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とくれば、残るは元伊勢の籠神社。
念願叶ってお参りです。
宮津市にある道の駅に何気なく飾られていたこちらの絵画。
娘が『ジブリの絵みたい!』とたいそう気に入っていましたが、それもそのはず、左手のプロフィールにスタジオジブリのイラストレーターだったか、監督をされている方の絵と説明がありました。
あとでプロフィールを読もうと写真を撮るはずが、撮れておらず詳細は不明です。。。
それにしても、なぜ『天橋立と龍』なのか。
調べてみたところ見るポイントによって
・天に舞い上がる龍のように見えることから『飛龍観』
と見え方が変わるようです。
こちらのサイトが分かりやすかったです。
☟
絵の構図は、天橋立ビューランド側から見た天橋立で飛龍観の見え方。
私達が今回股覗きをするのは、笠松公園側からなので龍は見れませんが、今回の最大の目的の籠神社に参拝できるだけで充分です(^^)
さて、そのまま天橋立を直進して自転車で渡っても面白くありません。
せっかくなので、ぐるりと海岸線沿いを回って目的地の元伊勢籠神社へ行くことに。
久し振りに目の前に娘の姿があるだけで、何だかワクワク(^^)
ここ最近はむさ苦しい男子二人(主人、息子)との行動か、一人サイクリングだっただけに嬉しさもひとしおです。
その阿蘇海が見渡せる芝生の綺麗な阿蘇シーサイドパークというところで休憩。
我が家の一番の自転車バカ、小高い山を下るの図(笑)
少し休憩のつもりが、あまりの居心地の良さ、人気のなさに気付けば1時間は滞在しておりました。
さて、目的地へはあと少し。
阿蘇海沿いに自転車をひたすら走らせます。
籠神社へ到着!
思っていたよりも、鳥居も外観も何もかもが新しく感じました。
【御由緒】
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間ご一緒にお祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。その故事により当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております。
両大神が伊勢にお遷りの後、養老三年に本宮を奥宮眞名井神社(吉佐宮)の地から、現今の籠神社の地へとお遷して、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改め、天孫彦火明命を主祭神としてお祀りしました。
旧社名の匏宮の「匏(よさ)」と吉佐宮の「吉佐(よさ)」という宮号は現在も郡名(与謝郡)や海の名称(与謝の海)となって継承されて来ております。
【出典元:https://www.motoise.jp/】
エーお顔の狛犬さん
これより先、写真撮影は不可とのことでしたので、詳細は下記籠神社のHPをご覧下さい。
☟
丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) 奥宮 真名井神社(まないじんじゃ) | 京都丹後日本三景天橋立
さて、御朱印を頂いた後は奥宮の眞名井神社へと向かいます
境内を出てすぐの場所に、池があり亀の置物だけと思いきや背中に亀二匹。
あまりにもこちらに視線を合わせてくるので、面白くなってこちらも応戦。
ズームです(笑)
側で様子を見ていたもう一匹も参戦(笑)
なかなか面白かったです(笑)
さて、籠(かご)神社と書いて籠(この)神社と呼ぶ、籠神社。
籠から連想されるのは、
「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、鶴と亀がすべった、後ろの正面、だあれ」
のかごめの唄。
亀がいました。
鶴はどこかにいるのでしょうか?