シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【山梨/富士吉田市】北口本宮富士浅間神社 恵比寿社 おみくじのえびす様

恵比寿社をあとに、本殿の後ろを過ぎ見えてきた鳥居は『富士登山道吉田口』
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鳥居をくぐると目の前には【祖霊社】

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神社参拝を続けるようになって感じたことは、この日本という国をここまで絶やすことなく繋いで下さった祖先の方々への思い。

戦後、あっという間に自宅から仏壇や神棚が急速になくなっていったと聞きますが、それでも今もこうしてお参り出来る事。

自身の祖先、そして先人の日本人の方々へ思いを馳せる場所があること。

本当にありがたく思います。

 

もしも、また人間として生まれ変わることが出来れば、願わくばまた日本人として生まれ変わりたい。(どこまでも図々しいです、私は。)

 

祖霊社から250mほど先に、北口本宮富士浅間神社の発祥の大塚丘社があると分かり、これは行ってみなければなりません。
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御祭神は日本武尊とあります。
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霊峰富士に更に近付いたからなのでしょうか。

木々の姿には圧倒されるばかりです。
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お社は想像していたよりもこじんまりとしており、
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大塚丘というだけあって、小高い場所にありました。
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さて、元来た道を戻り境内へ。

 

手前は日ノ御子社から始まりずらりと10社の摂社。
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一社づつ丁寧にお参りされている方を数名お見掛けしました。

傍目から見ていても、一心に手を合わせている姿は何とも美しいです。

 

摂社の目の前は拝殿側部。
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どの方角から見ても華やかな拝殿。

 

神変大菩薩役行者様。

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初めて富士登山を行ったのが役行者様だそう!

そのお隣にも摂社。

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名もなき木なのかもしれませんが、境内のどの木を見ても圧倒されるばかり。

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摂社が並ぶ中、ひときわ目立つお社は【諏訪神社

 

創建は未詳なものの、北口本宮富士浅間神社より歴史は古く当地の地主神と言われているそうです。

 

諏訪神社の拝殿右手には下諏訪社と子安社。

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境内の結界を張られたこちらの場所。

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あとで境内図を見て分かったのですが、高天原とありました。

高天原天津神が住まう場所。

 

例年8月26日、27日に北口本宮富士浅間神社諏訪神社で行われる『吉田の火祭り』という、富士山噴火を鎮めるお祭りで鎮火祭とも呼ばれ、そのお祭りの際に担ぎ出されるお神輿をこの高天原に一度収め、その後諏訪神社へとお神輿は収められてお祭りは終焉。

日本の十大火祭りの一つにも数えられるそうです。

 

さて、境内をぐるっと回って戻ってきたのは高天原のすぐそばの夫婦桧。
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日本の檜が寄り添う姿は、さながら高天原伊邪那岐命伊邪那美命のお姿のよう。

 

角度を変えて、拝殿から見た夫婦桧。
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近くには由緒書き

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またしても煌びやかな拝殿へと戻って来ました。
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御祭神は木花開耶姫瓊瓊杵尊のご夫婦、そして木花開耶姫の父上にあたる大山積神

男性の御祭神がいらっしゃいますが、圧倒的に感じるのはとても女性的な柔らかい雰囲気の境内。

それこそ、先程参拝した三嶋大社とは全く真逆な空気感。

 

同じ日に参拝させて頂けたことがとてもありがたく感じます。

 

さて、社務所御朱印を頂き、その際に出来た小銭でおみくじを頂きに恵比寿社へ。
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なんでしょう、この何とも言えない顔立ち(笑)
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私の知っているえべっさんのイメージは、『笑う門には福来る』な笑顔満面のえべっさん

商売繫盛の神様なんだし、『もっと営業スマイルじゃなくて良いの?』だとか、もうツッコミどころ満載のこちらの不服そうな顔のえべっさん

この何とも人間臭い顔に、『是非とも我が家へお越し頂きたい!』と喜び勇んで一緒に帰ってきました。

 

北口本宮富士浅間神社さんへは、このえべっさんを頂く為に来たのではなかろうかと思うくらいに、手にすることが出来て大満足。


最後の任務を終えて、大鳥居手前の稲荷社でご挨拶。
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名残惜しいですが、一時間に一本のバスの時間まであとわずか。

後ろを振り返ってご挨拶。
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ありがとうございました。
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先程までの煌びやかな境内とは打って変わっての参道。
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静と動。

まさしく参道を歩きながらのクールダウン。

さながら人間界へと戻る道のよう。
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今回頂いた御朱印は三社。

 

【北口本宮富士浅間神社
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北口本宮富士浅間神社発祥の地【大塚丘社】
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ここでちょうど御朱印が最後のページ。

丹生都比売神社の御朱印帳もそれはそれは女性らしくてとても美しかったのですが、今回いただいた北口本宮富士浅間神社御朱印帳も今までの私であれば選ばなかったタイプの美しい装丁。

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木花開耶姫命様の美しい雰囲気にピッタリです。

 

最後に、北口本宮富士浅間神社より以前にお祀りされていた【諏訪神社
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バスに乗り遅れることなく乗車。
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行きのバスの際、座った席が反対側だったからか全く気付きもしなかった富士山が、こうして当たり前のようにバスから望めます。

 

富士山へは20年ほど前に登りましたが、登山後の疲れた身体に温泉がとても気持ち良かったこと、山小屋での雑魚寝がギュウギュウだったこと、下山がメチャクチャしんどかったことは未だに鮮明に覚えています(笑)

 

そんなことを思い出しながら、行きと同様帰りも2時間半のバスと電車の旅。

 

気付けば三嶋大社で食べた福太郎餅2つと、小腹対策に口にしていたチョコレート以外ご飯らしいものを口にしておらず、降り立った三島駅で入ったお店はどうしても珈琲が飲みたかったくせに、何故だか頼んでしまった豆乳ラテのドトール
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この一口が誘い水となって、追加でやっぱり飲みたかった珈琲とパウンドケーキでちょっと一息。

 

ドトール閉店時間の20時までをのんびり過ごさせてもらい、さてここから夜行バスの出発時刻の21時10分まで1時間。

駅付近は時間を潰す場所もなく、バス停で一人今回のお参りを思い起こしながらボーっと時間

が過ぎるのをただ待ちます。

 

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満月の前日の三島の空。

 

いよいよ、シロンプトンとも家族とも離れて一人夜行バスでの今回のお参り。

 

どうしてお参りに行くのか。

 

相変わらず明確な理由は分かりませんが、お参りに行くと感じる『何か』を私は必要としており、その『何か』についてはこれだけはハッキリと分かっていること。

 

知識に裏打ちされたものではなということ。

 

何の予備知識もなく、ただお参りに行って感じる何か。

その時には分からなかった何かの集まりが必要な時に線となり、気付きとなるようです。

 

三嶋大社

北口本宮富士浅間神社

 

この度はご縁をいただき、ありがとうございました。