シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都】傘松公園と関西の五色不動を探してみる

さて、眞名井神社を後に、お次は息子と娘が喜びそうなケーブルカーに乗って天橋立を一望できる場所へ。

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天橋立を挟んで、左手が日本海、右手が阿蘇海。

 

ケーブルカー終点の笠松駅は賑わっており、その名も『Ama Terrace(アマ テラス)』

 

天橋立と、天照大神と、天のテラスを掛け合わせただろうと思われる何ともうまいネーミングです(^^)

 

さて、そこから石階段を少し上がった先に更に見晴らしの良い場所があり、こちらが股覗き発祥の地になるそう。

ご覧の通り閑散としており、賑わいとは程遠くかえって落ち着きます。
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こちらの場所に唯一、一軒だけある売店の方にお話しを伺ったところ、ケーブルカーが出来るまではこちらがメインの傘松公園だったそうで、とても賑わっていたそうです。

 

売店の中には大正時代の頃と思われる着物を着たご婦人が、股覗きをされている写真が飾られており、着物好きな私としては、やはり日常着としての着物が好きな事を再認識。

 

ちなみに、その股覗きの台は息子がいる右側の台で、自然石だそうです。

ケーブルカーのある笠松公園の台は、昭和に入ってからコンクリートで作られたものだと聞きました。

 

こんなこともお店の方とお話しが出来たから知り得た話しで、いかに自分で発信して感じ、楽しむかですね(^^)

 

ちなみに私がお店の方と話し込んでいる傍らで、むさ男チームで何やら写真撮影(笑)
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石から石へと上手く飛べるようになったと喜ぶ息子。

小さなことでも、傍から見たら些細な事でも、こうやって出来るコトを積み重ね、自信に繋げることは大事だなと、ついつい楽をしようとしがちな私には良い戒めになります。

 

それにしても、良い景色。
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この笠松公園の名前の由来となったと思われる立派な松の木が、売店の横に威風堂々と存在しています。
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この松の後方から吹く山の風がとても涼しく、時間がないにもかかわらず、気付けばまたまた長居をしてしまいました(^^;
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さて、売店でおもしろい手拭いも買えたことだし、ここからは下山。

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先程ケーブルカーの窓口で、下山は徒歩15分くらいだと教えて頂いたので気分転換に山歩き。
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のはずが、山歩きというよりは急な石階段をひたすら下るという、サイクリングの後に拷問のような仕打ちでした(笑)
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笑う膝を抱えて、階段をちょうど下りきった場所にお堂がありました。
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大谷寺
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下記宮津市のHPも参考までに。

かつては籠【この】神社の神宮寺【じんぐうじ】(神社信仰と仏教信仰が融合した「神仏習合」の思想に基づいて出現した寺院)として大きな寺域を誇ったといわれ、雪舟天橋立図』には宝塔が描かれています。

また、不動明王を祀る堂宇を示すと考えられる「不動」の書き込みがみられ、真言密教名刹として強く意識されたことがうかがえます。

 室町時代(1460年頃)に籠神社大聖院の住持(住職)となった智海は、多くの不動明王図を残し、真言密教の修験者として足跡を残しています。また、丹後国守護代の延永春信らとともに智恩寺多宝塔の建立に携わり、『天橋立図』に描かれた都市的景観の建設に関わった可能性があります。

 まさに智海は、都市計画・設計などを総合的に行う現代の「地域プランナー」のような活躍をした人物といえ、雪舟が『天橋立図』を制作した背景に、彼の存在を指摘する説もあります。

 大谷寺の境内には、智海が願主となり造られた不動明王坐像(市指定文化財)や、智海の筆跡と思われる板碑が残され、大谷寺が丹後の中世史に果たした大きな役割を偲ぶことができます。

 (宮津市教育委員会

 

【出典元:お知らせ - みやづ歴史紀行(第17回) | 宮津市

 

案内板に記載のある、智海住職が残したとされる板碑。
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立札より

正面上部左右に金剛界大日如来種字(バーンク)と胎蔵界大日如来種字(アーンク)を、中央下方に阿弥陀如来種字(キリーク)を刻む。

 

判別しやすいように後年、白字でなぞったのだと思われますが、読めない梵字でも何だか見ているだけでワクワクします。

 

さて、その板碑のある左手に本堂があり、面白いものを発見しました。

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お寺といえば鰐口。

ではなくこの数珠のようなモノ。

引いて回すたびに、上から一つづつ数珠が落ちてきては、『コーン』と木と木がぶつかり合って音が鳴り響き、さながら打楽器のよう。

初めての経験に、少し多く引いてしまったような気がします(笑)

 

さて、境内出てすぐ右手に御朱印を頂ける寺務所兼自宅のような建物があり、ご本尊の不動明王坐像(黒不動さん)と、もう一種類(忘れてしまいました・・・。)のご朱印が頂けるようです。

 

黒不動で思い出しましたが、三井寺の微妙寺のご本尊は黄不動尊

 

となると、他にも色があるのでは?

気になり調べてみると、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)から五色不動(ごしきふどう)と呼ばれるお不動さんがいらっしゃるようで、東京では目黒不動目白不動目赤不動目青不動目黄不動の5種6個所の五色不動尊があり、五眼不動とも呼ばれるそう。

どうやら東京では五色不動巡りと呼ばれるものがあり盛んなようです。

変わってこちら関西はというと、五色不動巡りと呼ばれるものはないようで、多分これで五色?と思われるお寺を見つけました。

 

『青不動』

京都府東山区 天台宗寺院『青蓮院門跡』

御本尊『熾盛光如来(しじょこうにょらい)』

 

 

『赤不動』

和歌山県伊都郡高野町 『高野山別格本山・赤不動明王院』

 

『黄不動』

滋賀県大津市円城寺 天台寺門宗総本山『円城寺(通称三井寺)』

御本尊『弥勒菩薩(みろくぼさつ)』

 

『白不動』

京都府木津川市山城町童子 北吉野山『神童子

御本尊 蔵王権現

 

そして、今回の

『黒不動』

京都府宮津市 高野山真言宗 天蓋山『大谷寺』

御本尊 不動明王坐像

 

ネットでわかる範囲で調べただけですので他にもあるのかもしれませんが、私が調べた範囲での関西の五色不動です(^^)

 

さて、時間が押している為、御朱印を頂くことなく先に進みます。

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ここからはいよいよ天橋立サイクリング!

 

続きます。