以前から娘が行きたいと言っていた仁徳天皇陵。
正面から見ると他の古墳同様、大きさはあまり分からないのですが日本一の古墳。
仁徳天皇と言えば、
『民の竈から火が出ていない』と、3年もの間税を免除し、
『民の生活が豊かになるまでは』と、着るものも食べるものも倹約され、その間天皇のお住まいは寂れる一方。
宮殿の屋根の茅さえ葺き替えず、雨漏りする箇所もあったとか。
その後3年を経て、再び高い山に登り民の様子を見て呼んだとされた歌が
『高き屋に 登りて見れば けむり立つ 民のかまどは にぎはひにけり』
『人の上に立つ者は、民の生活が潤ってこそ』と、思いはしても、口にすることは出来ても、なかなか行動に移すことは出来る事ではありません。
この話を思い出すたびに、とても慈悲深い仁徳天皇の心を側に感じるような気がします。
さて、そんなしっとりした気分とは打って変わっての5月といえどもなかなかな夏日。
そんな暑い最中、ボランティアガイドの方が『暑いから手短に話しますね』と、色々とお話しして下さいました。
印象的だった話しとして、
・そもそも、仁徳天皇陵とされているが実際に掘り返して調査したわけではなく、宮内庁が古事記・日本書式・延喜式の史実を元に、そうであろうと決定したとのこと。
のっけから、『えっ!?』です(笑)
単に私の勉強不足なのかもしれませんが、調査した上での決定事項だと思っていただけに最初の説明で面食らいました。
・明治時代に古墳の一カ所が崩れ落ち、その際修復現場に絵師が同行し石室のある内部の詳細を初めて絵に残したそうで、ただ、それ以降立ち入ることが出来ず詳細は不明のままとのこと。
その他諸々は、『是非、仁徳天皇陵そばにある堺市博物館で!』とのボランティアの方の一言で、自転車博物館に向かう男子チームと分かれて娘と二人行って来ました。
博物館の中では、子供が楽しむであろうクイズを張り切って母が解き、そのお陰で展示物を今まで観たことがないくらいに隅々まで確認。
勉強になりました(笑)
その後、上映時間に間に合うよう足早に博物館を移動→ちょっと眠い目をこすりつつ20分の上映時間の後半部分で目が覚めました。
『仁徳天皇陵の石棺の材料は竜山石』
石宝殿ともいわれる、大きな岩が御神体の神社です。
その御神体の岩は竜山石。
そして、生石神社の周りは竜山石が採れる採石場。
古代から1700年もの間、今なお採石出来る国内唯一の場所。
竜山石について|兵庫県高砂市の竜山石を主とした石材の加工・販売なら【松下石材店】 | 株式会社 松下石材店
竜山石は古墳の石棺に使用されていたことから、『大王の石』とも呼ばれているそうです。
それにしても、まさか堺市博物館で兵庫県高砂市に繋がろうとは。
娘が行きたいと言わなければ仁徳天皇陵に行くこともなく、ただただありがたし。
さて、この後は私の行きたかった場所へ。
堺市から一路太子町へ
つづきます。