シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【滋賀/大津市】那波加荒魂神社

那波加神社から道路を挟んですぐの場所に那波加荒魂神社。
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とても目を惹いたこちらの巨木。

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これは新緑の時期に是非とももう一度見に来たい。
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葉が生い茂る様は圧巻だと思います。

 

【拝殿】

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両脇には狛犬さん
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境内社

大炊神社、愛宕神社
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大炊神社は雄琴神社の主祭神 大炊神 今雄宿禰命(おおいのかみ いまおすくねのみこと)と同様だと思われます。

shironpton.hatenablog.com

 

 

【須古神社】
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初めて目にした須古神社。

『須』の漢字から連想されるのは、須佐之男

少し気になり調べてみました。

 

八坂神社(祇園さん)は、もとは須古之庄祇園屋敷に鎮座されていた国史所裁の名神で、社号を「久治国神(くじくにつかみ)」という。

その創建は遠く景行12年と伝えられ、「三代実録」の清和天皇貞観2年(860)条に「二月壬午八月己丑 進従五位下久治国神従五位上」の宣旨を賜ったと記されている。
下って江戸時代初期、佐賀初代藩主鍋島勝茂有明海や江湖干拓の督励のため白石干出(ひいで)に屋形を造営し、その後寛永18年(1641)にそれまで須古に鎮座されていた久治国神を屋形のうしとら(鬼門)方向にあたる現在地に鎮護神として遷座し、「疫病除け、水難除け」の神として古くから厚く信仰している。
当社は、佐賀藩の祈願所と定められ、毎年旧暦1月13日(現2月13日)に春祭りが、旧暦6月13日(現7月13日)に夏祭りが執行されている。特に夏祭りには、以前は白石地方及び横辺田(大町・江北町付近)の郷村から山車(山人形を飾った通称「ヤマ」という)挽夫として300人の献夫が出て、参詣人と一緒に干出の町を、山車を北から南へ、南から北へ引き回し、徹夜の賑わいを呈したという。
明治維新後は、挽夫は勿論、引綱用の材料さえ工面できず衰退していった。その上、電燈、電話線架設のため、山車は飾り付けのみで一時中止状態になっていた。その後、山車は小型に改造され、昔と同様に引き回すようになった。
素朴な農民の崇敬を集めている白石の夏の祇園祭りは、肥前三大祇園祭の一つに数えられ、県下の夏祭りの圧巻として知られている。
江戸時代までは通称「祇園さん」と呼んでいたが、明治元年(1868)3月の神仏分離発令後、京都の「祇園社」が「八坂神社」と社名を改めた為に、当社も「八坂神社」と改め社格制により郷社に列せられた。(出典=改訂白石町の文化財 平成5年3月)

 

【出典元:白石町ホームページ |八坂神社

 

やはりというか、須佐之男命と繋がってきました。

更に、八坂神社が祇園社から八坂神社へ社名を改めた際、同じく社名を八坂神社と変えたことを考えてみても、佐賀県京都府という遠く離れた地にもかかわらず深いご縁がありそうな気がします。


境内周りの木々達は、それはそれはとても立派。
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上方もご覧の通り。
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毎度のことながら拝殿周りをぐるりと回ると、
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拝殿の真裏に面白いものを発見しました。
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霊石とあり、拝殿の真後ろから石を拝む遥拝所まで用意されています。

 

面白いですねー(^^)

拝殿の正面に立ち拝むにもかかわらず、ちょうど真反対からも霊石を拝む形になっています。

私は拝殿付近を散策するのでたまたま気付きましたが、普通に拝殿前でお参りする方であれば、案内板も何もありませんので気付かないかと。

 

またしても立派な木。
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上方の枝ぶりも見事です。
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拝殿手前の【岩水不動尊
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横に墨染という文字が見えますが、一体何のことやら・・・。

墨染といえば、京阪電車の駅名に墨染があります。

墨染は京都市伏見区

付近には伏見稲荷神社須佐之男命が主祭神の藤森神社があります。

さらに調べていてわかったことですが、墨染の南部に撞木町という花街があったそうで、忠臣蔵といえばな大石内蔵助が遊びに来ていたという伝説も残っているそうです。

大石神社といえば、稲荷山を挟んで伏見稲荷神社の反対側に位置する山科区の大石神社。

【京都】大石神社の少し大きな石 - シロンプトンでパンとお参りと

 

・・・うーん。

滋賀県大津市からどんどん遠ざかっていますが、色々と繋がりが見えそうで見えないのがもどかしい(笑)

 

境内のケヤキは保護樹木に指定されていました。
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枯れていない姿を是非見たい。
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境内を少し離れた場所から。
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さて、境内を後にし隣接する公園を通って元来た道へと行くつもりが

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息子が何やら気になると立ち止まった銅像
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側面に『傅教太郎童形御尊像』と彫られています。

調べてみたところ、幼名広野、後の天台宗開祖 最澄の幼き頃を模した銅像になるようです。

最澄といえば天台宗

比叡山延暦寺滋賀県大津市に位置します。

高野山 真言宗空海さんとセットで、『必ずテストに出る!』と日本史の後藤先生に言われて覚えた記憶があり、あれから数十年経ちまさか自転車でお参りすることがライフワークの一部になるとは、人生なんて分からないものです(^^;


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正念寺跡とありますので、以前はこの地にお寺があったようです。

 

今はご覧の通り、開けた土地に遊具がポツポツと。
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とりあえず一通り試さないと気が済まない息子(笑)

 

帰り道、川沿いにいるにゃんこが気になりふと見るとお地蔵様。
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『オン カカカビ サンマ エイ ソワカ

 

昨年秋のお参りでしたが、こうやって見返してみると色々と気付くことがあり、これが面白くてブログを続けているようなもの(笑)

 

完全に自己満足のブログですが、それでも見に来て下さる方に感謝です☆

 

さてさて、お次は少し時間が飛びまして2月に入ってから京都でのお参り模様。

ずっと気になっていた神社へのお参りです(^^)