シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪/高槻市】八幡町の春日神社で素戔嗚尊と応神天皇

須賀神社(辻子町)を後にして、ほど近くにある春日神社にやって来ました。

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春日神社】

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先程、春日神社の前にお参りに行った冠須賀神社(須賀町)の由緒書きで冠須賀神社が『かすが神社』と呼ばれているとあり、なんだかご縁を感じます。

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春日神社の側を車で何度も通り過ぎたことがあるものの、あくまでも道すがら。

今まで一度もお参りしたことはなく、図らずも冠須賀神社(須賀町)→冠須賀神社(辻子町)→春日神社(春日町)の春日神社ツアーの流れにピッタリです。
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この日は空がとても素晴らしく、ここに鎮守の森があればさらに清々しい写真となったのでしょうが残念ながら木の姿がありません。
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扁額には、御祭神の速素戔鳥命、天児屋根命、應神天皇の三柱のお名前。
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お正月飾りが三つ飾られており、拝殿は一つですが三柱として丁寧にお祀りされているような感じを受けました。

 

春日神社といえば御祭神は天児屋根命

合祀されている素戔嗚尊の漢字ですが、速素戔命と『鳥』の文字が入っているのは初めて目にしたような気がします。

 

そして、応神天皇

応神天皇といえば八幡神社の御祭神。

このあと、応神天皇と繋がることになるとはこの時は知る由もなく。

 

さて、境内を散策。

拝殿前に木はありませんでしたが、拝殿右手に立派な木が一本ありました。
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そして、あとはただ空・そら・ソラ。
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境内に木が無かったのが良かったのか、どこを見渡しても空。

空を満喫したお参りとなりました。

 

さて、家路に向かおうと何気なく入った道で面白いものを見つけました。
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『八幡町会館』

 

となると、この地は
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『八幡町』

 

八幡町=八幡神社応神天皇

 

春日神社にお祀りされていた三柱のうちの一柱、応神天皇と繋がりました。

 

須賀町から須佐之男を感じ、その土地にお祀りされている冠須賀神社へ辿り着くとお祀りされているのは須佐之男

須佐之男命に導かれるまま辿り着いた先は、須賀神社と同じ読みの春日神

その春日神社の御祭神は須佐之男命、そして応神天皇

須佐之男命からバトンタッチされた応神天皇に導かれるように辿り着いた土地は八幡町。

 

となると、八幡町には必ずや応神天皇がお祀りされている八幡神社があるはず!

この続きは、翌日の祝日に不思議なことや探検が大好きな息子と体験することに。

 

こうやってどこか特別な場所にいかなくとも、遊ぶ、学べる場所は見渡せば身近に沢山あります。

 

素通りする神社の一つになるのか、不思議が詰まった楽しい場所になるのかは自分が見る、感じる世界によって大きく変わり、これがとても面白い。

 

地図(Googleマップ)を片手に、あてどもなく自分の感覚であちらへふらり、こちらへふらり。

 

時間を有効に使おうと考えれば、隙間なく時間を埋め予定を立てたほうが一見合理的なような気もしますが、予定を予定通りに遂行することが目的になってしまい、本来楽しむはずだったことからは大きく外れてしまいます。

本末転倒ですね(^^;

 

合理化一辺倒であった昔々の私は(といっても、ほんの数年前ですが)、とにかく無駄が嫌いで、楽しむことがおざなりになっていました。

楽しむことは後ろめたい事、とすら思っていた節もあります。

 

今は『考えて行動すること』を随分と手放せるようになりました。

考える前に、まず『自分がどう感じているか』が最優先となったことで、今まで当たり前だと思っていたことが、決してそうではなかったことに気付かされました。

 

そんなことも、気付けばライフワークの一つとなってしまったお参りから学んだこと。

 

本も沢山読みますが、

 

読んだ=腑に落ちた、分かった

 

とは必ずしもならず、 分かった気にはなるものの、時間はかかっても私には体験、実感がどうしても必要なようです。

 

とても面倒くさいこの自分の性格(^^;

 

言われたことをそのままやれば良いのに。

教わったことをそのまま丸暗記すればよいのに。

 

・・・出来ないのです。

 

自分で理解して、分かって初めて教わったことが出来るようになる為、理解できない以上どれだけ言われても出来ないのです。

 

要領が悪くて悲しくなる度に、スマートに出来る人を見ては

私もそうなりたい、そうありたい!』

と気付けば何十年も足掻いていましたが、やっとこんな自分を受け入れることが出来て随分と楽になりました。

 

自分で自分をがんじがらめにして、ややこしくしていたような気がします。

 

基本はなんでもシンプル。

まずは、あるがまま(現状)を受け入れる

 

そのような類の本も沢山読みましたが、当時の私は『そんなん出来たら、苦労せんわ』と、憤っていましたが(笑)

 

こちらは春日神社からの帰り道、自宅近くを流れる芥川沿いの空。
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飽きもせず木を、空を撮り、一人興奮して楽しかったと満足。
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なぜ、お参りに行くのか。

理由をあげれば色々と出てくるのでしょうが、答えはシンプル。

『行きたいから』

 

友達に『あなたのことだから、必ず理由があるはず』と言われましたが、残念ながらお得であるとか、催し物があるとか、そんな理由はなく、そう話すと納得がいかないような顔をしていましたが、いつだって答えはシンプルです。

 

自分の中の無駄(思い込み、こだわり、執着)を削ぎ落すと、中から『本当(真実)』が出てきました。

 

最後はほぼ独り言ですが、そんなこともひっくるめて。

いやはや、やはりお参りは楽しい(笑)

 

つづきます。