娘が部活でいない週末。
主人がたまたまYahoo!で見た、洛西ニュータウンの並木道。
サイクリングにもってこいだということで、大山崎の淀川河川敷公園からふらりとサイクリング。
ずんずん進んでいく主人に反して、
こちらの僕チンはどうやらお昼ご飯を食べ過ぎてお腹が痛い模様。
さてそんな息子をよそに、そのまま非情にも先頭切って主人が自信満々で辿り着いた先は目的地とは異なる大歳神社。
全然目的地とちゃうし(笑)
お腹が痛い息子のちょうど休憩にもなりそうでこれも何かのご縁。
お参りさせて頂くことに。
由緒書きより、下記転載。
祭神は大歳神で養老二年二月の創建と云ふ。 延喜式神名帳に記され、山城國鎮座社の内大社に列せられていた。この境内は栢の森と称し社を栢の社とも云ふ。農耕生産の神、ひいては方除祈雨にも霊験ありと知られ当地方の守護神である。
相殿に石作神と豊玉姫命を祀 ってある。
石作神は代々石棺などを造ってい た豪族の祖神であり、火明命の後裔である。
垂仁天皇の后、日葉昨姫命おかくれの時、石棺を献上し石作大連公の姓を賜った。
石作連を祀った石作神社は延喜式神明帳に 記され、貞観元年従五位下に昇格している。
大日本史に石作神社今灰方村大歳神社内にありと記され、石作氏衰微後、当社に合祀さ られたものである。石作神は昭和四十九年六月愛知県岡崎市に建立の石工団地神社に分霊す、豊玉姫命は海人であり彦火火出見命の后である。例祭は十月二十一日、氏子祭は十月 第三日曜に行い、江戸中期より引続き金剛流家元による奉納舞あり。
御祭神の大歳神は、お正月に各家を訪れる来訪神。
相殿の石作神は火明命の後裔とあり、火明命は饒速日命。
さて、境内へ。
まず目に入ってきたのは、枯れ死しているであろう御神木。
上部が枯れていたとしても根が元気であればと思うのですが、根が見るも無残に枯れてしまっています。
私の好きなタイプの狛犬さん。
本殿の裏手に井戸の形跡のようなものがありました。
境内の周りの木の状況からすると、以前は豊かな鎮守の杜であったのではなかろうかと。
ご覧の通り石垣で囲まれた境内。
その境内の四隅にあたる本殿後方右手に比較的大きなお社。
その手前には摂社。
その並びに気になった石。
剥き出しの状態で注連縄もかけられていないことから磐座ではないとは思いますが、相殿に石作神がお祀りされていることもあり、ついつい色々と考えてしまいます。
さて、その石の後方には、『栢(かや)の杜』と記載のある看板。
記載内容からすると、境内には栢の木が繫茂していたようですが、近年周りの高木に栢の木が蔽われてしまい、昔日の面影を復活すべく周りの高木を剪定し、栢の苗樹を補植されたようです。
ここで栢の木が気になり、少し調べてみると
・実は食用可。美味しく栄養価が高い。
・間伐材や枝は燻して蚊を追い払うために使われた。カヤの語源はこの「蚊遣り」に由来するという説がある。
とのことで、実も木もとても重宝する木のようです。
そして、こちらの大歳神社の総本社が奈良県御所市にある葛木御歳神社(中鴨社)にあるそうで、その近くにあるのがその名も『かやの木淡島神社』。
大歳神社の栢の杜と繋がりそうな予感。
更には、上鴨社、下鴨社と呼ばれる神社も近くにあり、京都市から遠く離れた奈良県へと繋がりました。
自分の身の周りに起きることに無駄な事はないとはよく聞くフレーズですが、文字で見るのと体感は全くの別物で、気付きが増えていくにつれ身の回りに起きる出来事で無駄な事はないと改めて実感します。
さて、主人が大幅に道を間違えたのは無駄ではなかったことがこれで実証されました(笑)
次こそは目的地へ。
つづきます。