四天王寺へと向かった週末の土曜の朝。
『源九郎稲荷神社!』というハッキリとした神社名に起こされ起床。
夢で神社名が出てきたことも初めてですが、その声で起こされたこともこれまた初めて(笑)
数年前の私であれば偶然で済ませたことも今はそうではなく、こうもリアルな固有名詞が出ることに興味津々。
源九郎稲荷神社という神社が果たしてあるのかどうか。
あるとすれば、何となく場所は大阪ではないのだろうか。
などなど。
朝から家族にひとしきり話した後、調べてみると源九郎稲荷神社が見つかりました。
場所は大阪ではなく奈良でしたが(笑)
存在するのであれば行かないわけにもいかず、翌日『サイクリングで美味しいきなこだんごを食べに行く』という名目でお参りへ行くことに。
そんな日の朝の空はとても素晴らしく、
積んでいた自転車を下ろし、目的地の源九郎稲荷神社へはほんの3km程。
手水舎周りの木々がとても元気です。
手水舎のそばにはよく見ると、『祓戸』の立札。
その立札の後方、注連縄を張られた木がとても素晴らしく、
いつものことですが、一心不乱に撮ってしまいました(^^;
狛狐さん。
炭二郎とくれば、
やはり、禰豆子(^^)
背後にビルがあるとは思えないくらいにゆったりした空間の境内。
拝殿の右手には源光稲荷大明神のお社。
その斜め後方の木が少し気になりました。
こちらは社務所。
とても賑やかな雰囲気で、社務所というよりどちらかと言うとお土産物屋と言われた方がしっくりきます。
源九郎稲荷神社の境内そのままな、とてもフレンドリーな雰囲気。
一つ一つ手作りで、お顔がすべて異なりました。
稲荷神社の狐さんは私の中で少し厳格なイメージがあり、どちらかと言うとあまり足が向かないのですが、源九郎稲荷神社はなんというかとても雰囲気が柔らかく、身構えなくても良い感じ。
ここら辺のニュアンスは人によって違うと思いますので、あくまでも私の感覚です。
お守りの種類もとても多かったのですが、御朱印の種類もまぁそれは沢山で、カラフルなものや写真付きのものなど、華やかな御朱印が沢山ありました。
そんな沢山ある中で私がお願いしたのは、昔からある御朱印(300円)。
御朱印を書いて下さった方が、後から分かったのですが源九郎稲荷神社の語り部の方だったようで、何故源九郎稲荷神社が大和郡山市のこの地にあるのか、色々とお話し下さいました。
そもそも源九郎稲荷神社は、千本桜で有名な奈良県は吉野の地にあったそうで、当時大和郡山城主だった豊臣秀吉の弟、秀長がお城の守護神として吉野から移されたそうです。
士農工商の身分制度がくっきりと分かれていた当時、武士にはその家を護る神様があり(例えば上杉家であれば毘沙門天など)、その神様をお城にお祀りされていたそう。
ところが、天下統一を果たした豊臣秀吉は愛知県の農民の出。
もちろん守護神などいるわけでもなく、大和郡山城主となった秀長は困りに困って、大和郡山市にあるお寺のお坊さんに相談されたそうです。(そのお寺とは、現在源九郎稲荷神社に隣接する洞泉寺)
その際、吉野にある源九郎稲荷神社を勧められ、そのまま吉野の地から大和郡山城へ移されたのが、源九郎稲荷神社が奈良県へ来たいきさつになるのだそう。
てっきり勧請されたのかと思って聞いてみたところ、勧請ではなくそのまま神様を持ってこられたそうで、さすが時の権力者の豊臣氏といったところでしょうか。
で、弟の秀長さんは神様をお祀りすることが出来たのですが、兄上の秀吉さんは天下人。
『他人と同じ神様』
では納得されなかったそうで、あろうことかご自身で神様を作ってしまわれたそう。
それが三面大黒天。
中央に豊かさの象徴である大黒様、右手に慈悲の弁天様、左手には強さの象徴毘沙門天の三面のお顔を持つ三面大黒天様。
いわゆる、自分の欲しいご利益を一つにしてしまった神様だそうで、その話しをしながら語り部のおっちゃんが一言。
『関西弁で言うたら、秀吉はほんまにあほちゃうかやろ?』と(笑)
天下人は怖いもの知らずです(^^;
ただ、あえて大阪人ならではの愛を込めて言わせて頂くのであれば、同じく『あほちゃうか〜。』ですが(笑)
このあと、大阪で歌舞伎が大流行りし、演目の『義本千本桜』のヒットもあって是非その歌舞伎中に出てくる源九郎稲荷神社へお参りに行きたいという大阪人が後を絶たなかったそう。
ただ、近いようで遠い奈良県。
山越えですしね。
今のように、簡単に阪奈道路を車でビューンとはいきません。
大阪人は根っからの商売人。
なので商売繁盛のお稲荷さんが大好き。
そして、合理的。
そんなわけで、便利にかつ御利益もいただきたいという思惑の元、生國魂神社に源九郎稲荷神社の遥拝所を設けられたのだそうです。
大阪に源九郎稲荷神社の遥拝所があると聞いて、まんざら私の感もハズレではないなと(笑)
そして生國魂神社さんには2年程前にお参りに行っており、稲荷神社とその後ろ手の御神木が立派だったことはとても覚えております。
数年後にこうやってご縁が繋がりとても嬉しい瞬間。
ちなみに、歌舞伎の鑑賞に行ったことはないのですが、下記の源九郎稲荷の説明を読んでいるだけで、見に行きたくなってしまいました♪
奈良県大和郡山市。有名な郡山城のかつての城下町に源九郎稲荷神社がある。稲荷と言えば狐。今回はその狐が故(ゆえ)あって人間に変身した切な~いお話。
*
天正十三(一五八五)年、天下人豊臣秀吉(とよとみひでよし)の弟、秀長(ひでなが)は郡山城に入った。
そして守護神として、源九郎稲荷を遠く吉野川のほとりから遷(うつ)された。
稲荷は五穀豊穣(ほうじょう)、商売繁盛、家内安全の神である。秀長はこの源九郎稲荷を信仰していた。
さて、その神社名となった源九郎は、実は源義経(みなもとのよしつね)の幼名である。その経緯を芝居化したのが、歌舞伎の人気演目「義経千本桜」
舞台は、桜花爛漫(おうからんまん)の吉野山。源平の戦いで数々の武功をたてた義経だが、鎌倉にいる兄頼朝(よりとも)との不和から刺客に追われ、山に身を隠した。
この時、義経を慕って都から来たのが恋人の静御前(しずかごぜん)。その警護をしたのが、佐藤忠信(さとうただのぶ)だった。
ここから、お話は本題に入る。静が義経から預かった「初音(はつね)の鼓」。
静が鼓を打つと、どこからともなく忠信が現れる。この忠信、実は狐の化身であった。かつて、雨乞い祈願のため父母を鼓の皮に張られた狐の子どもが親を慕って現れるのだ。*
ある時、義経の前で人間の忠信と鉢合わせ。狐忠信は本性を白状する。義経は、親子の情愛を思い、狐忠信に鼓と、静を守った褒美に自分の幼名「源九郎」の名を与えた。
さて、ここで注目は、狐忠信を演じる俳優の所作。「狐手(きつねで)」という両手の指を内に曲げて狐のしぐさ。頭の元結(もとゆい)には狐の耳が見える。
一瞬の「早変わり」で本性に戻った狐は、父母の鼓に頬ずりし、白い毛を靡(なび)かせながら「宙乗(ちゅうの)り」という奇抜な演出で消える。ここで観客は大興奮、涙の拍手喝采となる。
このあと、義経一行は源九郎狐の不思議な力にも助けられ、吉野山を脱出、東北の豪族を頼って落ち延びていくのだった。
この「義経千本桜」ゆかりの源九郎稲荷神社。上演に際し、俳優の市川猿之助さんらが参拝に訪れる。
【出典元:奈良のむかしばなし/奈良県公式ホームページ】
こちらの趣のある建物は、源九郎稲荷神社の鳥居手前にある元遊郭。
何とも言えない風情を感じます。
さて、お次はお昼ご飯を食べる場所を探してえっちらおっちらサイクリング。
つづきます。