前回ふらりと訪れた京都市北区の久我(くが)神社。
同じ漢字。
でも読みが違う久我(こが)神社の存在を神足神社の参拝で知りお参りです。
【久我(こが)神社】伏見区
鳥居前に着いた時から、なんだかソワソワ。
良い出会いのような予感がします。
参道を真っすぐ歩いていくと先には割拝殿。
【御祭神】
・建角身命(下鴨神社の御祭神。別雷命の祖父)
・玉依比売命(下鴨神社の御祭神)
・別雷命(上賀茂神社の御祭神。玉依比売命の息子)
御祭神は北区にある久我(くが)神社と全く同じ三柱。
割拝殿を抜けた先には狛犬さん
拝殿左手に摂社
石碑
拝殿左手の奥にお社がみえます。
拝殿をぐるりと回って右手にも摂社。
頭上には空を覆いつくさんばかりの木。
拝殿を一周回って割拝殿から見た参道。
そして、その割拝殿の右手前に境内に入ってから、ずっと気になっていたご神木。
ビックリするほどエネルギッシュで、拝殿でのお参りもそこそこに、毎度のことながらここからは御神木の撮影会(笑)
足元の椿が彩りを添えて、それはそれは素敵な一画。
未だに木の判別が曖昧で、こちらの御神木は楠になるのだそう。
御神木の側にあった由緒書き。
こちらの一画はちょっと気になったエリア。
そして、こちらがご神木の全景図。
境内に入ってからずっと気になっていたのは、風。
鳥居をくぐってから、それはもう風がビュービュー、木々はワサワサととても賑やか。鈍感な私ですら、そしていわゆるスピリチュアルや神様などの見えない世界に全く興味がない主人ですらも、『ん?なんかいらっしゃいって言われてる?』と感じる歓待ぶり。
自惚れとかではなく『よう来た、よう来たー。』をヒシヒシと感じました。
といっても、特に話せるだとか聞こえるだとか見えるだとかの能力は皆無なので、あくまでも私の体感レベルなのですが(^^;
参道を帰る方向に歩きながら、ふと森大明神と言われていた頃は参道の左右は鎮守の森で、それはそれはとても深い緑に包まれた空間だったのではなかろうかと想像を巡らせ、でも現実は鎮守の森は削られ民家が立ち並ぶ様は仕方がなかったのでしょうが、鎮守の森にお社を造るのも人間であれば、鎮守の森を伐採するのも人間かと思うとやるせなくなりました。
人間の都合で、いかようにも変化させられる環境。
それでも木々や地球は怒ることもなく、ただその状況を受け入れていくのみという図式が、なんとももどかしく。
御神木以外にもこんなに立派な木が参道脇に。
この辺りは地震か台風の影響でしょうか。
立派な木が伐採されていました。
そんな中、目を惹いたこちらの三位一体の木。
鎮守の森の番人のようです。
こちらは鳥居手前にお祀りされていた歯神社(はがみやしろ)。
歯神社にお祀りされているのは、神足神社にお祀りされているのと同じく天神立命(あめのかむだちのみこと)。
現在、久我神社の御祭神は賀茂氏の神様の三柱ですが、賀茂氏が来るまではこちらの歯神社にお祀りされている天神立命がお祀りされていたのかもしれません。
それにしても、鳥居の手前にお祀りとは。
力関係を見せつけられているような感じがしました(^^;
そんな鳥居手前の歯神社ですが、お参りしている際はそれこそ詳細も何も知らずひたすらその場を感じているだけ。
そばにそれはそれはパワフルな木が一本。
これでもかといわんばかりに頭上に伸びている様はとても力強く感じました。
こじんまりとした久我神社。
神社の規模からはみ出んばかりの御神木のエネルギーは凄まじく、あまりの素晴らしさに気付けば涙が出ていました。
いやはや、久我神社の名前繋がりでふらりとお参りに行きましたが、とてもよき神社でした。
帰りは近くにあったパン屋さんでお昼ご飯を調達。
パンはハードが好きなのですが、間に入ったバターは苦手なものの、購入してみましたがやはり苦手でした(笑)
足元を見るとテントウムシ。
こんな姿を見つけるだけで何とも幸せ❤
会社員時代は、『もっと!』『更に!!』が合言葉のような今思えば上昇志向の塊でしたが、だからこそ働けていたのも事実で、どちらが良い悪いではなく、自分がどう感じるのかどうか。
見る視点を少し変えるだけで、世界は如何様にも変化する事を思い知らされます。
今はテントウムシを見つけて喜べる自分でも良いかと思っていますが、人は変わるものです。
やはり、バリバリ働きたい意欲がいつ顔を出すやもしれません(笑)
神社にお参りと言うか、ひたすら自分を客観視することの連続ですが、私には必要な事のようです。
今回もとてもよきお参りとなりました。