娘と二人新快速を待ちながら、10キロ弱のミドンプトンが今日の相棒です。
さてさて向った先は、先週お参りした三井寺の鎮守社 新羅善神堂。
スタート早々、道を通り過ぎてしまいふと目にした面白いモノ。
【大国と外法の角力】
『福(大国)と寿(外法)の角力(相撲)を見れば、大方は福が寿命をひきこかす(引転、引倒)なり。』と歌にある。
人の福への貪欲さを戒めたものである。
とあります。
何だか面白そうで調べてみました。
外法というのは寿老人(七福神の一人)のことです。
寿老人と大黒天が相撲を取っている絵です。
全く同じ構図の『相撲』という絵のパロディのようですが、財と寿命の相撲は両者が倒れるという諷刺にもなっています。
【出典元:風刺画 外法と大黒の相撲】
いずれの意訳にせよ、多過ぎる富を望むことは決して褒められたことではなく、まずは今あること、ものに感謝をすることが大事なような気がします。
さて、その絵の側に「弘文天皇御陵参拝道」の道標があり、左手に進んでみました。
ほどなくして案内板が見えてきました。
目的地の新羅善神堂はここから100mの場所にあるようです。
左手に勢いよく流れる水の音を聞きながら、どんどん細くなっていく道に、果てしてこの道で合っているのかと不安になりながらも進んでみると、
目の前に見えてきたのは左手に大きな木、そして石垣。
この辺りから周りの気配が一変します。
木の扉の先は開けた場所。
その中で異彩を放つこちらの正体は、倒れた姿の木の根。
後から見た図。
木の根のオブジェ。
表面は枯れてはいるものの、生きているのではと思うくらいに生命力を感じます。
奥に見えるは新羅善神堂ですが、この圧倒される空間の先が見たく、お参りを後回しに散策です。
木々達のあまりの素晴らしさに、写真を撮るのももどかしく
あまりの暑さで頭がおかしくなったのか、嬉しくて泣いているのか、そもそもなんで嬉しいのか、もう何とも表現のし難い感情で、それでもその場所にいるだけで、何とも満ち足りた気分でした。
まだまだ木のオンパレードが続きます。
木に気を取られ過ぎており、気付けば鳥居が見えてきました。
その鳥居の近くにあった、少し変わった木。
木の幹に、何か動物のような目のグリッとした顔のようなものが見えます。
気のせいと思えばそれまでなのですが。
こちらは鳥居から真正面に見える木。
その木の側から鳥居を見た図。
この直線の参道は面白いです。
何が?と聞かれると説明しにくいのですが、気配がとっても濃ゆいです。
そして、この石階段を上がれば初めに足を踏み入れた一帯。
この石階段の左手に、ここに足を踏み入れてからとても気になっていた木。
目が離せない木の根元
竹林の中でこの二本の木は異彩を放っており、生命力に満ち溢れています。
こちらの一帯は崩れかけた石垣が、木の圧倒的な生命力を際立たせるかのよう
随分と木と戯れていました。
やっとお参りです(^^;
清々しい気配。
案内板より
三井寺の鎮守社の一つで、北院伽藍の中心建築です。
現在の建物は、足利尊氏によって貞和三年(1347年)に再興されました。檜皮葺屋根の流れるような美しさをもつ社伝建築で、「流造」の代表的遺構として知られています。
道内の須弥壇には素木の厨子が安置され、三井寺の開祖・智証大師ゆかりの国宝・新羅明神坐像がまつられています。
平安時代、河内源氏の武将・源頼義の三男・義光が、新羅明神の社前で元服し、新羅三郎義光と称したことから三井寺は源氏一門をはじめ河内源氏の流れを汲む足利家の尊崇を集めることとなりました。
北院のみが境内から500mも離れた場所にあり、園城寺鎮守神の本尊・新羅明神(しんらみょうじん)坐像を祀っているにもかかわらず、この距離感。
なんとも不思議な感じがします。
講師の隙間から中を覗いてみます。
中心のお堂の右手と
左手にお堂(お社?)のようなものがありました。
この間、人が来た気配もなく、誰に会うこともなく、国宝とは思えない忘れられた場所のよう。
お堂周りの空気は、ここから100mも下ったところに市役所や消防署があるとは思えないくらいに全く様相が異なり、異次元です。
さて、順序は前後しますが、新羅善神堂へのお参りの前に見かけた道標で、新羅三郎のお墓へ行っていました。
つづきます。