近郷からの登拝者は列をなし、ついに吉野大峰と同じ行場として「摂津大峰」と名付けられるようになった。

昭和十年(1935)、光明講北摂組が山辺両区による多大な援助、さらには大阪本部の援助も得て、本堂を現在地に移転改築。大護摩修法のえぼし岩には湛海の筆になる不動尊を刻み、登り岩、とび岩には鎖などを備えて、更なる修験道信仰に寄与することになった。

 

本堂の裏手になにやらあるようです。
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コノ先、

 

 ・廻り岩

 ・爪刻の行者象岩

 ・かねかけ登り岩

 

とあります。

 

またしても好奇心旺盛な息子はひた走る(笑)
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道中おもしろい岩を発見しました。
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この切れ目。
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たまたま並んであるとは到底思えず、おもしろい。

 

随分と見慣れてきたとはいえ、それにしても巨石だらけ。
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この巨石の真横に女杉と思われる木がありました。
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ほどなくして、お目当ての爪刻の行者象岩に到着。
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中を覗いてみると、
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爪刻行者御真言経語
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『ふみわけし 我法の道したゆくる

人にはむすぶ、ゑんのうばそく』

 

と私には読めましたが、違うかもしれません。

ゑんのうばそくがチンプンカン分で調べてみました。

 

ゑんのうばそく

 役行者の呼び名。役優婆塞

 

うばそく(優婆塞)

仏教徒のなかで、在家の信者は、男性は優婆塞(うばそく、upāsaka)、女性は優婆夷(うばい、upāsikā)と呼ばれる。「upāsaka」という語には、仕える、敬う、礼拝するという意味があり、一般に在家信者は出家者に布施を行うことによって功徳を積む。また、出家者からは教えを受けて(法施)、生活の指針とする。

【出典元】Wikipedia

 

お堂の右手には石碑。
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その奥にも。
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そして上部には割れ目。
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お堂の左手にも石碑。

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お堂の上部の岩組み。
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このお堂の左手にある岩が『かねかけ登り岩』で、写真には写っていませんが、鎖が下がっておりこの垂直な岩を5m程登っていくようです。
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私はそもそも鎖の位置が高過ぎて、全く歯が立ちませんでした。

 

そして、この『爪刻の行者像岩』の上部に出ると、本堂から山頂へと繋がる山道へ出てきました。
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そして、この右手の岩に『洞ノ不動明王』がお祀りされています。
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写真だとあまり伝わりませんが、まぁまぁな坂を上った先に、またしても岩の割れめ上部に岩がはめ込まれた場所に不動明王が描かれた石がお祀りされていました。
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側に文字が彫られていました。
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読めませんが。。。

 

不動明王がお祀りされている右手には、修験道中興の祖『理源大師座像』の刻まれた巨石。
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ロープを伝って登ります。

息子は断念。

 

ロープで登った先に、巨石の上部の半分を垂直に削ったと思われる箇所に理源大師座像が刻まれていました。
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その左手に三角形の岩。
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理源大師座像の岩、真下からのアングル。
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山道を挟んでちょうど真向かいにも巨石。
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登ってみると、ちょうど下に本堂が見えます。
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山道から本堂まで降りてみました。
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先程、上から本堂を覗いていた岩の下に祠がありました。
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弥勒菩薩達磨大師とあります。
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先程本堂手前にあった由緒書きによると、弥勒菩薩は岩面に刻まれたとあるので、こちらの石像が達磨大師禅宗開祖)かと。

そして、その頭上にある巨石に弥勒菩薩が刻まれていたのだと思いますが、確認できていません。

 

さて、お堂の手前には『この石にはすわらないで下さい。』の岩。

他の岩には、私が見る限りでは同様の標識は見当たりませんでした。

 

ここで、またしても岩を持ち上げるの図。
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息子は手が届いていないので、残念ながらお役には立てていませんが(笑)

 

この大きな岩にぴったりと寄り添うようなかの木。
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面白い光景でした。

 

本堂です。
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このお山で色々な岩に出会いましたが、しめ縄のかかっている岩は初めてです。
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この一帯、本堂の周りは他より神聖な場所にあたるようです。

 

つづきます。