歩くだけでも楽しかった石切商店街を通り過ぎると、目の前に近鉄電車の高架が見えてきました。
とりあえず真っすぐ進んでみることに。
歩くこと数分。
ほどなくして、お社が見えてきました。
きっと親子な牛の像。
手水舎のお水はとても清らかです。
牛さんがこっちを見てるよー(笑)
【御由緒】
石切劔箭神社は 神武紀元二年 現在の生駒山山頂に程近い宮山に饒速日尊を奉斎した事をもって創祀と致します。
その後、崇神天皇の御代には可美真手命を奉斎するため下之社(現御本社)が創建され長らく饒速日尊を祀る宮山、可美真手命を祀る下之社(合わせて石切劔箭神社二坐)として祭祀が継承されました。
慶安三年(1650)宮山の御神座は光堂山(現在の上之社鎮座地)に御遷座が行われ、下之社に対し上之社と称されるようになります。
しかしながら時代は下って明治四十年 政府の神社合祀政策によって上之社は下之社に合祀される事となります。その後上之社跡地として石碑のみを有する形となりましたが、崇敬される参拝社は後を絶たず多くの方々の御懇志により昭和四十七年に再興され現在に至ります。
現上之社の御本殿は、元は下之社本殿として造営された室町時代の建築によるもので、昭和七年に現本社本殿造営を機に解体保存されていたものです。
【和御魂と荒御魂】
神様のお働きには和御魂と荒御魂という二つの側面があります。和御魂は優しく平和的な側面であり、荒御魂は荒々しい側面です。
荒御魂は勇猛果敢で義侠心に富むとされ、その荒々しさから新しい事象を生み出す活力の源とされています。
和御魂と荒御魂は同一神ですが別の神様に見えるほど強い個性をお持ちです。
伊勢の皇大神宮(内宮)における正宮は天照大神の和御魂をお祀りし、荒祭宮には荒御魂がお祀りされています。
同様に上之社では取り立てて石切劔箭大神様の荒御魂を畏れ畏み、奉斎しております。
さて、石階段を上がれば
【石切神社 上之社】
御祭神:饒速日尊の荒御魂、とその御子の可美真手命(うましまでのみこと)の荒御魂
上之社は石切剣箭神社と御祭神は同じですが、両柱の荒魂をお祀りされているようです。
ちょっと気難しい感じの狛犬さん
こちらの狛犬さんも同様な気が・・・(^^;
拝殿の左横に【石切剣箭神社上之社址】の石碑
石碑から左手に続く道がありました。
石切りの御滝とあります。
案内板によると滝行も出来るようです。
滝の側にはもちろんのお不動さん。
その滝の下には池。
上部に先程の滝の案内板が小さく見えます。
先に進むと【婦道神社】
御祭神:弟橘姫命(日本武尊の御妃)、御炊屋媛
弟橘姫命といえば、海神の怒りを鎮める為に、海に入水して夫の日本武尊の危機を救ったとされる姫命。
一緒にお祭りされている御炊屋媛は饒速日命の御妃。
どちらも物部氏の祖。
奥にある何とも変わった形のドームのような建物が気になります。
近付いてみると、内部は見えず真っ暗。
このドームのようなお社は登美霊(とみれい)社というのだそうです。
平成30年の時点で修復の見通しが立たないと案内されており、それからすでに5年。
辺りを見回したところ工事がされているような形跡は見えず、修繕の目途はたっていないように思われます。
御祭神の三炊屋媛は先程の婦道神社で弟橘姫命と一緒にお祭りされています。
そのまま道なりに進んでいくと、またしてもお社が。
八大龍王の石碑があります。
【八大龍王社】
御祭神:八大龍王神
手水舎周りの紅葉がとても綺麗。
鈴緒はコロナ対策で使用できないようになっていました。
残念・・・。
八大龍王社を後にし、そのまま下っていくと上之社の石階段の場所に戻って来ました。
ふと、石灯篭を見上げると下り藤の神紋。
藤といえば藤原氏。
行きとは別の石階を下ります。
下の石切剣箭神社とはうって変わって、上之社の参拝客は我が家だけ。
さてさて、沢山歩いた後はお楽しみの石切参道商店街に戻ってお買い物♪
和菓子好きな娘のリクエストはいちご大福。
白あんがとても上品で美味しかったです。
子供達は商店街がよほど楽しかったのか、また石切さんに行きたいとのリクエスト。
次回はもう一店舗の和菓子屋さんで買うのだそう(笑)
息子は自分の大事なお小遣いから、こんなものを購入していました。
まさかの石。
それも水晶。
商店街の中の石屋さんを目敏く見つけた息子。
誰もいない店内にもかかわらず一人意気揚々と入っていったかと思うと店内を隅々まで物色。
自分のお財布と相談して、なけなしの500円玉一枚をお支払いして500円の水晶を購入していました。
そんな息子を遠目に見ながら『変わってるわー。』の私の一言に、主人と娘が『お母さんにそっくり!』と同時に言われて『?』な私。
私はいたって普通だと思っているのですが、身内であってもそうではないらしいです(^^;
となると、他人から見た私はとても変人なのではないかと思うのですが、どうにもこうにもこれが私なのでどうしようもなく・・・。
他人から見た自分より、自分が自分として心地良く生きられるか。
もちろん、周りに迷惑をかけないのは大前提ですが。
自分に嘘偽りなく生きていきたい、と再認識したお参りとなりました。