・ネットで購入した品物のお店の店名に永平寺の文字を目にする
・主人が会社で普段話さない方との会話から永平寺の参拝話しを聞く
・私が8月の新潟の帰り道に永平寺の道路標識を見る
8月から立て続けに永平寺のサインが入り、3回続けばもうこれは即動かねばなりません。9月初旬に急遽主人と永平寺へと参拝に伺うことにしました。

20年数年ほど前だったかと思うのですが、中学校時代に仲の良かった友達5人でバスツアーに参加し行き先は福井県。
東尋坊と確か永平寺でおそばを食べたような記憶があるのですが、もう全く記憶になく(^^;
ただ、何だか薄暗い大広間でみんなでおそばを食べたことだけは覚えています(笑)
あの大広間が永平寺だったのであれば、それ以来ぶり。

参道の右側には観音様がおられ、清々しい空気と観音様の存在に心が洗われるようでした。

今回永平寺への参拝へと繋がったのは、今年の春先に主人ルーツを辿る度で四国へと渡り、その際家系の宗派の間違い気付いたことが発端だと感じています。
仏殿と後ろの建物は大庫院。
仏殿から眼下に見える中雀門、そして山門。

【仏殿】
中央には曹洞宗の御本尊であるお釈迦様が祀られており、向かって右側の仏像が過去、中心のお釈迦様が現在、そして一番左の仏像が未来を現わしている仏像になるそうです。
仏殿から左手に渡り廊下を通り、承陽殿へと向かう間に白山連峰の湧水の白山水が流れていました。
渡り廊下に沿って流れている川が白山水のようです。
白山水は毎朝道元禅師のお霊前にお供えされているようで、我が家も毎朝お水をお供えしていますが亡くなって尚、身体はなくともこうして弔い続けることは生きている人々が続けていかなければならないことのように思います。
今はあまりにも目に見えるものを重要視しており、見えないものへの感謝が絶対的に不足しているように感じます。
承陽殿は曹洞宗の開祖である道元禅師の御霊骨や御尊像を安置されていることから最も神聖な場所とされており、写真は不可でした。
因みに承陽殿の表門は「承陽門」と称され、明治天皇から贈られた諡号「高祖承陽大師」に由来しているとのことで、改めて明治天皇の霊格の高さを感じました。
承陽殿の写真がない為、承陽殿前の景色を。
さてここから来た道を戻り中央に位置する仏堂でご挨拶をさせていただき、お次は右のエリアへ。
大庫院から真向かいに見えるは僧堂。修行をされている僧侶の方々が座禅や食事、就寝などをされるお堂になります、
大庫院から見た仏殿。
大庫院には大庫院の精密な模型図があり、地下1階地上4階からなる巨大な建物だということが分かりました。
目に見える部分だけが全てではないですね。
大庫院では食事を司る典座寮を始め、永平寺の中枢機関的な部署が集まっているようです。

そしてこちらの建物にはまさかのエレベーターがあり、昭和5年(1930年)の改築時に設置された日本最古クラス!現在も稼働しているようです。
さてそのまま渡り廊下を下って左手に見えてきたのは松平家の廟所。

旧福井藩主である越前松平家の廟所であり、一般には非公開。
永平寺の境内は渡り廊下で全ての建物が繋がっており、どこを見ても清らかで美しく何よりもお山からの水が至る所に流れており、とても清々しい空間です。
こちらの急な階段は山門へ上がる為のもので参拝者は立ち入り禁止でした。
山門の両側には仏教の守護神である四天王が安置されていました。


その山門前から見える中雀門。
山門から中雀門、そして後方に見えるは先程通った大庫院。

左手に祠が見えます。
ズーム!

三宝大荒神と読め、竈の神で火の神ですね。
中雀門向かって右手側にも祠が。

弁財尊天と読め水の神様。

火と水で神。
このように中雀門を中心に左右にお祀りされておりました。

中雀門と反対側には山門か伸びる石畳沿いに鐘楼が見え、どこを撮っても絵になる美しさ。
山門から渡り廊下を歩いていると何やら声が聞こえ、声の聞こえる方へと進むと祠堂殿へ辿り着きました。

祠堂殿ではちょうどご供養の為のお経が始まり、ありがたいことにお堂の中に入らせていただけるとのことで、最後の御説法まで拝聴しました。
祠堂殿から見える納経塔。
祠堂殿でお経を聞いている間、やっと主人側の御先祖様の悲願がかなったような感覚がありました。
プライベートなこと故に詳細は伏せますが、先祖代々の菩提寺の宗派とお墓の宗派が異なることを春先の四国の旅で気付き、私が気付いてしまった以上そのままにする訳もなく、徹底的に調べた結果主人の御先祖様の宗派が曹洞宗であることが分かりました。
戒名、仏壇そして菩提寺、はたまた連絡の途絶えている四国の親族のお嫁さんの所在を見つけ現地に赴き(親族のお嫁さんであることから分かる通り、主人とは全く血のつながりもない他人です(^^;)、後日動かぬ証拠を揃えて勘違いの張本人である親族の元へと話しに行くのですが、衝撃の返しがこちら。
『もう間違えてしまったものは仕方がない。お墓も戒名もこのままにしておく』と。
まーじーでーすーかー。
ですよ、本当に。
主人は次男の為、分家となり初代とはなりますが、それでも宗派を変えるだなんて発想はどこにもありません。
それはこの10年強、神社仏閣への参拝を続けていく中で神仏や御先祖様などの目に見えない存在の方々を知るにつれ、こちら側がきちんとしなければあちら側でも大変な事になることが嫌というほど分かったからでもあります。
『間違えたけれど今まで問題がない』
『変更するにはお金がかかるから』
などの人間事はあちらの方々には関係がありません。
気付いた時点で修正が必要であれば修正すればよいだけの事。
それを人間事で修正しないと言うのです。
まぁ、私は次男嫁の立場ですので決定権はありませんが、気付いたにも関わらずそのままでいくとは、もう開いた口が塞がらないとはこのことです。
そんな事が今年の春にあった流れでの曹洞宗の総本山である永平寺からのサインとあっては、人間事で9月のお彼岸の時期にずらしたいだとかの思考はよぎりはしたのですが、とっとと参拝に来なさいのサインということでの今回の参拝。
帰ってからも色々とありました。
次の投稿はいつになるのやらですが(現実世界が忙し過ぎる!)つづきます。




























































































