さて、このあと平坦な道が続くばかりかと思いきや、右折した途端男山の激坂!
家族全員まさかの坂道に心構えができておらず、それでも登り切った達成感。
と同時に、お次は一気に下ります。
その下った先、住宅街の中にお目当ての神社はありました。
住宅街の中に突如として現れた神社とは思えません。
鎮守の森が生きています。
『日本書紀』によると、越前(福井県)の三国(みくに)から迎えられた男大迹王(おおどのおおきみ)は、のちに継体天皇として507年に樟葉で即位し、5年にわたり宮を営んだとされます。
樟葉宮跡の杜は交野天神社の境内にあり、石灯籠が並ぶ参道を進むと拝殿の向こうに室町時代の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で桧皮葺の交野天神社本殿と末社八幡神社本殿が見え、拝殿右側の杜の奥には貴船神社が鎮座する小丘があります。この小丘周辺は継体天皇が即位した樟葉宮跡の伝承地として大阪府の史跡に指定され、小丘の麓には顕彰碑が立っています。
太古からの原生林の姿を残し、かすかな木漏れ陽は、訪ねる人を遠く古代に誘います。
鎌倉時代の関白左大臣・一条実経(いちじょうさねつね、1223~84)は、「くもらじな ますみの鏡 かげそふる くずはの宮の 春の夜の月」(続古今和歌集)と詠んでいます。ここからほど近い「市民の森」にある鏡伝池(きょうでんいけ)は、古来観月の名所で、鷹狩りのあと鷹の姿を水面に映すのが慣わしだったといわれています。
継体天皇といえば、高槻市にある今城塚古墳が墳墓とされていますが、淀川を挟んで対岸の枚方市は樟葉の地で即位されたと、この掲示板で初めて知りました。
参道入ってすぐ右手に気になる箇所がありました。
『七福神』
の石碑に巾着のような形をした石像。
何かの繋がりがあるのかもしれませんが、私には分かりません。
毎度のことながら、一つづつ調べてゆきます。
まずは、石碑から。
【金毘羅大権現とは?】
香川県琴平町の象頭山に鎮座する山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、本地仏は不動明王、千手観音、十一面観音など諸説ある。
祭神は、天竺からの飛翔仏であるがゆえ日本の神々とは無縁であるが、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈が行われた以降は、大物主とされた。
その神仏分離以前は讃岐国象頭山松尾寺金光院(現在の香川県琴平町の金刀比羅宮)を総本宮とする日本全国の金毘羅宮および金毘羅権現社で祀られていた。
【由来】
象頭山松尾寺普門院の縁起によれば、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山に住する護法善神金毘羅(クンビーラ)の神験に遭ったのが開山の由来との伝承から、これが象頭山金毘羅大権現になったとされ、不動明王を本地仏とした。
【出典元:金毘羅権現 - Wikipedia】
役行者さんが出てきました。
そして、不動明王に大物主命。
役行者、瀬織津姫、饒速日命とくれば空海さんもどこかに隠されているのでは?と勘ぐってしまいますが、私には分かりません。
そもそも、あくまでも私の推測ですので全ては曖昧模糊としております(^^;
さてお次は巾着袋のような石像。
寶山寺は役行者が梵文般若経を書写して納め、弘法大師も若いころ修行されたお寺。
ここで空海さんが出てきました!
実際、巨巌や奇石の宝庫の生駒山。
石碑と巾着袋から連想されるのは、
・役行者
・空海
・巨石(磐座)
・生駒山
巾着といえば、寶山寺の歓喜天像が手にする巾着袋。
その巾着袋は砂金を入れるものとされ、ご利益の象徴的なアイテムです。
ガネーシャ(『大聖歓喜天』あるいは『歓喜自在天』)が好むとして供えられるものに“モーダカ”という菓子があり、モーダカとは“小さい糖菓”・“陽気にさせる”との意だという。
これが中国で、聖天を喜ばせる菓子として『歓喜団』と訳されたという。
歓喜団はいろんな具を薄皮で包み饅頭のように丸めた一種のお菓子で、その上部をつまんで結んだ姿が昔の巾着に似ていることから、わが国で『巾着』にすり替わったらしい。
聖天が好む歓喜団=巾着を供えることで金運上昇を願う、という庶民の願望を示すものである。一方、この歓喜団を女性の子宮と見る見方もある。
この子宮から女陰が連想され、凶暴な障碍神であるガネーシャに女陰を捧げることで宥めるというわけで、十一面観音が女体と化してガネーシャを回心させたという伝承にも通じる解釈である。
このように、栄養剤・精力剤としての大根と、人が最も好むお金を入れる巾着は、聖天が与えるご利益・健康と富を表す象徴である。
しかし、棒状の大根を男性器・リンガ、袋状の巾着を女性器・ヨーニとみると、これら抽象化された両者をもって双身歓喜天を表すともいえる。
“性は秘め事”とするわが国にあって、聖天に対する解説も綺麗事にすり替えられ、本来はありがたい仏神であるはずの双身歓喜天は秘仏とされ、人目から隠されたのであろう。
【出典元:生駒聖天】
なぜ石像と巾着が交野天神社の参道にあるのかは分かりませんが、役行者に空海さん、瀬織津姫、饒速日命のご夫婦、そして男女の交わりを表すかのような巾着が暗示する双身歓喜天。
石碑と巾着のある一帯は、縄文信仰が暗示されているような場所でした。
まだお参りどころか鳥居もくぐっていませんが、ふと気になった箇所で謎かけを挑まれたような感じがしなくもありません(笑)
何気なくあるものに、隠された何かが見え隠れするこの時間が何よりも面白く、ブログに文章を起こす楽しみです(^^)
さて、これからお参りです。