シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都/綴喜郡宇治田原】瘤取りの神様 猿丸神社で健康祈願

佐久奈度神社を後に、783号線を宇治田原方面へと進んだ先に目指す猿丸神社はありました。

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山深きところに突如として現れる猿丸神社。

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今回、何も知らず裏参道よりお参りしてしまいましたが、表参道にはこんな面白い石像がありました。

【夫婦猿】
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とくれば、狛犬ならぬ狛猿。
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そして、うっかり本殿を撮り忘れていましたが、何故か本殿真裏の写真は撮っていたようです(^^;
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本殿はぐるりと一周できるようになっていました。

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後方にある木ばかりに目が行ってしまいますが、御祭神である猿丸大夫を顕彰する石碑。

猿丸大夫故址】

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注連縄のかかった石鉢には今調べていて知ったことですが、ご神水が入っていたようで、祭日にふるまわれるのだとか。

この日、本殿前に鉢と白皿があり、お水が頂けたのでありがたく頂戴したのですが、どうやらそのお水がこちらの石鉢に入っていた御神水だったようです。

ありがたいことです。

 

さて、神社の名前にも猿で、境内も猿だらけな猿丸神社の御祭神の猿丸太夫小倉百人一首三十六歌仙の一人で、歌道の神として崇められた方だそう。
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「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」 猿丸太夫

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百人一首とくれば娘。

やはりバッチリご存知でした。

 

さて、こちらは社務所
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猿丸神社は瘤取り、そして癌封じの神様として霊験あらたかだそうで、私達家族は目に入った火焚串に各々の願いを書いて納めてきました。

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『心願成就』を『心願感就』と漢字を間違えて書いてしまった息子の願いは果たして叶うのかどうか(笑)

 

火焚串は6月13日と12月13日に執り行われる火焚祭りで焚いて下さるそうです。

 

決して広くはない境内の猿丸神社ですが、その境内は至る所が清々しく、それはその場の空間だけでなく猿丸神社に仕える神職の方々の立ち居振る舞いからも感じ、少し大げさかもしれませんがさながら伊勢神宮のような空間。
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表参道の石階段の側に、定規で測ったかのように並行してそびえる二本の木。

その姿はまるで鳥居のようで、この石階段に立った瞬間から背筋が一本立つような感覚。

表参道の鳥居前では夫婦猿がお出迎え。
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境内の張り紙に榊が無くなった旨、記載があり、年の瀬だけなのかもしれませんが猿丸神社で榊が購入出来る事を知りました。

こちらの神社の榊であれば、一年でも枯れないのではないのかと思ってしまいます。

先日購入した高野山の榊は1カ月たった今でも全く枯れず、青々としたままで、国産の榊に宿る『何か』を感じずにはおれません。

中国産の榊は我が家では2週間ともったためしがなく、家の気がよほど悪いのかと思いもしたのですが、国産に変えてからは2週間で捨てるのが勿体ないほどに青々としています。

 

『出来る範囲で、出来る事を』と思いもしますが、出来るだけ、日本の神様には国産の榊をお供えしたいと思います。

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主人がGoogleマップでたまたま目にした猿丸神社。

ただその『たまたま』は、『たまたま』ではなかったようで、この夜必然だったと気付かされる出来事がありました。

 

私にとって必要な事は、どうも主人からもたらされることが多く、きっとこれが『見える』や『聞こえる』といった、いわゆる霊感のある人であれば、見えたり聞こえたりが自分の体感としてあるので分かりやすいのでしょうが、私は主人との何気ない会話や、主人から提示される場所から気付くことがどうも多いことが、ここ最近特に感じます。

 

あえて失礼を承知で言わせて頂くと、ノンスピの主人に限ってそんなことがあるわけないやんか、が私の本心(笑)

自分が信用を寄せる人であれば、丸っと素直に話しが聞けるのに対し、主人の話しはどうも素直に聞けず、気付けば私が言いくるめてしまう始末(^^;

ただ、いつの頃からかそんな敵対心(?(笑))もなくなっていたようで、気付けばどうにも展開が早いように感じます。

スムーズに流れに乗れるというのか、自然と必要な所に行きついているというのか、言葉にするのが難しく、なかなか上手く表現できないのですが。

 

私は年齢だけ見れば随分と大人で、これからの人生は明確なゴールに向けてひた走るという姿が妥当なのかもしれませんが、やっとスタート地点が見えてきた感じがします(^^;

と同時に、自分がすべきことが腑に落ちました。

 

それにしても、ここまで来るのに人生の半分近くを費やすとは(笑)

 

何でこうなってしまったのだろうと思うことも多々ありますが、その道を最終的に選択したのは他でなく私。

そして、その人生の方がいつ死んでも悔いがないだろうと腑に落ちたのも私。

 

今までたくさん頭で考えて行動してきましたが、肚でわかるということが実感できたここ数日。

 

これからどうなるのかは分かりませんが、とりあえず今の私に出来る事を淡々と。

そして、その姿に後押しをしてくれる存在がいることが分かった2021年。

私にとって2021年は節目の年であったのかもしれません。

 

昨年もほぼ独り言のような私の備忘録にお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

『誰かの為に、役に立つことを』とは全く正反対の、あくまでも日記の域を出ないブログですが、それでも見に来て下さっている方がいるお陰で続けられているのも事実です。

 

2022年も相変わらずの独り言と、自転車、そしてお参りは続けてゆくのだと思います。

みなさま今年もよろしくお願い致します☆