さてさて外宮から車で10分弱。
元伊勢内宮へとやって来ました。
こちらは駐車場側にあった周辺案内板。
向かう元伊勢内宮の後方のお山に鬼の絵。
酒吞童子の話しは耳にしたことはあっても、まさか元伊勢内宮の側のお山であったとは。
元伊勢外宮同様、こちらの内宮も人影はまばらでひっそりとしており、それこそ伊勢神宮の賑わいとは真反対。
『世界人類が平和でありますように』とは、五井昌久氏の願い。
とても平易な言葉ですが、真実はいたってシンプルなのだと思います。
鳥居をくぐると鎮守の森のおかげかあたりの空気が一変します。
左手に見える木の根に思わずパチリ。
そして、参道の中央にすっくとそびえ立つ杉の木。
麻呂子杉というのだそう。
(毎度のことながら、息子がエー塩梅に対象物との比較に一役買っております(笑))
下記、元伊勢内宮のHPから抜粋です。
麻呂子杉は、聖徳太子の御弟麻呂子親王が、丹後国与謝郡河守庄三上嶽に棲む英呉、軽足、土熊という3人の凶賊を追討された時に、当社に詣でて御手植えになったのが3本杉といわれています。樹齢千年以上と伝える古木で参道に聳え立っています。もとは3本杉でしたが、落雷等で枯死し、今は1本となっています。
この麻呂子杉は、京都府の「天上の木」10選に選定されています。
【出典元:境内案内】
文中の赤字の『英呉、軽足、土熊という3人の凶賊を追討』部分については、大江山の鬼伝説に出てくる鬼の名前であり、鬼=凶賊(人)。
麻呂子親王が討伐すべき凶賊を鬼に見立てたというのが通説でしょうか。
そして、その麻呂子親王が鬼討伐後、元伊勢内宮でお手植えされた杉の3本のうちの一本がこちらの麻呂子杉になるそうで、凶賊3人=杉3本に偶然ではないものを感じてしまい、なんとなくですが、追悼の意を込められたのではないかと。
仏教を篤く信仰していた聖徳太子の異母弟にあたる弟君の麻呂子親王。
歴史は勝者によって書き換えられるのであれば、鬼を討伐=その土地の制圧とも考えられ、色々と想像を掻き立てられます。
さて、そんな様々な想像が掻き立てられるこちらの麻呂子杉。
京都府の『天上の木』の10選に選定されているそうで、天上の木といえば、思い出すのは京都府は亀岡市の亀岡城址近くにある『南郷地畔のエノキ』。
天上の木は40選あり、思いもよらぬところで2/40本となりました。
さて、先を進むと参道右手に注連縄がかけられた池があり、
お賽銭箱もあることから聖域だとは思われるのですが、こんこんと水が湧き出ているような気配は見受けられませんでした。
こちらは麻呂子杉のあった参道をさらに進んだ箇所にあった切り株。
3本の杉のうち麻呂子杉を残して残り2本は落雷等で枯死したとありましたが、その枯死した杉のうちの1本でしょうか。
中心から新たな生命が誕生していました。
【由緒書き】
正面には厳かな雰囲気の本殿。
両脇に御神木と思われる木が2本ありますが、明らかに枯れているであろう左手の木の状況が気になります。
その左手の木は『龍灯の杉』と言うのだそう。
根元に元気がなく、上空を見上げるとやはりな状況。
随分と枯れてしまっています。
右手の杉は大丈夫なようです。
上部も葉が生い茂っています。
境内には元伊勢外宮同様、沢山の摂社が本殿を囲むかのようにぐるりとお祀りされており、その中でお社が他の摂社より大きく(別宮?)気になったお社がこちら。
本殿向かって左手にある
【栲機千千姫(タクハタチヂヒメ)神社】
栲機千千姫が御祭神で思いつくのは、大阪府交野市にある機物神社と京都市にある岩屋神社の二社。
・栲機千千姫は瓊瓊杵尊、饒速日命のお母様で機織り染め物の神様。
・機=秦氏?
・お父上は造花三神(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)の一柱である高御産巣日神。
・元伊勢内宮の御祭神の天照皇大神とは義理の家族の関係。
さて、栲機千千姫神社側から左手に本殿をぐるりと回って行きます。
本殿の後ろにもぐるりと摂社が控えており、ただ一か所だけ摂社が無い場所がありました。
少し気になり先に進んでみると蛇口があり、本殿裏手にある水汲み場であれば御神水ではなかろうかと。
せっかくなので手の平に受けて一口だけいただこうと蛇口の側に行くと、その下方に池と思しきものとお社を発見。
行ってみなければなりません。
ひとまず本殿を一周し、先程見つけたお社に降りれる場所はないかと探してみると少し雰囲気の異なったお社がありました。
そういえば、由緒書きの側にあった社務所にこのような案内板があり、どういうことなのかと思っていたのですが、
元伊勢内宮の鳥居をくぐってすぐ右手に社務所があり、珍しい場所に社務所があるものだと思いながらもお参りが済んでから社務所に立ち寄る為そのまま通り過ぎたのですがどうやらその社務所が『天皇神道』と呼ばれる新興宗教の社務所だった模様。
なぜそのような経緯になったのかはこちらのサイトが分かりやすかったです。
さて、今こうして調べながらブログを書き起こしているから頭はスッキリするものの、天皇神道の幟に少し戸惑いつつもお参り。
岩長姫は大山津見神の娘で、木花之佐久夜毘売のお姉さん。
たいそう美しかった木花之佐久夜毘売とは対照的だとされるお姉さんの岩長姫。
瓊瓊杵尊に姉妹揃ってお嫁に出されるものの、岩長姫だけはお里に返されたとのこと。
この話しを初めて知った時には、神様と言えども目に見える美醜を優先させるのかと、たいそう驚いた記憶があります。
方角からすると、先程の池と思しき場所に繋がっていそうです。
ビンゴ!
池の水は干からびていますが、この一帯のこの木の根は鞍馬山の木の根道を彷彿とさせる木の根群。
来た道を戻った先には和泉式部の歌碑が。
あれだけカルタ好きだった娘は見向きもしませんでした(^^;(今は部活に夢中。)
最後に本殿手前にあった池にお祀りされているのは、田心姫神(タゴリヒメ)、湍津姫神(タギツヒメ)、市杵島姫神(イチキシマヒメ)の宗像三女神。
こちらの池は干からびてはおらず、先程お参りした天龍八岐龍神社が干上がっていたことが気になります。
木の根の感じからすると、もっと元気があっても良さような池だったのですが。。。
御朱印帳最後のページは元伊勢内宮。
残るは元伊勢三社の天岩戸神社。
つづきます。