以前、観心寺に参拝して以来気になっていた阿字観瞑想。
近くにないかと探していたところ、半年ほど前まで毎週末通っていた道沿いにあることが判明。
場所は寝屋川市。
事前申し込みの際、ふと頭に浮かんだご夫妻も含めて3人で申し込み。
勝手に申し込んでしまいましたが、話しをするや否や即快諾で、片道15キロをサイクリング。
朝の8時前には出発し、そこからひたすら漕ぐこと一時間。
車の交通祈願と言えばの、成田山へとやってきました。
手水舎側の木が迫力満点。
こちらの手水舎は龍が正面にいるのではなく左右。初めて見るタイプかも。
手水舎の寺紋が気になり写真に撮っていたようです。
下記は、成田山のHPからの抜粋です。
大本山成田山新勝寺は皇室との縁が深い寺院であり、皇室から「菊」の紋様を使用することが許されていました。そのことから、かつては中央に菊の花を配し、その外側を包み込むように菊の葉を配した「葉菊」という寺紋を使用していました。
しかし、明治維新の際、当時の政府が全国的に「菊」の紋様の使用を制限したことから、成田山でも「菊の花」の使用を禁じられました。そこで「菊の花」の代わりに「牡丹」を使用し、葉については「菊の葉」をそのまま残すという紋様になり、現在に受け継がれています。
この「葉牡丹」の紋様は、大本山成田山新勝寺と正式に縁故がある寺院のみが使用を許されており、無断の使用は固く禁じられております。「葉牡丹」は正式な成田山寺院の証なのです。
参拝するようになって実感するのが、こうした何気ないところに意味があり、その意味が分かるとより一層参拝が楽しくなるということ。
生きた社会科の勉強のようで、自分が知りたい事を勉強するのは本当に楽しく、いつまでたっても勉強をすることは私にとっては必要な事なんだと思います。
木の左右に、本日のジン友ご夫妻。
朝は寒かったのですが、サイクリングで相当汗をかかれて到着するなり半袖!
ご夫婦ともにとっても元気で、今後もこうしてふらりと一緒に参拝出来ればと思います。
この日は朝からとても良い天気で、七五三のお参りの方も沢山来られており境内は走り回る子供の声や、それをたしなめる親御さんの声でなんとも賑やか。
成田山の狛犬さんはとっても格好良くって惚れ惚れとしてしまいます。
めっちゃ豪快に笑ってはるー(笑)
本殿前には細工の凝った香炉。
鏡のように見えますが、こちらが本堂。
ミラーガラスだと思うのですが、このガラスの向こう側が本堂で、こちらの本堂で一日も欠かさず護摩行をされています。
このあと本堂内に入らさせていただくのですが、私の知っている厳かな感じの護摩行ではなく、例えるのが難しいのですが強いて言うならライブのような感じ。
『見て・感じて・楽しむ』というのが一番ピタリと来る感覚。
とても新鮮でまた参加させていただきたいと思いました。
こちらはその本堂裏手の一画。
【出世稲荷堂】
こちらは本堂の真後ろ。
ビックリしたことに何の囲いもなく大日如来がお祀りされておりました
どうもこちらの大日如来様は人気なようで、長い間手を合わせられている方を何人もお見掛けしました。
張り切って早くに出発し過ぎて、そのお陰で朝から護摩行にも参加出来、他色々と参拝することが出来ました。
阿字観瞑想は午前と午後の部の一日二回。
10時開始の10分前となり、阿字観瞑想の会場となる吉祥閣へ。
いやはや名前の通り、彫り物と色彩が美しい煌びやかな入り口です。
反対側から見ると、金色の葉牡丹の紋が嵌め込まれていました。
私たち以外にも初心者の方が3名いらっしゃり、まずは初心者だけで説明を聞き、阿字観の何たるかを教えていただきます。
その後、ベテランさんも合流されて合計1時間半ほどだった思います、後半はほぼ寝ていました(笑)
いやー、ほぼ寝ていましたが、良い経験でした。
『大半の方が寝ていらっしゃいましたよ(笑)』と、阿字観瞑想を教えて下さったお寺の方が最後にお話しされていましたが、途中暗くなり、よく分からない音楽が流れ(←意味が分かると頭で考えてしまうので、意味が分からないからこそ良いのだそうです。)、気付けばうつらうつらと身体が前後に揺れ、何度か体制を整えたのまでは記憶にあるのですが、そこからはもう無。
気付けば終了(笑)
年末年始は、繁忙期となり阿字観体験は開催されないとのことですが、暖かくなったころにまた参加しようと思います。
終了後、阿字観の資料と御供物、そしてこちらの可愛い修行之証を頂きました。
スタンプを貯めるのが楽しみで続けていそうな予感(笑)
【大師堂】
成田山に奥之院があることを初めて知りました。
ジン友の後を追って階段を下ります。
こちらの洞窟のような場所が奥之院。
場所はちょうど本堂の真下辺りになるのではなかろうかと思われます。
中には十二支の守本尊が安置されておりました。
奥之院を出て、先に進むと水は流れていなかったもののお滝行場がありました
参拝した日は十一月の中旬。まだまだ紅葉はこれからといったところ。
このあと、香里園の駅の近くで大阪ならではのお好み焼きを食べて(ランチは+100円でお味噌汁とご飯付きでお得でしたが、私はお好み焼きとご飯は別派。関西人ならセットやろ!と言われつつも単品で注文しました(笑))、話しもそこそこに、お互い同じ年頃の子供を持つ親。子供達が帰ってくるまでには帰らねばならず、一路山の麓の自宅を目指してサイクリング。
初めての、家族以外の人とサイクリングで参拝。
楽しかった(^^)
いただいた御朱印。
成田山の朱印は葉牡丹ではなく、ここ最近続いている火炎宝珠のように見えます。
火炎宝珠を調べていると、如意宝珠につながり下記Wikipediaからのコピーです。
仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと。サンスクリット語でチンターとは「思考」、マニは「珠」を指す言葉で、「意のままに願いをかなえる宝」と解釈できる。如意宝、如意珠、または宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)と呼ばれる。
チンターマニの形状は、日本では一般的に下部が球形、上部が山なりに湾曲して尖っている。一方、チベット仏教の宗教画、建造物では下部が円柱として伸びており、上部が山なりに湾曲して尖っている。
一つの種類として、3つのチンターマニが積み重なり(一般的には下に2個横に並び、その上に1個乗った形)一つの火炎に包まれたものがあり、これは三弁宝珠と呼ばれる。チンターマニは仏や仏の教えの象徴と考えられる。地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、如意輪観音などの持物、三昧耶形とされる。チンターマニは無限の価値を持つものと伝えられており、祈りの対象となる。
チンターマニは通常、仏塔の相輪の最上部に取り付けられる。そのほかには仏堂の頂上に置かれることがある。
擬宝珠(橋の欄干など寺院以外の建造物の装飾)は、チンターマニを模したものとする説がある。如意宝珠の概念は天台智顗(智顗)の摩訶止観とともに日本に伝わった。平安時代には神道にもとりこまれ、稲を持った豊穣の女神ウカノミタマが、富裕の神として如意宝珠を持った姿で描かれるようになった。
ウカノミタマとともに信仰されてきた如意宝珠の図柄は、熊野本宮大社の牛玉宝印や伏見稲荷大社のご朱印として押印され続け、現代でも信仰の対象として使用されている。
なお宝珠印の原型と見られる炎を放つ液滴の図柄は、日本に仏教が伝わる前の6世紀頃、高句麗の高山洞1号墳北壁の玄武壁画の中央にすでに描かれている。
【出典元:如意宝珠 - Wikipedia】
火炎宝珠、如意宝珠は如意輪観音の持物とあり、大好きな如意輪観音様と繋がりました。
本堂の裏手には出世稲荷がありましたので、朱印の紋はそちらの意味合いが濃いのかもしれません。
それにしても、こうも毎回同じ紋が続きますと、何かが起きるのではないかとワクワクしてしまいます。
傍から見れば単なる偶然であったとしても、私にとってみれば楽しい必然。
同じ出来事であったとしても、どう見るかで大きく変わり、であれば私は私の信ずる方へ。
結果が違ったとしても、そんなことはどうでも良いのです。
ただ、体験し、自分がどう感じ、そのあとどう行動するのか。
失敗を恐れて、今まで俗にいう正しい道ばかり歩いてきましたが、この年になってやっとそこから少し一歩踏み出せたような気がします。
間違えても良いから、まずは初めの一歩!