観心寺をあとに、観心寺のお参りとセットでどうしても参拝したかった神社へ。
ところが道中、道を誤ってしまい目に見えてきたのは『楠妣庵観音寺』の案内板。
楠妣の文字から、楠公さんの奥方久子夫人縁の場所だろうと目星を付けていましたが、ビンゴ。
久子夫人が楠家の菩提を弔ったお寺になるそうで、調べてみたところ紅葉が綺麗なようです。
こちらは次回の参拝時に是非。
さて、ずいぶんと遠回りになってしまいましたが目的地に到着。
【建水分神社】
建水分神社は後醍醐天皇が楠公さんに命じて、山下の川沿いにあった社殿を山上へと再営されたのだそうで、金剛山の鎮守であり楠家の氏神神社でもあります。
緩く続く坂道を上って、目にした情景にビックリ。
大鳥居もさることながら、その大鳥居に負けじと狛犬さんもビッグサイズ!
大きさの割にお顔は穏やか。強面ではありません。
めっちゃ笑ってはる!
御祭神は、造花三神である天御中主神、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、罔象女神(みつはのめのかみ)、瀬織津媛神と、今PCに向かいながら、そうそうたる神様がお祀りされていることを改めて知り、年末詣で佐久奈度神社で瀬織津姫神へ参拝してきたばかりでしたので、少々テンションが上がっております(笑)
大鳥居をくぐり、目の前にある石段を上がるとすぐに拝殿があり、参拝される方やおみくじを求められる方で決して広くはない拝殿前がすし詰め状態。
写真は早々に諦めて、拝殿左手に周ってみました。
拝殿の後ろの階段があり上部に本殿が見えました。
この構造は、天河大弁財天社や丹生川上神社下社とよく似ています。
金峯という文字から吉野の金峯山寺が思い起こされ、少し調べてみると、実際吉野山に金峰神社がありました。
ただし、御祭神が異なり吉野山は吉野山の地主神である金山毘古命。
漢字のまま納得な御祭神で、建水分神社の金峯神社の御祭神にちょっと違和感を覚えました。
吉野山は後醍醐天皇がいらっしゃった場所であり、楠公さんは後醍醐天皇の忠臣。
となると、勧請されるのは吉野山の地主神である金山毘古命なのでは?とは素人考えですが、いずれにせよ時代の変遷の中で、変わってしまったのかもしれません。
さて、参拝を終え階段を降りていくと入れ違いのように次から次へと参拝される方が来られ、顔見知りの方も多いようで新年のご挨拶をされていたりと、地元の方々から崇敬篤い神社なことが窺い知れました。
境内には金剛山への登り口があり、調べてみたところ磐座もあるようです。
いつかは登ってみたいと思っていたお山だけに、そこに楠公さん、磐座とくれば興奮しない訳がなく、今年はお山登拝の年となれば嬉しい❤
【南木神社】
全体像も。
南木をひっくり返すと楠。
楠公さんをお祀りする神社では最古の南木神社。
湊川で戦のあと、自害された楠公さんを後醍醐天皇が翌年、建水分神社の境内にお祀りされたのが南木神社の始まり。
観心寺から建水分神社へと向かう道すがら、子供達に楠公さんがどういった人なのであるかを聞かれ、つらつらと話していました。
・先程参拝した観心寺で幼少期に勉学に励まれていたこと。
・その後、天皇の正当なる血筋である南朝の後醍醐天皇に終生忠誠を誓われ、最後は湊川の地で亡くなられたこと。
・湊川の決戦前に、当時まだ11歳だった息子の正行公に桜井(島本駅前)で、
『いかなる時も正当な天皇をお守りせよ、ひいてはそのことが親孝行になる』
と息子を諭し河内の国へと帰らせたこと。
・その息子である楠木正行公は、四条畷の地に眠られていること。
吉野にある如意輪寺、吉水神宮、兵庫県の湊川神社、大楠公戦跡、大阪にある島本駅(桜井での決別)、四条畷神社、小楠公御墓所、そして今回参拝した観心寺、建水分神社と、5年前に初めて輪行で参拝した湊川神社に始まり、気付けば楠公さんにまつわる場所へ色々と参拝させて頂いております。
小楠公の御墓所がある四条畷市には、若かりし頃受けた高校入試の併願校があり、更にその沿線に30年近く住んでいたこともあり、全く知らない土地ではありません。
その後、高槻市に越してきて島本駅の楠公さんと小楠公さんの銅像を目にしたことはあるものの、当時は楠公さんのこと知らなかったこともあり、記憶の片隅に銅像があったことは覚えている程度(^^;
そこから5年前の退職時に、一気に歯車が回ったということが今になってみればよく分かるのですが、当時の私は歯車が回ったどころか、意気消沈、羽根をもがれた鳥のようで、大好きな仕事との別れに息も絶え絶え(笑)
5年前、地元高槻の安岡寺で初めて仏像を前に、訳も分からなく涙が溢れる経験をしたその仏像は如意輪観音。
そののち、磐座巡りの中、たまたま参拝した神呪寺の御本尊が如意輪観音であり、その神呪寺で日本三大如意輪観音なるものを知り、観心寺と室生寺を知ることに。
昨年に入り、どこでどう繋がったのか楠公さんと観心寺に縁があることが分かった時のあの感動は、ちょっと言葉では言い表せません。
こうして今までの流れを列挙してみると、いずれ参拝することは決まっていたのではないのかと、ふと思いました。
なぜこうも楠公さんに惹かれるのか。
TVでは画面越しとは言えども、現存しているイケメンが沢山いるのに(笑)
どれだけ考えてみても今のところ答えは出そうにはありませんが、どんな形にせよ、こうして参拝させていただけていることは事実でしかなく、気付けば何十年もかけて点と点が線に繋がったということが今回腑に落ちました。
昔から、こうして意味のないことや自分にとっての真実を探すことがとても好きでしたが、いつの頃からか、そういった意味のないことよりも、生産性のあること、合理的な事、生きていく上で最優先しなければならないことを優先順位の筆頭に掲げて我武者羅に生きてきました。
ただ、生きていく上でそちらも必要だけれども、今反対を生きてみて感じるのは、二つで一つ。
自分のアイデンティティーの確立のような感じになるのか、傍から見れば無意味な事も必要なようで、双方のバランスをとった上で、自分というものが確立されるのではなかろうかと、ここ数年感じるようになりました。
以前の私は偏り過ぎ。
その偏る前の私も偏り過ぎ(笑)
今は、その二つの統合作業をしているような感じがし、その統合作業にどうやら参拝は欠かせないような気がします。
あくまで、私にとってはですが。
さてさて、そんなことに気付いた新年早々での参拝。
今年も縁ある場所で、参拝させていただければと思います。
ありがたし!