大石神社の社務所右手から伸びる細い道。
右手のお山の荒廃っぷりが凄まじく、2年前の台風で大木が次々となぎ倒されたと社務所の方に聞きました。
そのなぎ倒された木々の側に本殿があり、間一髪のところで本殿には影響がなかったそうで、それでもこうやって当時の爪痕は残ったままです。
右奥の白っぽい幹の木が大石神社の境内社 義人社から見えていた木でやはり気になります。
変わって左手の木々は台風なんてなんのその、な佇まい。
分かりにくいですが、大石神社の裏手のお山から流れてくるお水が川になっていました。
そして、短いながらも自然豊かなこの道の周りは京都市の『自然風景保全地区』に指定されているようです。
木の根が立派です。
そんな気持ちの良い道沿いにお地蔵様が並んでいました。
さて、道なりに進んでいくと右手に岩屋寺。
下記、Wikipediaより。
岩屋寺(いわやじ)は、京都府京都市山科区西野山桜の馬場町にある曹洞宗の寺院。
赤穂事件で有名な大石良雄が隠棲したところと伝えられ、大石寺とも称される。
本堂には、本尊の周りに赤穂浪士・四十七士の位牌が並べられている。また、大石良雄が使用した文机や鍵付き貴重品箱などの遺品が保管、展示されている。
この寺の創建年代等については不詳であるが、古くは天台宗に属していた。住職は代々尼僧が勤める事になっている。
【出典元:岩屋寺 (京都市) - Wikipedia】
大石内蔵助が隠棲したお寺とあり、大石寺とも呼ばれているそうで大石神社が岩屋寺の側に創建されたのも納得です。
住職は代々尼僧が勤めることになっているとありますが、気になります。
立ち寄りたかったのですが足場を組んだ大掛かりな改修でしょうか、工事をされていた為今回は見送ることにしました。
当初のお目当ての山科神社はその岩屋寺向かってに左手にありました。
【由緒書き】
日本武尊(やまとたけるのみこと)・武王稚(わかたけのみこと)を祀る。
社伝によれば寛平九年(八九七)宇多天王の勅命により創建されたと伝え、以後、この地の豪族宮道(みやじ)氏の祖神として、また山科一ノ宮とも呼ばれてこの地の産土神として人々の崇敬を受けて栄えてきた。
盛時には、社領を丹波、山城に持ち、社殿の規模も大きかったが、度々の兵火のため焼失し、現在は、三間社流造の本殿及び権殿、拝殿、神庫などが残っている。
また、元禄十四、五年(一七〇一~〇二)赤穂浪士の大石良雄が山科の里に隠棲していたが、その時、当社奥の院岩屋神社に参篭して、大願成就を祈ったといわれている。
例祭は、「山科祭」と呼ばれ、毎年十月十日に行われる。
鳥居をくぐってすぐ、見た目ではわからないけれども急な坂道。
雨上がりの上に苔も生えており、気を抜くと滑ります。
手すりを頼りに石階段を上がると、すぐ目の前に拝殿。
右手に手水舎。
手水舎には『岩屋大明神』と彫られています。
岩屋三社と呼ばれていた山科神社と、その東方向にある岩屋神社との繋がりを一つ見つけました。
中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社(岩屋神社)であり、西が山科神社、上は不明である。
【出典元:【公式サイト】山科一之宮 岩屋神社 | 由緒】
拝殿後ろのお山は大石神社の裏手のお山と同様です。
右手のご神木が痛々しく、根の状態からするとさぞや立派なご神木だったのではなかろうかと。
狛犬さん
足元が随分と苔むしています。
本殿右手にずらりと並ぶ境内社。
奥から愛宕神社、弁財天社、天満宮社、春日社、竈社、稲荷社、山王社、夷社と圧巻のお社勢揃い。
お社のサイズはバラバラですが、間隔を区切って丁寧にお祀りされています。
目の前の玉砂利は白。
白は邪気を清める色とされているそうで、実際にとても清々しい場所でした。
さて、息子の姿が見当たらないと思ったら、境内社の後方に回った息子が何か見つけた模様です。
付いていくことに。
イノシシ除けの柵がされている向こう側にお社が見えます!
チェーンを外して進んでいくと、
【多?社】
後で調べようと写真を間近で撮ったつもりなのに文字がぼやけており、『?』の文字が分かりません(^^;
『庚』でしょうか。
色々漢字を調べてみても、該当する文字が見当たらず・・・。
この奥も気になりましたが、雨上がりのぬかるんだ山道。
『雨上がり 山』とくれば・・・前回血液を飲みに飲まれたヒル!(笑)
家族全員軽装の為、今回はここで下ることにしました。
『多?社』も気になりますし、またお参りに来なさいということでしょう。
こちらは本殿左手にあったお社。
正面が護国社で、その右手に権殿。
権殿とは、下記コトバンクより。
社殿を造営・修理する間、神体を仮に奉安する場所。
仮殿(かりどの)。
【出典元:権殿とは - コトバンク】
帰りも行きと同様、急な坂道を手すりを持って滑らないように慎重に歩きます。
さて、帰りに寄ろうと気になっていた場所がありました。
山科神社と岩間寺の間の稲荷社。
そして、側の立札は岩屋寺の由緒書きになりますが面白い箇所を見つけました。
創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであったが、現在は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で遊山金地院と号する。
古来は隣接する山科神社の神宮寺であったと伝えられる。
赤穂義士・大石良雄(通称大石内蔵助)の隠棲地として有名で、大石寺とも呼ばれる。
本堂に安置する本尊大聖不動明王は智証大師の作とされ、大石 良雄の念持仏であったとう。
【滋賀】園城寺三井寺 其の一 - シロンプトンでパンとお参りと
更に、この立札からするとその智証大師の作とされる不動明王が大石内蔵助の念持仏。
その大石内蔵助の遺髪を埋めたとされる場所が、岩屋寺のすぐ側にありました。
【遺髪塚碑】
面白いことはまだまだ続きます。
大石内蔵助は滋賀県は瀬田の唐橋のムカデ退治で有名な藤原秀郷公の子孫にあたるそうで、藤原秀郷公といえば先日お参りした滋賀県大津市の龍宮秀郷社にお祀りされています。
【滋賀】瀬田は唐橋近く、勢田橋 龍宮秀郷社 - シロンプトンでパンとお参りと
こんな面白いことが分かったのは遺髪塚碑の二つ巴紋を調べていた際での偶然。
そして、何気なく地図を見ていてこれまた面白いことに気付きました。
大石神社、山科神社の裏手の威風堂々と感じたお山は稲荷神社の総本山、伏見稲荷大社のあるお山。
そのお山の上部には、まだ実際見たことはないのですが磐座があるそうです。
となると、
・岩屋寺そばの稲荷社は裏のお山の伏見稲荷大社を拝むためのお社。
・稲荷神社の東の麓にある山科神社と大石神社は稲荷神社のある山がご神体?
ただし、
・山科神社の直線状にある岩屋神社は山科神社の奥の院とされている。
バラバラだった点と点が線になってきたような感じですが、相変わらずバラバラのような気もします(^^;
それでも行ってみなければ分からない、知り得ないことが沢山。
そして、体験し気付くことによってまた新たな入り口が見えてきたようなお参りとなりました。
翌日はサイクリングがてら、大阪でお参りです(^^)