シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪/生野区】【御先祖様への鎮魂】地名から繋がった巽神社

間違いなく私のライフワークの一つになるであろう家系図作成。

戸籍謄本で見つけた地名をGoogleマップで検索したところ、当時の地名はないものの近しい場所を見つけ、ふと目に入った通りの名前が『中桑原橋通』

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ちょっとこれは面白いシンクロ。

こちらは職場でライフスタイルが似ているお姉さまから頂いたお米屋さんのパンフレット。

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桑原!(笑)

そして今ふと思い出しましたが、遡ること数週間前に職場での会話の最中、私が『くわばら、くわばら』と口に出した途端、残る二人が目を見合わせて今の言葉はどういう意味なのかと。

まさかそんなところでビックリされるとは思ってもおらず、お二方が言うには『くわばら』という言葉は初めて聞いたとのこと。

早速その場にいた何でも調べるのが大好きなSさんがスマホで調べたところ、それはどうも呪文らしいということが分かりました。

なんでも、死後に雷神となった菅原道真公の祟りで京の都に落雷が落ち、ただし道真公の領地であった京都の「桑原」だけには雷が落ちなかったことから、雷除けとして「桑原」と唱えるようになったとされる説。

そしてもう二つ有力な説があり、一つは雷神が桑の木を嫌うという伝説。

そして残る一つは兵庫県三田市の欣勝寺の井戸にいたずら好きな雷の子が落ちてしまい、欣勝寺の和尚さんが懲らしめたという民話。

いずれにしても、雷繋がり。

私は子供達によく雷を落としますが、それもほどほどにしておきなさいということなのでしょうか(^^;

そんな桑原3連チャンで、タイミング良く週末に天王寺に行く予定があり、天王寺駅から目的の生野区へは電車で30分。

行かない理由はないですね。

きっとこの場所しかないであろう神社もあり、参拝に伺ってきました。

 

【巽神社】
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今回は母と参拝。

今年は生まれてすぐ亡くなった私の兄の50回忌。そのお参りの後、こうして御先祖様に繋がる土地へと赴いていることに、偶然はないなと改めて感じています。

頭でこねくり回してコントロールしたことは一見無駄なく合理的なように思えるのですが、私のように我の強い人間のすることはどうしても損得勘定が働き、所詮は人間の浅知恵。

上手くいかないのです(^^;
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御祭神の一柱である『印色入日子命(五十瓊敷命)』のお名前を今回初めて知り、調べてみたところ面白い繋がりがありました。

 

・第11代垂仁天皇の皇子で、第12代景行天皇の同母兄である。

石上神宮奈良県天理市)神宝に関する伝承で知られる。

 

昨年、鎮魂のキーワードから大変お世話になった石上神宮と繋がりました。

 

五十瓊敷命は菟砥川上宮(うとのかわかみのみや:大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域)にて剣1千口を作り、石上神宮奈良県天理市)に納めた。そして、以後五十瓊敷命が石上神宮の神宝を管掌した。
同条別伝によると、五十瓊敷命は菟砥河上で大刀1千口を作らせ、この時に楯部・倭文部・神弓削部・神矢作部・大穴磯部・泊橿部・玉作部・神刑部・日置部・大刀佩部ら10の品部を賜った。また、その大刀は忍坂邑(奈良県桜井市忍坂)から移して石上神宮に納めたという。
垂仁天皇87年2月5日条
五十瓊敷命は老齢のため、石上神宮神宝の管掌を妹の大中姫命に託した。大中姫命は、か弱いことを理由に神宝を物部十千根に授けて治めさせた。これが物部氏による石上神宮での神宝管掌の起源という。

五十瓊敷入彦命 - Wikipedia

 

【拝殿】

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拝殿の右手には【大東亜戦争英霊顕彰】
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今年は戦後80年。

今までこうした戦争で亡くなった英霊の方々への顕彰碑は目にしていたのだと思うのですが、ここまで日本と日本の為に亡くなった方々の事を考えたことはなく、今日本が大きく揺らいでおりますが、その大きな揺らぎがあるからこそ日本についてよく考えることになったのだと思います。

一見不都合な事も、別の角度から見るとそうではなく、気付いた今声を上げ行動される方が日に日にどんどん増えていますしね。

日本人の目覚めです。


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境内はこれでおしまいかと思ったのですが、掲示板に巳の文字が見え、その先に進んでいくと社務所の裏手にお社がありました。
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豊川稲荷社】
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豊川稲荷は愛知県にある曹洞宗豊川稲荷妙厳寺と称するれっきとした寺院。

ただし、巽神社にお祀りされている豊川稲荷社は社がつく通り神社。

どういった経緯で勧請されたのかは分かりませんが、豊川稲荷豊川稲荷社として境内にお祀りされているのは全国的にみても珍しいことのようです。
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TOYOTA創始者豊田佐吉さんの言葉。
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最後に『必ず』とあるのが心に響きます。

 

私は自分が思っていた以上に、飽きやすく諦めやすくそして根性が無いことがここ数年の自分の行動でよく分かりました。

学生時代は陸上部の長距離所属で、それこそ根性必須!

そんな環境にいたのだから根性の塊だと思っていたのですが、いやはやそうではなかったよう。

勝手に自分ですり替えていたのかもしれません。

本当の私には根性はなく、ただあるのは常に迷い。

それを紛らわせるために目の前の事に没頭して、無い根性を疑似的に作り出し、根性と忍耐でがむしゃらに生きてきたのではないかと。

 

そんながむしゃらに生きてきた私に元来備わっている根性はないのかもしれませんが、後天的に生活環境から根性もどきを手に入れ、と同時に常に迷いと共にある人生ですが、それでも今この瞬間ですらも私はいつか迷いなく仕事が出来る日が来るであろうことを諦めていません。

 

大きなお金を稼ぎたいわけではない。

(あるに越したことはないのですが、それこそ足るを知らなければその願いは天井知らず。)

私が望むことは、心の底からこれをやりたかったを思い出し、出来る事ならそれを自分の仕事として生きていくこと。

 

退職後からすでに9年弱が経ちますが何度もやってくる稼がなければならないという焦燥感と、働いていない自分は無価値だという自己否定はいつも二つで一つ。

 

今、大きな問題もなく生きることが出来ているのに。

自分で不安な未来を想像し、心配を創造し、困難であろう未来に備えて働かなければならないという幻想世界に翻弄されている私。

備えることは必要ですが、必要以上に不安にさいなまれて不安をベースに生きて行くことが本当にしんどくなってきました。

今、目の前にあることに集中してその瞬間に生き、その瞬間瞬間の感情に向き合い、先を見ずに今を生きる事。

目の前にあることを蔑ろにし、効率よく生きようと未来に意識を飛ばさないこと。

 

私はここにきて初めて自分の喜びの為に生きたいと思うようになりました。

私は不安ではない。

不安は幻想。

私が作った世界。

 

であるならば、それを壊せるのも私だけ。

私はその世界を壊したい。

きっと壊した先に私の望む未来が創造されるのでしょう。

それはどんな世界なのかは今はまだ分かりませんが、私の喜びの先に望む世界があり、間違えても不安の先に私の望む未来はないということ。

 

今回訪れた土地は父の母方の御先祖様に縁があるということが戸籍謄本から分かりました。

今回奇しくも母とその土地の氏神様へ参拝に伺いましたが、何か御先祖様孝行が出来ていたら嬉しく、何よりもこうして御先祖様縁の土地を巡ることは私を知ることになるような気がしています。

 

ただ、先日取り寄せた戸籍謄本にフィリピンの文字がありそう簡単に全ての土地を回るのは難しそうですが、今週末も御先祖様所縁の土地を訪れる予定です。

もちろんフィリピンではありません(笑)

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