シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【滋賀】新羅三郎のお墓と、天智天皇の第一皇子弘文天皇前陵

新羅善神堂の境内にあった標識に気になる文字を見つけました。

新羅三郎の墓』

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道が狭く、人気もなく、そして何だか薄暗い。。。
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でも気になります。

考えていても仕方ありません。

進んでみることに。
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足元の石畳を歩いていくと、見えてきました!
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鳥居の向こうに、お椀をさかさまにした墳丘のようなものが見え、その墳丘の中心から一本の木が生えており、印象的でした。

こちらがお墓になるようです。
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お墓というからにはてっきり墓石のような形状を想像していたのですが、どちらかと言うと古墳のよう。

 

すぐそばに、案内板がありました。
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案内板より、

新羅三郎は、源義光のこと源頼義の子にあたります。

兄に源義家源義綱がいます。

新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、賀茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
義光は弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083~87)には、兄の義家を助けるため奥州へ出向いて、清原氏の乱を兄に協力して治めています。

義光は1127年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。

 

新羅三郎は本名ではなく、新羅善神堂の神前にて元服した源義光とのこと。 

兄の八幡太郎義家は石清水八幡宮の神前で、加茂二郎義綱は賀茂神社の神前で元服したことによる名前だそうです。

 

こちらの石碑は漢字の羅列で何と書いているかは全く分かりませんでした。
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お墓の右横にはこのような石垣。
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その石垣から見た鳥居の周辺。
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新羅善神堂と同様、ここでも誰にも会うことなく、標識が無ければ『果たしてこの道で合っているのかどうか。。。』と思われる場所にお墓はありました。

かといって、陰気漂う怖い場所というと、そうでもなく、きっとそれはお山の状態が良いからなのかもしれません。

長等山中腹にある三井寺へお参りに行ってから、どうにも長等山が気になります。

 

さて、新羅三郎のお墓へお参りに行く前に、こちらへも立ち寄っていました。

 

弘文天皇 長等山前陵』
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新羅善神堂の鳥居を出てすぐの場所にあり、気になって立ち寄っていました。
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大津市役所の真裏にあるとは思えないほどの静寂さ。

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とてもスッキリした雰囲気。
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ここで、弘文天皇とは?

 

弘文天皇(こうぶんてんのう、648年〈大化4年〉- 672年8月21日〈天武天皇元年7月23日〉)は、日本の第39代天皇(在位:672年1月9日〈天智天皇10年12月5日〉- 672年8月21日〈天武天皇元年7月23日〉)。

諱は大友(おおとも)または伊賀(いが)。

1870年(明治3年)に漢風諡号弘文天皇を贈られ、歴代天皇に列せられたが、実際に大王に即位したかどうか定かではなく、大友皇子と表記されることも多い。

天智天皇の第一皇子。母は伊賀采女宅子娘(いがのうねめ・やかこのいらつめ)。天智後継者として統治したが、壬申の乱において叔父・大海人皇子(後の天武天皇)に敗北し、首を吊って自害する。

 

【出典元:弘文天皇 - Wikipedia

 

弘文天皇壬申の乱で有名な大友皇子

近江神宮の御祭神の天智天皇の第一皇子。皇位継承者。

壬申の乱天智天皇の弟、大海人皇子に敗北。

 

歴史の教科書で習ったことが、今まさに臨場感を伴って脳内で再現されるかのよう。

 

新羅善心堂へ行くつもりが、結果新羅三郎と大友皇子のお墓にも立ち寄ることとなり、その場でどんどんと繋がっていく点と点が線になる様はなんとも楽しい時間です。

 

さて、居心地がよく長居をした新羅善心堂ですが、まだ娘との約束まで時間があります。

次はウサギ好きな息子へのお土産に、ウサギに関連する神社へ向かいます。

 

続きます。