さて、亀さんに別れを告げて向かうは籠神社の奥宮、眞名井神社。
道中、このような案内板があり迷わず辿り着くことが出来ます。
ふと、道路の先を見やると草木のツルかと思えば蛇。
鶴には出会いませんでしたが、蛇の亡骸に出会いました。
写真を撮ろうかどうか迷いましたが、帰り道も同様の場所におり、巳年な私は弔いの意を込めて写真におさめました。
眞名井神社の案内板が見えてきました。
眞名井神社の裏には古代の祭祀形態である磐座(いわくら)が鎮座し、その磐座(神が宿る石)で神祀りが行われてきました。
神を祀る常設の社殿(神社)が無い時代の人々は大きい木や岩石、島や川などに神々が籠もると考え、それらを崇拝対象として神祀りを行っていました。
眞名井神社境内地には縄文時代から人々が住んでいた証である縄文時代の石斧や掻器などが出土し、また弥生時代のミニチュア祭祀土器破片や勾玉が出土しています。
そのため眞名井原一帯は縄文時代から神聖な地と考えられ人間が生活を営み、神々をお祀りしていたことが窺えます。
【出典元:奥宮 眞名井神社|丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) 奥宮 真名井神社(まないじんじゃ)】
伊勢神宮外宮の元宮であるくらいの知識しかありませんでしたが、眞名井神社の裏には磐座があるようです。
久々の磐座。
楽しみです(^^)
そのむさ苦しい男子チームはよく生き物を発見します。
道中、トカゲを見つけてむさ男(小)大喜び。
どんどん進んでいくと、両側が木のおかげで日差しが遮られ暑さも忘れる心地良さ。
もう一つの鳥居に到着。
狛犬さんならぬ、狛龍さんです。
伏見神宝神社を思い出しました。
【京都】狛龍さんに会いに、伏見神宝神社 - シロンプトンでパンとお参りと
そして、写真はありませんが籠神社内にある稲荷神社の両脇にも狛龍さんがいたことも何か繋がりがあるのかもしれません。
こちらの石碑、上部には三つ巴の紋が刻まれていますが、以前はカゴメ紋(六芒星)が刻まれていたようです。
天吉葛宮(あめのよさづらのみや)、比沼眞名井神社、久志浜宮(くしはまのみや)、元伊勢大元宮は眞名井神社の古名となるそうです。
【ガイアの法則 千賀一生著】
漢字は違えど、比沼麻奈為神社が記載されています。
皇大神社と合わせてお参りを目論んでいますが、お参りだけでは子供達は釣れず、母の画策は続きます(笑)
これより先は、籠神社同様、写真撮影不可。
磐座は想像していた以上に神秘的で、特に、天照大神小宮霊畤と天御中主大神霊畤の磐座、そしてその上部から伸びている木々は素晴らしかったです。
磐座周りのお山の状態と木々達も最高でした。
写真技術は元からありませんが、この素晴らしさを伝えきれない文章力、語彙力のなさが情けなく、下記、籠神社のHPの眞名井神社の磐座をご参照下さい。
☟
【出典元:奥宮 眞名井神社|丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) 奥宮 真名井神社(まないじんじゃ)】
あと、この方のブログに磐座周辺の写真がたくさん掲載されていました。
☟
2009年当時は、磐座付近までお参り出来たようですね。
現在は写真撮影はおろか磐座へは近寄れないように柵が設けてありました。
禁止するということは、禁止されるだけのよろしくないことがあったのだと想像されます。
残念な事です。
さて、気を取り直して眞名井神社付近の立派な木を見をみつけてパチリ。
境内にはご神水の眞名井の水を頂ける場所があり、空になった水筒にありがたくいただきました。
連日の暑さに気力、体力共に枯れてしまいそうになりますが、そんな暑さを忘れさせるくらいに素晴らしい磐座でした。
つづきます。