とある日の朝。
自宅から大阪市内に向けて、往復50キロオーバーのサイクリングへ。
淀川沿いに出ると、『こちらへどうぞ。』と教えてくれているかのような雲に出会い、『同じ方向へ行くのです。』と心の中で返事。
この場所で少し休憩したのち、自転車を走らせていると目についた文字が『八雲小学校』
更に、進んで信号待ちで立ち止まった場所が『太子橋』の標識。
雲はまだまだ先に進みます。
『八雲小学校』『太子橋』となんだか謎かけを挑まれているような気分。
さて今回の目的は母、甥っ子、姪っ子の誕生日会。
目的地で美味しいランチをいただいて、シェフが『雪だるま!』だと言い張るどう見てもハロウィンのオバケにしか見えないラテアートを堪能して、帰りも淀川沿いをひた走ります。
日没までには我が家に到着したいと気は焦るものの、焦りは禁物。
結局、どっぷり日が暮れての帰宅となりましたが、お参りはしていないものの土地から感じるものがありました。
『八雲』と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、素戔嗚尊が詠んだ日本最古の和歌。
(やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)
【現代語訳】
何重にも重なりある雲が立ち上る ここ出雲に立ち上るのは八重垣のような雲だ。
妻と住む宮にも八重垣を作っているよ そう八重垣を。
八岐大蛇との戦いに勝った素戔嗚尊が、櫛名田姫と新居を構えた出雲で詠んだとされており、歌は詳しくありませんがそれでも素戔嗚尊の喜びの大きさをとても感じます。
往路の休憩に選んだ場所の近くに、八坂瓊神社があることが帰ってから分かりました。
八坂神社の御祭神といえば、これまた素戔嗚尊です。
八坂瓊の『瓊』の漢字は瓊瓊杵尊からの一文字でしょうか。
瓊の単漢字での意味は、『たま』『に』と読み、美しい玉。また、玉のように美しいものとのこと。
更に面白いことに地図をよく見て見ると、少し離れた場所に八雲神社までありました。
さて、八雲小学校から進んだ先の太子橋。
太子橋から連想されるのは『聖徳太子』
こちらも帰ってから地図を見て納得。
淀川を挟んだ先に『大宮内 聖徳太子社』
俄然面白くなってきました!
聖徳太子といえば、忘れてならないのが側近の『秦河勝』の存在。
これまた調べてみると、秦河勝のお墓と伝えられている場所が同じく寝屋川の北部に存在します。
所在地は漢字は違えども川勝町とあり、地図を更によく見てみると周りの地名は太秦。
太秦といえば京都!
その京都の太秦には聖徳太子が信仰し、秦河勝が建てたとされる広隆寺があります。
聖徳太子の命日は11月22日。
寝屋川にある秦河勝の墓の所在地は川勝町2-22。
色々と符合するところが多く、京都太秦と離れた場所にある寝屋川太秦。
更に、太子、八雲、素戔嗚尊。
頭で考えられるのは所詮この程度。
これは是非、秦河勝の墓に行ってみなければなりません。
寝屋川市は今まで目的地へ行く際に通過するくらいでしたが、気になります。
2022年、ご縁があれば訪れる機会が多くなりそうな気がします。