等乃伎神社を後に、Googleマップを頼りに次なる目的地へ。
長く続く外壁の先には、
大きな鳥居の大鳥大社。
つつじをみると、小さい頃花の蜜を吸っていたことを思い出し、あれから何十年も経った今、息子が同じことをしている姿を見て、世の中はものすごいスピードで変化していますが、根本的な事は何も変わらないのだと感じます。
広い参道を歩いていると、前方にズラリと並んだ酒樽が見えてきました。
こちらの酒樽、まこともいう植物で編んだ『菰(こも)』と呼ばれるむしろを樽にまとませることから、菰樽(こもだる)と呼ばれるのだそう。
(場所柄だと思うのですが、初めて見るだんじりのイラスト!)
真菰(まこも)は水辺に群生するイネ科の多年草で神の宿る草と言われ、その土地と水を浄化する作用があるとされています。
今はもう閉店してしまいましたが、地元の乾物屋さんから真菰を購入していました。
茎が食用でき、近い食感と言えばたけのこのよう。
今年はどこかで購入出来ると良いのですが。
菰樽を左手に左右に分かれる分岐に突き当たりました。
本殿のある場所を目指して左折。
まず初めに見えてきたのは【祓所】
その右手には御祭神である日本武尊の像。
日本武尊といえば、滋賀県にある建部大社の御祭神も同じく日本武尊。
気付けばもう3年も前の参拝になるようで、改めて色々な場所に参拝させていただけていることに感謝の気持ちが沸々と湧いてきます。
こちらの案内板によると、大鳥大社は和泉国一之宮になるそうです。
『神恩感謝 感謝こそが開運への道標』
これは本当に心底納得で、どれだけ沢山祈祷しても、お守りを買っても、結局自分自身に不平不満がたまっていれば、新しいものは入りません。
まずは、不平不満の根本原因を見つけ、それらを取り除く努力をし、祓い、その余白に自分の欲するものが入ります。
そもそも傲慢な人間は自分が傲慢だとは思っておらず、まずはそこに気付けるかどうか。
気付きが始まると、自ずとお詫びと感謝の気持ちが内なる底から沸き上がり、いかに自分が傲慢で不遜であったかが、俯瞰して見れるようになります。
こうしてエラそうな事を言っておりますが、これは全て実体験済みのことであって、もちろん現在が完成形かというとそうではなく、日々積もる不調和な感情に気付き、手放し、又不調和な感情が入りの繰り返し(笑)
そんな日々の積み重ねで、やはり大事な事は感謝をするということ。
それも、内なる奥底から湧き上がる感謝。
感謝の反対語は『当たり前』
何事も『当たり前』ではないのです。
神馬の中央には八尋白鳥の御神紋。
日本武尊が伊吹山で山の神の怒りを買い、その後悪化した体調が戻ることなく、故郷である大和の地を踏むことなくお亡くなりになられ、その御魂が白鳥になり辿り着いた場所がここ堺の地。
御神紋の白鳥はそのことに起因するようです。
こちらはとても清々しかった【手水舎】
境内図を見ると街中にもかかわらず、鎮守の杜の広さに驚かされます。
こちらは手水舎の側にある木。
素晴らしい枝ぶり!
根が途中から縦横無尽に分かれています。
拝殿前の鳥居。
よくよく見ると柱の形が円柱ではなく角柱。
八角形の柱は今まで気付いていなかったのかもしれませんが、初めて見る形かもしれません。
こちらは拝殿にかけられている幕。
参拝時に当たり前のように目にしていますが、正式名称が分からず、神前幕というのでしょうか?
日本武尊は皇統の流れを汲む為、八尋白鳥の神紋と合わせて菊の御紋も。
拝殿から振り返った景色。
右手にある手水舎側の木の存在感たるや。
こちらは本殿の左右にある『招霊(おがたま)の木』
先程の手水舎側の木も立派でしたが、こちらの木も四方八方に広がる枝ぶりがとても気持ちよく、やはり木の状態が良い場所は心地良く感じます。
招霊の木は、天鈿女命(アメノウズメノミコト)が岩戸開きの際、手にして踊ったとされる木で、太古の昔から神事とは切っても切り離せない木。
反対側から見てもこの素晴らしさ!
さて、拝殿を後にし境内を東へ進んでいくと突き当りに摂社がありました。
【大鳥美波比神社】(おおとりみはひじんじゃ)
天照大御神の他に、撫で牛さんがあることから菅原道真公もお祀りされています。
突き当りを左にまっすぐの参道を進んでいくと、
根の形が尋常ではない木がありました。
【根上がりの大楠】
根が隆起していることから、根が上がる=値が上がる。
転じて、価値が上がる、運性が上がると言われているようです。
日本語の音の面白さ。
目で見えることだけが正しい訳ではないと気付かされます。
お賽銭箱の中央には、打ち出の小槌に『根』とあり、これは商売繁盛にはピッタリの御神紋。
小槌を振れば振るほど『値上がるよー!価値が上がるよー!』と言わんばかり(笑)
根上がりの大楠の近くには東門があり、根上がりの大楠を参拝されるのであればこちらが近道。
そばには奥宮への入り口がありましたが、改修整備工事で入ることが出来ず、
中を覗いてみると、これまた根の素晴らしい木がありました。
ただし、今回はご縁がなかったと諦めるしかありません。
奥宮への入り口は本殿東側にあたり、そのそばにはとても印象深い二本の木がありました。
最後に大楠さんへご挨拶。
境内には大阪府神社庁のポスターがもう一枚あり、こちらは以前瓢箪山稲荷神社で見かけたもの。
北畠親房公は、後醍醐天皇の側近中の側近であり、楠木正成公と共に南朝に尽くされた御仁。
北畠親房公が御祭神の神社が大阪にあり、そろそろ参拝のタイミングなのかもしれません。
帰り際に神馬さんを前から撮ってみると、何とも優し気で尚且つ躍動感ある一枚が撮れました。
ふと後ろ手にある日本武尊の像を見ると、ちょうど鳥が止まりご機嫌さんでお喋り中。
日本武尊の象徴は白鳥に対して、こちらは黒っぽい色。
白黒相反するもの。
相反するが故に一つ。
4月の参拝はこれにておしまい。
今回の参拝に共通しているのは、信太森葛葉稲荷神社の御神木の楠、等乃木神社の木、そして大鳥大社の根上がりの大楠。
いずれも大樹ばかり。
そして、その木へと導かれることの発端は、明け方に見た大きな木の根元へとブロンプトンで走る夢。
更にその夢に対して、長老の『先方には話しはつけてある。』の一言。
この参拝で何かが大きく変わったのかと言えば、表面的には何もないのかもしれませんが、内なる声を感じ、聞いて行動することに関して言えば、より一層、見えないもの、方への信頼感が強くなったような気がします。
何事にも当たり前はなく、こうして参拝の運びとなっていることに感謝です☆