亡くなってからというものの、生前よりとても身近に感じるお祖父ちゃん。
命日のお参りが叶わず、1カ月遅れのお墓参り。
その帰り道、自身の生まれた土地の産土神社へと初めてのお参りです。
【魚吹八幡神社】
『駐車場 中へ』
の立て看板を頼りにこの楼門の間を車で潜ったのですが、一台も止まっておらず、『ホンマにええんやろか?』とそのままバック。
『でも、やっぱり立て看板の矢印はこの楼門の中やで』とまたしても前進(笑)
結局最後の最後まで車は入っては来ませんでしたが、帰る頃には塀沿いに止められている車が数台ありました。
ホンマに入って良かったんやろか(^^;
勝手にこじんまりとした神社を想像していただけに、こちらの楼門と塀で圧倒されてしまい、それでも自身の産土神社がこのように立派な事が嬉しくもあり。
楼門の中に鎮座されていた狛犬さん。
格子の隙間から無理矢理お顔を拝借。
【手水舎】
この手水舎を見た瞬間から、更にテンションが上がってしまいました。
岩の側に木ですから。
楼門出て正面に拝殿。
拝殿前の鈴緒。
この鈴緒の本数もさることながら一本一本の鈴緒の立派なことに家族全員でビックリ。
この後は、誰がどれにするだのとお約束の一連のワチャワチャがありました(笑)
こちらは拝殿から見えた龍の絵。
中世においては、石清水八幡宮別宮の一つと数えられたそうで、この境内の広さそして立派な拝殿からして納得。
御祭神は、
息長足比賣命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后)
玉依比賣命(たまよりひめのみこと/神功皇后の母君)
私のルーツは勝手に春日神社だと思い込んでいただけに、八幡神社とご縁があると知った時にはたいそう驚きました。
それでも春日神社が好きな事には変わりありませんが。
拝殿の左手に武内神社の案内があり、これはどう見ても武内宿禰と関係がありそうな。
ビンゴ!
武内宿禰といえば、景行(ヤマトタケルの父)・成務・仲哀(ヤマトタケルの子であり神功皇后の夫)・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣。
『何歳やねん』と現代人であればツッコミどころ満載なのですが、凡人に超人の感覚は分かるはずもありません。
武内宿禰といえば、滋賀県近江八幡市にある長命寺を開闢したと言われており、360歳まで生きられてとか。
武内神社はこのように、御本殿の敷地内に隣接してお祀りされていました。
格子戸の隙間から撮らさせていただきましたが、お社前に立派な木が一本。
根の張りが尋常ではなさそうです。
実はこの武内神社の場所が分からず(灯台下暗しとはまさしくこのこと)、帰り際に私が偶然気付き私一人でお参り。
家族は私が来ないのを不服に、車の中でブーブー(車だけに?(笑))
境内はご覧の通り、私が大好きな木ばかり。
木と岩の饗宴。
境内には、このように石で囲まれた中心部に石、そして木の箇所が数カ所ありました。
相変わらず一人で興奮して写真を撮る私をよそに先に行く家族(笑)
木と岩の組み合わせに気付くようになったのはいつの頃からか分かりませんが、その私のルーツのようなものを今こうして文字を起していて、ふと感じました。
小さい頃(お宮参りですので1歳にも満たないのですが)の記憶だからと言ってバカには出来なさそうです。
目には見えていなくとも、何も覚えていないわけではなさそうな気がします。
ここからは摂社末社。
いくつかありましたが、気になった箇所のみの写真です。
【松尾神社】
御祭神:大山昨命、木花開耶比賣命
後方の立派な木が気になります。
御本殿の真後ろ。
やはり置いてけぼり(笑)
【厳島神社】
御祭神:市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと
こちらは君が代の歌にも出てくる、さざれ石。
さざれ石といえば、滋賀県は大津市にある建部大社のさざれ石を思い出します。
こちらは神馬舎。
応神天皇と言えば馬。
拝殿の左手にも神馬の像があり、側にある御神木が境内の木の中で群を抜いて立派でした。
御朱印。
御朱印を頂く際、ふと目にした先に勾玉のお守りがありました。
玉祖神社で勾玉開運お守りは購入出来なくて良かったようです。
一見自身にとって不都合な事も、後になって考えてみるとそうではないことが多く、今回のようにその場で手に出来なくとも、必要であれば必要な場所でご縁がいただけること。
それも、自身のルーツである魚吹八幡神社で手にすることが出来たことはただありがたいの一言に尽きます。
産まれてから初めての魂の里帰り。
記憶はなくとも、心躍る時間でした。
さて、少し時間は押していますが以前から気になっていた神社へお参りです。
つづきます。