偶然目にしたブログに小楠公さんの御廟についての記述があり、場所は東大阪市にある往生院。
命日は2月4日とのこと。(旧暦であれば1月5日になるようです。)
そして17年前、私と主人が結婚式を挙げた日。
御廟へのお参りへは事前予約が必要とのことで、ちょうどタイミング良く2月4日に東大阪へと向かう主人と息子に同行し3人でお参り。
撮影は不可との掲示があり、一切写真はありません。
お供えにと用意したのは、地元高槻の和菓子屋さんで購入した『槻っこ』というお菓子。
なんでも藤井聡太棋士が対戦の際おやつとして食べられたようで、享年の小楠公さんと年も近いこともあり、これも何かのご縁とお供えして参りました。
(帰り際に、お下がりとしてお持ち下さいと仰っていただき、ありがたく頂戴してきました。)
小楠公さんの生い立ちに始まり御廟までを一通り案内して下さった方は東大阪市議会議員の方で、御廟の側にあった石碑の詩は祖父のものだとのこと。
どうも往生院と近しい間柄のよう。
あとで調べてみたところ、往生院の住職さんではなかろうかということが分かりました。
お参りに先立って、色々と資料を頂きその中でもこちらの『楠木正行と日本赤十字社』の話しにまたしても涙が止まらず、今読み返してもそれは同じこと。
こちらの内容は以前参拝した四条畷神社の境内にも掲示板があり、その際も一人涙目で境内をウロチョロしていたことを思い出しました。
楠木一家のこちらの資料もとても興味深く、楠公さんに強く影響を受けた坂本龍馬、近藤勇、吉田松陰の話しが紹介されていました。
生まれた時代は違えども、想いは時代を越えて受け継がれること。
私は参拝を通して楠公さんを知り、まだまだ浅学ですが、それでも強く惹きつけられ、この想いは時空を超えての想い。
裏面には楠木一家ゆかりの寺社仏閣が紹介されており、楠公さんを知る前から縁の場所に参拝していたことに気付きました。
楠木家の家紋である菊水紋。
さてこの後は、主人と息子と分かれて別行動。
車に積んでいたブロンプトンを降ろし次なる目的地へ。
つづきます!