シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪/羽曳野市】誉田八幡宮、応神天皇陵

道明寺を後にし、徒歩で移動。

藤井寺市から羽曳野市へとやってきました。

 

想像していたのは、そこまで規模の大きくない神社。

予想に反してこちらの長く続く塀は誉田八幡宮の敷地のようです。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213427j:image

正面からズドーンと続く参道の先には本殿。

f:id:roy-7303-pkbs:20220619213516j:image

メチャクチャ立派です!
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213504j:image
境内は気持ちが良いくらいに掃き清められており、お掃除されているさん神職の方と目が合うと、お互い自然と出るのは挨拶の言葉。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213534j:image

このあと、目の前でちょうど祈禱が始まり、後でお話しさせて頂く宮司さんもこれがまたビックリするくらいのお人柄で、これだけ立派な神社にいらっしゃるからこそなのでしょうか。

とても丁寧に対応して下さり、感動しました。

 

こちらはちょっと強面な狛犬さん。

f:id:roy-7303-pkbs:20220619213550j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20220619213442j:image

応神天皇と言えばの神馬。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213445j:image

キリっとした狛狐の【姫待稲荷社】
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213540j:image

商売繫盛の【恵比寿社】

f:id:roy-7303-pkbs:20220619213450j:image

今宮戎神社三嶋大社えべっさんの鈴、北口本宮富士浅間神社のおみくじで引いたえべっさん、とここ最近気付けばえべっさんととてもご縁があります。

 

どうかどうか、商売繫盛となりますように。

死ぬ直前まで好きな仕事が出来れば本望です。

 

境内には応神天皇陵へと続く橋がありましたが、立ち入りは出来ないようになっていました。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213509j:image

江戸時代の頃までは仁徳天皇陵と同様、普通に入ることが出来たようで、ただ宮内庁管轄となってしまっては迂闊に近づくことも出来ません。

 

高槻市にある今城塚古墳は、宮内庁管轄ではなく、誰でも立ち入りが出来るようになっています。

民と共にある継体天皇といった感じでしょうか。

いつ見ても人が多く、気持ちの良い場所です。(←高槻アピール(笑))

 

 

さて、応神天皇陵は仁徳天皇陵に次ぐ2番目の規模を誇る古墳。

shironpton.hatenablog.com

 

その手前にある鎮守の杜はたいそう勢いが良く、その中でもこちらの木が際立っていました。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213557j:image

岩と木。

 

向きを変えて反対側からも。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213433j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213513j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213543j:image

うっかり写真を撮り忘れてしまっていましたが、この近くに素戔嗚尊が御祭神の当宗社がありました。

 

【誉田八幡宮の層塔】

f:id:roy-7303-pkbs:20220619213418j:image

平安時代後期から鎌倉時代前期頃に制作されたとあり、本来は13層にもなる層塔になるのだそうで、現在残っているのは4層の層塔。

材質は二上山から産出された石になるそうで、太子町の叡福寺他にも類似した石塔が残ると記載がありました。

 

叡福寺さんといえば、先月お参りさせて頂いたばかり。

shironpton.hatenablog.com

 

叡福寺から橿原神宮に向かう際、二上山の案内を見つけ、二上山へ行ってみたいと話していただけに、今年はお山に入らさせて頂いた方が良さそうな感じがします。

 

【安産社】
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213430j:image

木に鬼と書いて、槐(えんじゅ)と呼ばれる木で産屋の柱を造り、神功皇后は誉田別皇子を無事出産されたとあります。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213518j:image

【誉田林古戦場址】
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213522j:image

 

誉田八幡宮の付近は、南北朝、室町、戦国の各時代から江戸初期の元和年間にかけて戦略上の要地であったため、再三戦場の舞台となった。
南北朝初期の正平年間には、北朝方の細川兄弟と南朝方の楠木正行の間で合戦があった。
楠木正行は、金剛山を本拠として、摂津、住吉、天王寺近辺に出陣していたため、将軍足利尊氏が激怒して、細川顕氏を大将にした軍勢を河内に送った。
楠木正行は、金剛山から約30㎞離れた矢尾城を襲うと見せかけて、誉田八幡宮周辺に兵を潜ませて、合戦は後日かと油断した細川勢を急襲した。
太平記巻第25には、合戦の様子が描かれている。
室町時代中期の享徳年間には、畠山政長と義就の間で、何度か誉田合戦が繰り広げられた。
永正元年(1504)には、畠山稙長(たねなが)と義英の間で、合戦後の和議、「誉田八幡宮社前の盟約」が結ばれている。
大坂夏の陣では、豊臣方の武将 薄田隼人正が、誉田八幡宮境内に陣を敷き、当地から出撃して、道明寺近辺で討ち死にした。

 

楠木正成公の御嫡男、楠木正行公のお名前がありました。

四条畷神社へ参拝させて頂いてからというもの、楠木親子の軌跡を知らず知らずのうちに辿っているような感じがします。

 

境内にはたいそう立派な藤棚がありました。

f:id:roy-7303-pkbs:20220619213553j:image

表面上は枯れているように見えるものの、生い茂る葉の状態からまだまだ現役。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213528j:image

藤棚の後ろには放生池。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213506j:image

所々置かれている埴輪の模型は、やはり誉田八幡宮の裏手にある応神天皇陵をイメージしてのことなのでしょうか。

 

最後に参道を振り返る。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213531j:image

やっぱり好き❤

 

境内を後に、長い塀のそばを歩いていると何とも可愛らしい注意書きがありました。

『らくがき せぬこと』
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213421j:image

板に彫られた文字の字体といい、そもそも素材が木なのも素朴で何とも優しい感じがします。

 

誉田八幡宮の前を通る道は東高野街道f:id:roy-7303-pkbs:20220619213436j:image

今回一緒にお参りに行った友達は東高野街道のある町に住んでおり、道明寺駅に降りた時から『遠路はるばる来たけれど、家の近所と変わらないこの感じは何?』とずっと気になっていたそうで、その感覚はあながち嘘ではなかったようです。

 

『素直に感じること』

 

道明寺さんでのお参りでも感じましたが、今回の参拝で友達から教えてもらいました。

 

歩くこと十数分だったかと思うのですが、それでもこの日は夏日かと思うくらいに暑く、お茶をする場所を求めて道明寺の方面へ。

道明寺近くに巨木がありました。

【白光龍王大神】
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213439j:image

ムクノキになるのだそうですが、この一帯だけ気温が違います。
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213501j:image

素晴らしい!
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213424j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213546j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20220619213452j:image

このムクノキ近くにコッコヤさんというパン屋さんがあり、美味しそうなパンを購入し、気さくなお店の方とちょっと立ち話。

その際、土師ノ里の駅近くにお茶が出来る場所があると教えていただき、伺った先でまたしても面白い繋がりがありました。

 

cafeの一画に、高田昌耶さんというイラストレーターの方の作品が展示されており、何と高槻市在住!

高槻市の今城塚古墳と羽曳野市応神天皇陵を含む古市古墳群で古墳繋がり。

f:id:roy-7303-pkbs:20220619213447j:image

 

ノーウェア土師ノ里

nowhere.wanders.fun

 

繋がる時は繋がりますね。

そんな話を友達としながら、頼んだ飲み物はジンジャーエールf:id:roy-7303-pkbs:20220619213537j:image

これがとっても美味しかった!

 

今回、誉田八幡宮とご縁が繋がったのは、先月参拝した京都府亀岡市にある篠村八幡宮からの流れ。

shironpton.hatenablog.com

 

篠村八幡宮は誉田八幡宮から勧請されたとあり、勧請したのは源頼義公。

源頼義公との繋がりは、遡ること2年前の滋賀県でのお参り。

shironpton.hatenablog.com

 

点と点が繋がって線になり、その線が縦横無尽に広がってどんどん広がる新しい世界。

 

お参りをするから繋がるのか、繋がったと気付いたからまたお参りに行くのか、『卵が先か、鶏が先か』のようですが、いずれにしてもこうしてお参りさせて頂ける環境に感謝です。

f:id:roy-7303-pkbs:20220629204800j:image