前回の参拝から御朱印帳で確認するともう4年。
呉服と書いて『くれは』と読む池田市にある『呉羽神社』へとやってきました。
池田市には、前職で大変お世話になった同じ誕生日の先輩がいらっしゃいます。
ビックリしたことに、お互いの妹の誕生日まで全く同じ(笑)
今回、呉羽神社へ参拝に伺った旨連絡したところ、年内にお会いすることが出来る運びとなりました。
退職して5年。
楽しみです。
のっけから参拝とは全く関係のない話しですが、こんなご縁が繋がったのも参拝あってのこと。
ありがたし。
さて、目の前に見えてきたのは神門。
左手には恵美須大神と記載されており、今回の参拝の目的の神様。
前回の参拝でも感じたのですが、とっても華やかな御本殿。
御祭神は、仁徳天皇と呉服(くれはとり)。
呉服とは、応神天皇の時代に呉の国から日本に渡来し、織物、染色の技術を伝えたとされている女性です。
応神天皇の御代に阿知使主(あちのおみ)都加使主(つかのおみ)親子を中国の呉国に遣わし機織裁縫の工女を求められました。長い旅の末、呉の国に趣き呉王に乞うて呉服(くれはとり)綾羽(あやはとり)の姉妹を伴い渡来することとなりました。姉妹はこの地に渡来した後、昼夜怠ることなく布帛(ふはく)を織り続け(暗夜には星が降りてきては白昼のように手元をてらしたと伝承があります)我が国に機織裁縫の技術が伝わり男女季節階級に応じた衣服が広まったと言われております。
呉服(くれはとり)は仁徳天皇の76年9月18日に御隠れになり御身体を姫室に、翌年仁徳天皇がその功績を称え御神祠(当神社)を建てられ御霊をお祀りすることとなりました。
【出典元:呉服神社について | 呉服神社 - Kureha Jinja -】
前回は御祭神まで気が回っておらず、今回初めて仁徳天皇がお祀りされていることを知りました。
社殿の雰囲気からあまり古くない神社ではないのかと思っていたのですが、仁徳天皇の時代に創建となると4世紀末か~5世紀前半までとされていることから、相当歴史の古い神社になります。
そして、こちらが今回の参拝目的の恵美寿様のえべっさん。
【恵美寿神社】
拝殿でお参りをしようとふと目の前を見ると、面白い立札がありました。
『恵美寿大神様はお耳が遠うございますので、横手までお廻り願いお祈り下さいませ。宮司』
とあります。
そんなこと初めて聞きました。
であれば、と左手に回ると・・・
ありました!
『叩き板 三度叩けば 幸ちきたる』
と書いてあり、木槌で三度叩いてお願い事をするシステムのようで、あとで宮司さんに伺った話ですと、これは大阪(関西だったかも・・・。)方式のようであまり大々的にはされていないようです。
大々的にしてしまうと、十日戎の日には長蛇の列となってしまいますもんね(^^;
ひっそりこっそり、気付いた方はえべっさんにより近い場所で聞こえるようにお願い事を(^^)
木々がとても豊かな境内。
【稲荷大明神】
【瓢箪山稲荷神社】
呉羽神社でまさかの瓢箪山稲荷神社。
この半年ほどとても気になっている神社で、これはそろそろタイミングのようです。
ありがたし。
こちらは後ろにお社がありませんが、よく見てみると
大きな岩がお祀りされていました。
そばの木とセット。
こちらの岩のそばにある木は本殿の後ろ手にあり、ちょっと面白い一帯。
【天満宮】
天満宮のそばに、立札に『姫室への道』とあり奥には進めないようになっていましたが、呉服が納められた場所(=姫室)になるようです。
この日は晴天。
朱塗りの御本殿とご神木がとても美しく、良きお参りとなりました。
えべっさんゲット!
前回参拝時には気付かなかった箇所が沢山あり、この5年で沢山の場に参拝させていただけていることに、今更ながらとてもありがたく感じました。