主人が図書館で借りてきた本。
ほんの数年前までは車の助手席から、夏の暑い日や坂道など、車を乗っている側から見ればしんどいと思われる道を自転車で走る人を見ては『すごいなー!』と言っていた側の人間ですが、まさか山間部の坂道を走ることになろうとは(笑)
いや、でも見ると実際やるは本当に別物で、暑い夏の日差しからサヨナラするように山道へと進み、しんどいはずなのに(実際しんどい)、どんどん涼しくなってくる山道は気持ち良くすらあり、実際やってみたほうが楽しいと実感。
何度も言いますが、しんどいことに変わりはありません(笑)
さて、一読した本ですが週末何の気なしにパラパラとページをめくり、お世話になっている自転車屋さんが紹介されているコースを見ながら、涼しくなったら行ってみようだとかの再確認をしつつ、ふと目に留まったページ。
雲ケ畑。
志明院。
このキーワードから思い起こされるのは、今年の3月にお参りに行った京都市にある玄武神社。
雲ケ畑は、玄武神社にお祀りされている惟喬親王が皇位継承より遠ざけられ隠居された土地。
志明院(しみょういん)は、京都市北区雲ケ畑にある真言宗系の単立寺院。
山号を岩屋山、寺号を金光峯寺という。通称は岩屋不動。本尊は不動明王。淳和天皇の勅願に依り弘法大師(空海)の直作と伝えられている。
なお、山門から先は霊場なので撮影、飲食、ペットの同伴は禁止されている。
日本有数の魔所、都から追われた魑魅魍魎の最後の砦と云われている。
作家の司馬遼太郎が新聞記者だった頃、志明院に宿泊した時の奇っ怪な体験をエッセイにしている。司馬は後年アニメの宮崎駿監督との対談時にその話しをし、アニメ映画「もののけ姫」の着想になったといわれている。
【出典元:志明院 - Wikipedia】
文中にある淳和天皇といえば、第四妃真名井御前(如意尼)は神呪寺の開基。
この際、協力したのが空海さん。
空海さんで繋がったこともあり、お参りに行ったことはあるものの神呪寺が気になりました。
皇太子時代の淳和天皇は夢告に従い、四天王寺創建に伴って聖徳太子が開基した京都頂法寺(六角堂)にて、丹後国余佐郡香河(かご)村の娘と出会い、これを第四妃に迎えた。香河では小萩(こはぎ)という幼名が伝わり、この小萩=真名井御前をモデルとした小萩観音を祀る寺院がある。古代、丹後国は中央氏族とは別系統の氏族(安曇氏などの海人系氏族)の勢力圏であり、大王家に対し后妃を出す氏族であった。この余佐郡の娘、小萩は日下部氏の系統である可能性が高い。
『元亨釈書』によれば、淳和天皇第四妃真名井御前=如意尼は、如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家を行うために天長5年(828年)にひそかに宮中を抜け、頂法寺(六角堂)で修行をし、その後今の西宮浜(御前浜)の浜南宮(現・西宮神社)から廣田神社、その神奈備山である甲山へと入っていった。この時、妃は空海の協力を仰ぎ、これより満3年間、神呪寺にて修行を行ったという。
【出典元:神呪寺 - Wikipedia】
Wikipedia文中に出てくる西宮神社、廣田神社、甲山には偶然にも既にお参りしており、
更には、この春に六角堂を訪れています。
そもそも六角堂へとお参りすることになったのは、滋賀県高島市の唐崎神社から始まる偶然のお参りがきっかけ。
・京都市の六角堂
を結べば直線が出現する仕組み。
その六角堂で、淳和天皇がいずれ神呪寺を開かれる真名井御前と出会っていたとは、今ブログを起して初めて知ったこと。
その時に分からなくとも、後からこうやって点と点が線になり繋がっていく仕組み。
更に、その一本一本の線同士が繋がり、気付けば網の目のようにつながっていくのではないかと、ふと感じました。
スピでよく目にする、
・全ては繋がっている
・大元は同じ
が少し腑に落ちた感じ。
一つ一つは点(天)のようでも、全ては繋がっている(宇宙)のではないかと。
さて、話しは戻って雲ケ畑のページを開いたその日。
面白いシンクロが。
ここで『もののけ姫』のサイン。
先日お参りしていた磐船神社神社でもののけ姫へと繋がり、日を同じくしてこの流れ。
こうなると、行かない理由はなく、行かなければならない仕組み(笑)
ちょうど夏休み。
久し振りに家族揃っての自転車でお参りを画策。
自転車、坂道、山道好きな息子。
お運び係の主人(笑)
繋がるご縁に感謝⭐︎