以前、通りすがった道で素戔嗚尊と聖徳太子の繋がりを感じ、その際Googleマップで気になっていた聖徳太子繋がりの場所に今日は一人ふらりとサンクリング。
左側に『一切悪事〇消滅』と彫られています。
調べ方が悪いのか、手掛かりになるものが分かりませんでした。
聖徳太子が作られたお地蔵様が拝見できるのであればと思っていましたが、扉が開いていることもなく、説明書きもなく、石柱の文字のみを確認して終了(笑)
さて、あまりにもあっさりと今日の目的を達成した為、このまま帰るのもなんだかとGoogleマップを見てみると、面白い場所を発見しました。
現在地を少し北上した場所に役行者尊(大塚神社境内)とあります。
これは行ってみなければなりません。
自転車でものの5分もしないうちに到着。
【大塚神社】
紅白の少し厳めしい狛犬さんの間を通り抜け、参道を進むと右手に石碑がありました。
御祭神:高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)
【由来】
当神社は大塚に古くから鎮座する村社で、ご祭神 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二柱を祀る。
建武2年(1335)5月、当地大洪水の際、二神の木像が流れ着き、これを僧侶恵慶(えいけい)が祀ったことが始まる。
産霊(むすび)は天地万物を産み出す神であり、「むすぶ」という言葉から、諸願成就・縁結び・五穀豊穣・合格祈願に霊験あらたかな神とされる。
なお 大塚神社は現在の場所より淀川べりに位置したが、昭和16年(1941)の淀川改修工事のため堤防が後退したのに伴い現在地に移転した。
【大塚の地 伝承】
平安時代後期(9世紀中頃)清和天皇が皇子の陽成天皇に譲位した後、日本諸国を巡ったという。そして当地の「松ケ崎」に立ち寄り、小松原で休憩をとり淀川の風景を楽しんだ。そのとき天皇は松の木に冠をかけたまま帰国され、気づいた村人はその王冠を埋めて「王塚」と名付けた。
造花三神のうち二神がお祀りされています。
残る一神は天之御中主神。
【滋賀】天之御中主尊神社、と感謝の気持ち - シロンプトンでパンとお参りと
京都では、木嶋坐天照御魂神社の御祭神の一神が天之御中主神です。
【京都】木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)で水を思う - シロンプトンでパンとお参りと
大塚神社の第一印象は、木々は生い茂ってはいないもののどの木もとても立派な事。
町名が付いた神社だった為てっきり小さい神社かと勝手に想像していたのですが、境内は広くとても良い空間。
【拝殿】
拝殿左手に稲荷神社。
お社の後ろに幹回り根の張り共にとても立派な木。
先日お参りした笠置山の稲荷神社を彷彿とさせる1ショット。
こちらは稲荷神社の手前に、拝殿と稲荷神社が南向きなのに対し、左向きにお祀りされている役行者尊
いやはや、溜息ものの木ばかりです。
私が小さい頃は、神社の境内が当たり前のように遊び場で、境内にはブランコやジャングルジム、シーソーに砂場など遊具がある神社も沢山ありました。
こんな木が沢山ある境内で、走り回って遊べたら、それはそれはとっても元気な子に育つのじゃなかろうかと思います。
木も喜びますしね。
境内も活気づくと思います。
もちろん遊ばせてもらうからにはお片付けや丁寧に扱うなど、全体のルールを守っては当たり前のことですが。
親以外に、地域の人や見えないものから見守られて遊べる場所が少なくなってしまったと思いました。
なんで神社で遊ばなく(遊べなく?)なってしまったんでしょうか。
根の張りに圧倒されっぱなしで境内を散策していると、
拝殿の後ろ手にお社があるのが見えました。
【大塚殿小宮】
由緒書きにあった、清和天皇がお祀りされているお社。
清和天皇が淀川の景色を眺められ、そのとき天皇は松の木に冠をかけたまま帰国され、気づいた村人はその王冠を埋めて「王塚」と名付けた。
大塚地区の名の由来になった王塚。
こちらの境内も見事な幹回りの木。
上部は冬だからなのか枯れていますが、何の木になのでしょう。
その木の根元には、なかなかひょうきんな狛犬さん。
対の狛犬さんの顔には、思わず頬が緩みました。
『えっ!?なんていってんの?』と喋っているかのような表情(笑)
拝殿の左手の木。
大塚神社の境内の木は本当に面白い。
『この根の張りたるや!』
一人で興奮。
惚れ惚れしてしまいます。
上部
境内右手に一本、途中で切られている木がありました。
境内をぐるりと取り囲むかのように住宅密集地にある大塚神社。
それでも、人の声がすることもなく(平日のお昼前ということもあるのかもしれませんが)、参拝客は私だけ。
一人、ケータイ片手に木ばかりを撮っているおばさんは傍から見ればかなり変な人だとは思いますが、(その辺りは一応認識しております(^^;)いやはや自分の楽しいことはどうにも押さえられませんね。
まぁ、押さえる必要もないのですが(笑)
大塚殿小宮の境内から大塚神社を振り返った景色。
大本命の聖徳太子御直作地蔵尊を拝見することは出来ませんでしたが、今回は大塚神社へ行く必要があったようです。
聖徳太子に呼ばれ、当のご本人にお目にかかることはなく役行者にバトンタッチのような流れ(笑)
ふとこの流れが気になり調べてみると、役行者と聖徳太子について書かれているブログにあたりました。
愛姫伝さんからのブログから、下記抜粋です。
「渓嵐拾葉集」
鎌倉時代末の仏教書で、天台僧によって書かれたものです。
もとは300巻あったと伝えられていますが,現存113巻。
比叡山西塔北谷の別所黒谷にいた光宗(1276‐1350)の著だといいます。
その中の1ページ
役行者は太子(聖徳太子)と一体のこと。大峰縁起を見るに、役行者と太子一体と見えたり。その故は、大峰の役行者は、即ちこれ天照皇大神と注せえり。大峰は霊鷲山欠け来たるといへり。日本最初の天の逆鉾の本拠はこれなり。行基菩薩の注。その詞に、日本一洲の仏法利益は法喜菩薩の利益なりと書留り。・・・・法喜菩薩とは役行者の異名なり。六十華住処品に明らかに説けり。また、曇無竭菩薩と法勇菩薩・法誦菩薩、これ同体なりと、行基菩薩注し給へり。太子は正しく太神宮再誕と知んぬ。行基また太神宮再誕なり。故に太子と役行者と一体なりと見えたり。
【出典元:役行者と聖徳太子 : 愛姫伝】
教科書で習った知識、世の中の常識から照らし合わせると、『いやいや、まさか
そんな訳はなく、別人でしょ』となるのですが、今まで常識だと思っていたことが必ずしも常識ではなく。
いつか分かる時が来るのかもしれませんが、今はこうしてお参りに行きその場を感じ体験できるだけでありがたく、それで良いのかもしれません。
必要な時に、必要な事が、必然として起こる。
今回もありがたい、必要なご縁でした(^^)