ここ最近、お寺めいておりますが今回は現在勉強していることの繋がりで知った大阪市は東住吉区にある法楽寺さんへ。
不動明王様が右手に携えている炎の剣が頭上にありました。
格好いい!!
調べたところ、倶利伽羅剣(くりからのけん)というのだそう。
熱田神宮でも同名の剣が所蔵されているそうで、三種の神器の草薙の剣といい熱田神宮は剣とご縁があるようですね。
境内外からでも充分に存在感バッチリの楠。
木札に『神と沸の道 神沸霊場』とあります。
調べてみたところ、神沸霊場会という組織があり、比叡山延暦寺に事務局を置き、毎年神職、僧職の方が一堂に会し、神沸仏合同国家安泰世界平和祈願祭(会)を行われているそうです。
参加霊場は西国の大阪、京都、兵庫、奈良、滋賀、和歌山からなり、伊勢神宮は三重県ですが特別巡拝枠として記載されていました。
ここ最近参拝した、四条畷神社、叡福寺、今宮戎神社の名があり、ご近所さんですと、茨木市の総持寺、お水や諸々でお世話になっている水無瀬神宮、そして我が町高槻市の神峯山寺が大阪府の一覧にありました。
既に参拝させて頂いた神社やお寺も多数あり、参拝の有無を見ているだけでも楽しい。
【手水舎】
お水は使用できず、アルコールが置かれていました。
手水舎とは反対側のこちらの一画。
先程外から見た楠とは別の更に大きな楠。
境内に入る前から気になっていました。
すぐにでも側に行きたい衝動を抑えつつ、今日のメインイベントの祐気取りを教えていただきながら、皆さんと一緒に30分ほどお参りさせて頂きました。
【三重宝塔】
どの方位から見ても圧巻の佇まい。
こちらの立札には帰り際に気付いた為、積得には至りませんでしたが次回は是非。
目に見えるものがあるから、目に見えないものがある。
相反するものが揃って一つ。
関暁夫さんではありませんが、信じるか信じないかはあなた次第(^^)
本堂の御本尊は不動明王様がお祀りされています。
ただし、法楽寺さんのHPによると、江戸時代の頃の御本尊は如意輪観音菩薩だったそうで、明治期の廃仏毀釈の混乱のなかでいつの間にやら不動明王に変更されていたそうです。
さて、本堂でのお参りも終え後ろを振り返ると三重宝塔。
角には木彫りの鶏。
鶏=酉=西で、西の方角に設置されていました。
社務所の横にひっそりとあった祠。
境内図に記載はありませんでしたが、手を合わせておきました。
法楽寺は真言宗。
境内には空海さんのお堂、大師堂がありました。
さてさて、待ちわびていた楠エリアへ。
まずは手水舎裏手の水かけ不動がお祀りされている場所でお参り。
楠を中心に左手に回ると稲荷社。
更に左手に回ると休憩所と献灯台。
こんな立派な楠のそばに休憩所。
私がもし近所に住んでいたらば、毎日でも陣取っているかもしれません(笑)
そして更に左手に回ると、太い幹回りには天狗のお面。
右手に見えるお社は稲荷社の後方です。
更に左手に回ると楠大明神の鳥居。
楠の幹を取り巻くように、所狭しとお参りできる仕掛け。
この一帯がとても気に入ってしまい、天狗のお面のちょうど正面にあったベンチに腰掛けて一人休憩することに。
すると、竹箒を片手にお掃除のおばさんが出て来られご挨拶。
着物を着ていたこともあって、『涼しげでいいですね~。』と声をかけて下さり、私は私でこの一帯が素晴らし過ぎるのでついつい、『この場所とても良いですね。』と。
するとビックリされた顔で『分かる!?』と。
おばさまから伺ったお話しでは、以前の住職さんから『この木の天狗様は願い事を叶えて下さる。』と教えて頂いたとのことで、その側で奉仕できるのはとても誇らしく、この前お腹が痛くて臥せっていたけど『こんな時こそ天狗様の木のお掃除!』と思い立ち、草むしりに法楽寺さんへ。掃除をしているとあれほど痛かったお腹の痛みはどこへやら。それどころかお腹が減って仕方なかったと、完璧なオチまでつけて笑って話されていました(笑)
境内は箒で掃き清められており、とても心地の良い空間。
ちょっとビックリするくらいに良いお寺さんです。
気付けばお掃除のおばさんから色々とお話しを伺って、その中で先日参拝に伺った一心寺さんや四天王寺さんのお話しが出てきて、これからもお世話になりそうな予感がします。
さて楠周りのお参りもここで最後。
鐘楼です。
ありがたく鐘を撞かせて頂き、一礼。
最後に今日でとても大好きになってしまった楠にご挨拶。
必ずまた来ます。
今回参加させて頂いた『祐気取り』。
聞いたことはあっても、実際自分が行ったのは今回が初めて。
今まで来られた方の中には、怒って帰られる方や飽きてすぐに辞めてしまう方など様々な方がいらっしゃったとのこと。
何事もスピードや確実性、エビデンスを求められる今の時代となっては、不確かで、即効性のない祐気取りというものは、古めかしくて胡散臭く感じるものなのかもしれません。
実際、私も参加するまではどういったことをするのか、どういった効果があるのかなど全く知らずの参加でしたから、初めに全ての内容が分かっていたのであれば参加しなかったかもしれません。
ただ、目に見えないものを目に見えるものと同様信じるようになった今の私にとって、即効性やエビデンスを目に見えないものに求めるのは、いささかお門違いなのではなかろうかと感じます。
お互いに得意、不得意があって初めて一つ。
私と主人はデコとボコ。
一見全く合わないように感じますが、デコボコであるが故にお互いを補完し合って一つだと感じます。
夫婦喧嘩しますけどね。
言い負かしますけどね(笑)
でも、やはり男性の主人には適いません。
私をよく知る人からは『中身は男やんか!』と言われますが、残念ながらそこまで強くもなく、若い頃には『性別を間違えて生まれてきたんと違うやろか・・・。そして時代も・・・。』なんて考えもあったくらいに女性であることの歯痒さを体験しましたが、ただし今生は女性として出来る事を。
男と女
太陽と月
見えるものと見えないもの
どちらも合わせて一つ。