シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都/亀岡】篠村八幡宮で後醍醐天皇

ここ最近、亀岡とご縁のある友達と一緒に亀岡へ。

今回の目的は参拝でなかったのですが、空き時間に少し気になった神社へとお参り。

 

【篠村八幡宮

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御祭神は、誉田別命応神天皇)とその父君仲哀天皇、と母君であられる神功皇后

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社伝や本殿の棟札によれば、延久3年(1071年)に勅宣によって源頼義が誉田八幡宮大阪府羽曳野市)から勧請し創建したとされる

延久4年(1072年)5月13日付の頼義の社領寄進状も現存する。篠村の荘園は藤原氏によって開かれたものであったが、いつの頃からか源氏が相伝することになり、その荘園に勧請されたものとされる。

当地は足利高氏(尊氏)が鎌倉幕府打倒の挙兵をした地として知られ、亀岡市指定史跡にも指定されている。高氏は元弘3年(1333年)4月29日に篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉じ10日間滞在したのち、六波羅探題を滅ぼして建武中興の礎を築いた。また後醍醐天皇と決別したのち、建武3年(1336年)1月30日に京都攻防戦で敗れたため、2月1日まで篠村八幡宮で敗残の味方の兵を集めるとともに社領を寄進して再起祈願を行なっている。そして尊氏は九州へ逃れ、体勢を立て直すと京都に戻り室町幕府を開くこととなる。

【出典元:篠村八幡宮 - Wikipedia

 

篠村八幡宮源頼義源頼朝から数えて5代前)が羽曳野市の誉田八幡宮から勧請してきたとあり、近々羽曳野市に行く予定がありお得意のグーグルマップで検索。

 

ビンゴ!

当日、応神天皇陵へは参拝予定にしており偶然ではなく必然の流れ。

 

更に、ここ最近頻繁に目にする楠木家と後醍醐天皇

篠村八幡宮の地は、後醍醐天皇と袂を分かった足利尊氏が祈願した神社。

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更に、のちほど御朱印を頂いた際に一緒に付けて下さった由緒書きの一文を見て目を疑いました。

 

源頼義の長子は石清水八幡宮元服させて八幡太郎義家・・・』

 

とあり、長子についてのみの記載でしたがこの名前にとても憶えがあり、思い出したのが以前参拝した滋賀県大津市新羅善神堂。

 

shironpton.hatenablog.com

 

ブログ記事に、

 

『次男は加茂神社で元服させた加茂二郎義綱、そして三男の源義光新羅善神堂の神前にて元服

 

とあり、まんざら私の記憶も捨てたもんではありません(笑)

 

そして、まだまだ続きがあります。

先日訪れたばかりの聖徳太子の御廟所叡福寺への道中、27号線を通ったのですがどうやら源頼義のお墓近くを通っていたようです。

その際、気になった神社があり見えた幟に確か『河内源氏発祥の地』とあったような。

調べてみると、壷井権現社とあり同じ境内に壷井八幡宮

 

壷井八幡宮、更には鶴岡八幡宮は晩年源頼義河内源氏氏神石清水八幡宮から勧請されたと今初めて知り、やはり偶然はないのだと感じます。

 

これはまた是非とも参拝に行かなければなりません。

 

由緒書きだけで随分と先に進まないブログですが(笑)、もちろん当日はそんなことは全く知らず、『ご縁をいただけてありがたし』と参拝をさせて頂いていただけ。

 

全ては必然の流れ。

そんなことに気付けるようになったのも参拝を重ねてきたからこそ。

 

さて、記事を起しながらちょっと興奮気味ですが境内に戻ります。

 

外観からは想像もつかなかった参道。

見事な天然鳥居。

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その天然鳥居を過ぎ直角へ左折すると見えてきました。
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【手水舎】
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そばにある【祓戸社】
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御祭神は、瀬織津姫神、速秋津比売神気吹戸主神、速佐須良比売神の祓戸四神

 

篠村八幡宮で頂いた由緒書きに記載がありましたが、祓戸社がある神社はそう多くはないそうです。

 

【本殿】
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その左手に東向きに祀られている【稲荷神社】
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【矢塚】
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側にある案内文によると、足利尊氏が戦勝祈願の為鏑矢を奉納したところ、他の武将達も奉納し矢が塚のようにうず高く積みあげられたとありました。

 

そして、境内に入ってからずっと気になっていたこちらの木。f:id:roy-7303-pkbs:20220531202837j:image

案内板にはツブラジイとあります。

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この木の捩じれっぷりと言ったら、圧巻の佇まい。
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少し離れた場所から見てもこの立ち姿。
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美しき。
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本殿右手には【乾疫神社】
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御祭神は、建速須佐之男神、大己貴神少彦名神出雲神話を代表する神々様です。

 

乾疫神社は、最古の疫神社とされ、延喜式によれば、平安京の4隅と、山城と他国との主要6街道の国境に計10社ありましたが、現在、今宮神社、石清水八幡宮とここ篠村八幡宮に現存しています。

 

【出典元】

www.hozugawakudari.jp

 

京都の今宮神社と言えば、昨年お参りさせて頂いたばかり。

shironpton.hatenablog.com

 

リンクを貼ろうと自身のブログを見ると、ちょうど目に入った記事が今宮神社でした。

(ギャッ!)

 

乾疫神社の『乾』は方角では北西を意味するようで、京の都から見てここ乾疫神社は北西にあたります。

 

そばには小宮社。
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その裏手に『旗立楊 左手奥50メートル』と案内板があり、鎮守の杜を散策がてら向かってみることに。
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先程お参りしていた乾疫神社のそばを通って向かいます。
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この立派な楊の元で、後醍醐天皇の討伐に向けて足利尊氏が旗揚げされたようです。
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近々、後醍醐天皇所縁の吉野へのお参りを計画している私としては胸中複雑ですが、何事も見る角度が違えば見えるものも変わります。

 

両方を知ることはとても大事。

その両方を知って自分はどう考え、行動するのか。

どちらかを排斥するのではなく、どちらも和合して統合できればとは甘い考え方でしょうか。


こちらは社務所裏手の鎮守の杜。
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小振りながらも、すっくと天に伸びる姿が印象的で、そばに近付いてみると亀岡市の名木、ナナミノキとありました。
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近くには二股の木もあって楽しい空間。
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この日は5月と言えどもな夏日でしたが、いよいよ紫陽花の綺麗な時期。
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数年前の私であれば、今回のようなお参りは用事の合間の参拝で終わっていたのかもしれず、随分と当初の頃に比べて参拝の仕方も変わってきました。

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日々、与えられたことを淡々と続けていくと次の扉が開けていくようで、この日、これからの私にとって進むべき方向性が見えてきました。

 

一日たりとも無駄には出来ません。

時間の使い方の見直し、年内残り6カ月に向けての目標なんぞを今一度自分に落とし込んで、自分で自分のお尻に火をつける作戦です(笑)

 

時間は無限ではありませんでした。

今更ながらに当たり前のことに気付いた今回の亀岡訪問。

 

連れて行ってくれた友達に感謝です☆