シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪】交野天神社、継体天皇の想いを感じる

さて、参道を歩いてすぐに厳めしいお顔の狛犬さん。

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狛犬さんの裏手には樟葉中学校が見えます。

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参道を真っすぐ進むと、扁額のかかった鳥居が見えてきました。

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【交野天神社】(カタノアマツカミノヤシロ / カタノテンジンジャ)
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【手水舎】

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初めて見るタイプの鳥居です。
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木の鳥居はよく目にしますが、上部が瓦の鳥居は記憶にありません。

 

【拝殿】御祭神:光仁天皇桓武天皇の父)・天児屋根命菅原道真
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先程よりは少し年季を感じさせる狛犬さん。
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その頭上に、『樟葉宮賛歌』という歌がありました。
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歌詞の一番初めに継体天皇のお名前。

樟葉宮は継体天皇が初めて即位された土地。

 

 

拝殿右手に奥に続く道を見つけました。
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『樟葉宮旧跡、貴船神社』の張り紙。

進んでみます。
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右手に逸れる道の手前に
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末社 大神社】御祭神:天照大神(ただし、神武天皇も一緒に祀られていると表記されているサイトもあり、どちらが正しいのかは分かりません。)
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お社よりも何よりも、下の石積みがとても気になります。

厳重に二重に鎖までかけられています。

 

さて、先程の右に逸れる道を進んでいくと突き当りに階段。
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『史跡 継体天皇樟葉宮跡伝承地』の石碑。

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大阪府指定史跡 交野天神社 継体天皇樟葉宮跡伝承地 

日本書紀継体天皇元年正月甲申の条に「天皇行至樟葉宮」と見え、そこに即位せられた樟葉宮が樟葉と呼ばれたこの地域に営まれたと考えられており、交野天神社境内の東北方に当たる小高い丘にある貴船神社の付近が継体天皇樟葉宮跡と伝えられている。
村の産土神で穂掛神社とも呼ばれた貴船神社は、現交野神社社殿のあたりにあったものを樟葉宮跡とせられていた丘に移したものと伝承されている。

大阪府教育委員会

 

別の立て札

継体天皇樟葉宮跡伝承地 大阪府指定史跡

武烈天皇の死後、大連大伴金村らによって越前の三国(福井県)から迎えられた男大迫(おとど)王は、507年樟葉で即位したとされます。

このとき王の知己であった河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)が密使として活躍しており、即位には、北河内を本拠地とする馬飼部(うまかいべ)の大きな貢献があったと考えられます。
継体天皇は、5年後に山背国筒城(やましろのくにつつき・京田辺市付近)、12年後に弟国(おとくに・長岡京市付近)に移りましたが、大和国に入ったのは20年後のことです。 

以上は『日本書紀』によりますが、『古事記』は、樟葉宮以降については何も記していません。
樟葉官跡と伝えられるのは、枚方市指定文化財となっている貴船神社のある小丘のあたりです。
なお、関白左大臣一条実経(さねつね・1223~84)は、次の歌を詠んでいます。


くもらじな ますみの鏡 かげそふる くずはの宮の 春の夜の月(続古今和歌集)』

 

継体天皇と知己で、継体天皇の即位に大いに貢献したとある文中の『河内馬飼首荒籠』の名前が気になり調べてみました。

 

大和政権の群臣の中に、男大迹王の知人である荒籠がいた。

彼は密かに王に使者をおくり、朝廷の大臣・大連らが男大迹王を大和へ迎え入れる本意を詳細に王に説明させた。

使者は2日3晩かけて王を説得し、そのかいあって、王は大和へ向けて出発したという。

そして、荒籠に対し、「おまえがいなかったら、私は世間の笑いものにされていたことだろう。貴賤ではなく、その子心を重んじることが大切だ、というのは荒籠のような人を指していうのだろう」と感心し、践祚してから荒籠を厚く寵遇するようになったという。

【出典元:河内馬飼荒籠 - Wikipedia

 

読んで字のごとく、河内国の馬飼部(馬を飼育して大王家へ貢納する)の首長である荒籠。

当時、淀川の河川敷や河内潟に浮かぶ大小の島々には馬を飼育する牧草地があり、荒籠は樟葉牧の馬飼の首長だったようです。

そして、その馬飼部はなんと今の牧場のイメージとは全く異なる諜報機関

 

【出典元:我が国最初の諜報機関は馬飼部

 

概略は下記の通りです。

 

馬飼部から大王へ馬を貢納

大王から貴族へ馬が下賜される

その際、馬と共に馭者もまた馬飼部のところから派遣される

 

当時、上流階級の人達は馬を自分で乗るのではなくお抱えの馭者に馭させていた。

その為、馬飼部から派遣され馭者は色々な貴人の元へ派遣され、故に身近に様々な情報を得ることが出来ていたようです。

もちろん、その得た情報は首長である荒籠の元へ集約されます。

そりゃ情報機関たりえますね。

 

そして、男大迹の大王(後の継体天皇)はその諜報機関としての馬飼部としての機能を先見の明をもって察知しており、馬飼部とよしみな仲であったようです。

当時、動物の飼育をするものは下賤の者として差別されていたようで、馬飼部はまさしく馬(動物)を飼育する集団。

にもかかわらず、男大迹の大王は馬飼部のリーダー荒籠を厚遇したとあります。

いかに馬飼部が情報力に優れていたのか、身分の上下関係なく男大迹の大王は尊重し、その男大迹の大王に対して、荒籠は忠誠をもって気持ちに応えたのであろうと思います。

 

何だか胸にジーンと込み上げてくるものがあります。

 

さて、右手の石階段の先には、
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先程の立札に記載されていた【貴船(穂掛)神社】

御祭神:高龗神、第26代継体天皇
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来た道を戻ってくると、目の前には交野天神社の朱塗りが美しい本殿の姿。
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本殿のすぐ横には末社 八幡神社が並んでおり珍しい造りです。

 

拝殿横の木は勢いがあり力強く、
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気持ちの良い境内でした。

 

社務所御朱印をいただきました。
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八幡神の三つ巴紋に、十六菊花紋の朱印。

 

そしてこちらは我が家のお犬様に。
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さてお参りが済んでちょうどお昼時。

交野天神社の南に位置する鏡伝池緑地で休憩です。
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おにぎりの後はお楽しみの『みさき堂』で購入したおやつ。
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名物とされている六方焼きは私はあまり好みではなかったのですが、草餅がとっても美味しかった❤

 

さて、鏡伝池緑地ですが鏡伝池の名の通り公園内に大きな池があります。

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こちらの池では昔、水神祭祀が行われていたそうで、11世紀前半の藤原実経が「日本紀を見侍りて継体天皇を」と云う詞書を付けて続古今和歌集に歌を残しています。

 

『くもらじな 真澄の鏡影そうる 楠葉の宮の 春の夜の月』

 

ここでふと思い出しのが交野天神社の末社貴船神社

小高い丘の上にあり川、水の気配は全くありませんが、鏡伝池で水神祭祀が行われていたのであれば、全く関係がないわけでもなさそうな気がします。

 

以前お参りさせて頂いた片埜神社と、今回お参りさせて頂いた交野天神社。

【大阪】大阪城の鬼門除け、片埜(かたの)神社 - シロンプトンでパンとお参りと

 

どちらも枚方市にある神社ですが、読み方は同じ『カタノ』

この一帯は、昔々は交野郡と呼ばれていたと片埜神社の神主さんからお話しを伺い、その際に交野天神社のことを伺ったことを思い出しました。

 

何だかまとまりのない感じですが、お参りから1か月が経ってもまとまりそうにありません(^^;

備忘録としてのブログ。

これからも気の向くまま、お導きのままに(^^)

【大阪】交野天神社の参道で謎かけに挑戦

さて、このあと平坦な道が続くばかりかと思いきや、右折した途端男山の激坂!

家族全員まさかの坂道に心構えができておらず、それでも登り切った達成感。

と同時に、お次は一気に下ります。

その下った先、住宅街の中にお目当ての神社はありました。
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住宅街の中に突如として現れた神社とは思えません。

鎮守の森が生きています。
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日本書紀』によると、越前(福井県)の三国(みくに)から迎えられた男大迹王(おおどのおおきみ)は、のちに継体天皇として507年に樟葉で即位し、5年にわたり宮を営んだとされます。
樟葉宮跡の杜は交野天神社の境内にあり、石灯籠が並ぶ参道を進むと拝殿の向こうに室町時代の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で桧皮葺の交野天神社本殿と末社八幡神社本殿が見え、拝殿右側の杜の奥には貴船神社が鎮座する小丘があります。

この小丘周辺は継体天皇が即位した樟葉宮跡の伝承地として大阪府の史跡に指定され、小丘の麓には顕彰碑が立っています。

太古からの原生林の姿を残し、かすかな木漏れ陽は、訪ねる人を遠く古代に誘います。
鎌倉時代の関白左大臣一条実経(いちじょうさねつね、1223~84)は、「くもらじな ますみの鏡 かげそふる くずはの宮の 春の夜の月」(続古今和歌集)と詠んでいます。

ここからほど近い「市民の森」にある鏡伝池(きょうでんいけ)は、古来観月の名所で、鷹狩りのあと鷹の姿を水面に映すのが慣わしだったといわれています。

 

継体天皇といえば、高槻市にある今城塚古墳が墳墓とされていますが、淀川を挟んで対岸の枚方市は樟葉の地で即位されたと、この掲示板で初めて知りました。

 

参道入ってすぐ右手に気になる箇所がありました。

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金毘羅大権現 不動明王

七福神

 

の石碑に巾着のような形をした石像。

 

何かの繋がりがあるのかもしれませんが、私には分かりません。

毎度のことながら、一つづつ調べてゆきます。

 

まずは、石碑から。

 

金毘羅大権現とは?】

香川県琴平町象頭山に鎮座する山岳信仰修験道が融合した神仏習合の神であり、本地仏不動明王、千手観音、十一面観音など諸説ある。

祭神は、天竺からの飛翔仏であるがゆえ日本の神々とは無縁であるが、明治初年の神仏分離廃仏毀釈が行われた以降は、大物主とされた

その神仏分離以前は讃岐国象頭山松尾寺金光院(現在の香川県琴平町金刀比羅宮)を総本宮とする日本全国の金毘羅宮および金毘羅権現社で祀られていた。

 

【由来】

象頭山松尾寺普門院の縁起によれば、大宝年間に修験道役小角神変大菩薩象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山に住する護法善神金毘羅(クンビーラ)の神験に遭ったのが開山の由来との伝承から、これが象頭山金毘羅大権現になったとされ、不動明王本地仏とした。

【出典元:金毘羅権現 - Wikipedia

 

役行者さんが出てきました。

そして、不動明王に大物主命。

 

とくると、不動明王瀬織津姫、大物主命=饒速日命

 

役行者瀬織津姫饒速日命とくれば空海さんもどこかに隠されているのでは?と勘ぐってしまいますが、私には分かりません。

そもそも、あくまでも私の推測ですので全ては曖昧模糊としております(^^;

 

さてお次は巾着袋のような石像。

巾着袋で思い出すのは奈良県生駒山の寶山寺。

寳山寺公式ホームページ

 

寶山寺は役行者が梵文般若経を書写して納め、弘法大師も若いころ修行されたお寺。

ここで空海さんが出てきました!

役行者さんと空海さんが関係するとなれば、やはり磐座

実際、巨巌や奇石の宝庫の生駒山

 

石碑と巾着袋から連想されるのは、

 

不動明王瀬織津姫

金毘羅大権現(大物主命=饒速日命

役行者

空海

・巨石(磐座)

生駒山

 

巾着といえば、寶山寺の歓喜天像が手にする巾着袋。

その巾着袋は砂金を入れるものとされ、ご利益の象徴的なアイテムです。

 

ガネーシャ(『大聖歓喜天』あるいは『歓喜自在天』)が好むとして供えられるものに“モーダカ”という菓子があり、モーダカとは“小さい糖菓”・“陽気にさせる”との意だという。

これが中国で、聖天を喜ばせる菓子として『歓喜団』と訳されたという。
 歓喜団はいろんな具を薄皮で包み饅頭のように丸めた一種のお菓子で、その上部をつまんで結んだ姿が昔の巾着に似ていることから、わが国で『巾着』にすり替わったらしい。
 聖天が好む歓喜団=巾着を供えることで金運上昇を願う、という庶民の願望を示すものである。

一方、この歓喜団を女性の子宮と見る見方もある。

この子宮から女陰が連想され、凶暴な障碍神であるガネーシャに女陰を捧げることで宥めるというわけで、十一面観音が女体と化してガネーシャを回心させたという伝承にも通じる解釈である。

 このように、栄養剤・精力剤としての大根と、人が最も好むお金を入れる巾着は、聖天が与えるご利益・健康と富を表す象徴である。

しかし、棒状の大根を男性器・リンガ、袋状の巾着を女性器・ヨーニとみると、これら抽象化された両者をもって双身歓喜天を表すともいえる。

“性は秘め事”とするわが国にあって、聖天に対する解説も綺麗事にすり替えられ、本来はありがたい仏神であるはずの双身歓喜天秘仏とされ、人目から隠されたのであろう。

【出典元:生駒聖天

 

なぜ石像と巾着が交野天神社の参道にあるのかは分かりませんが、役行者空海さん、瀬織津姫饒速日命のご夫婦、そして男女の交わりを表すかのような巾着が暗示する双身歓喜天

 

石碑と巾着のある一帯は、縄文信仰が暗示されているような場所でした。

 

まだお参りどころか鳥居もくぐっていませんが、ふと気になった箇所で謎かけを挑まれたような感じがしなくもありません(笑)

 

何気なくあるものに、隠された何かが見え隠れするこの時間が何よりも面白く、ブログに文章を起こす楽しみです(^^)

 

さて、これからお参りです。

【京都】相槌神社と天下五剣、山ノ井戸

さて鈍化しつつあるお参りですが、今日は八幡市にあるサイクリスト集いの場『さくらであい館』からスタートです。

さくらであい館 | 淀川河川公園

 

石清水八幡宮を過ぎて、一度は通り過ぎてしまったものの和菓子屋さんと分かり引き返してきたお店。

 

『みさき堂』

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関西テレビの『よ~い!どん』で紹介されていたお店のようで、店先に掲示がありました。

そのみさき堂さんのすぐちかくにあるお社。
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【三条 鍛冶 相槌神社】と扁額あります。
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千年以上前に創建されたと伝わる古社。

稲荷神とも呼ばれる宇迦之御魂(うかのみたま)を祀っています。

社伝によると、伯耆安綱(ほうきやすつな)が刀を打っていると神が降臨し、槌を打ち合わせた(相槌をなす)とあり、このことから相槌神社と呼ばれるようになったそうです。 

 

社伝に登場する伯耆安綱は、天下五剣と名高い名刀「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」を造った刀工です。

安綱はこの地で宇迦之御魂と共に、山ノ井の水を用いて名刀「髭切」と「膝丸」を打ったとされます山ノ井は八幡五水にも数えられる名水で、三条小鍛冶宗近もこの水で刀を鍛えたそう。

現在も枯れることなく湧き出ていて月次祭が行われる毎月1日と15日には見学することもできます。

【出典元:刀剣女子が集う聖地 相槌(あいづち)神社 | 京都観光情報 京都ツウ読本

 

千年以上昔、この神社に今でも湧き続ける井戸水を使って、刀が作られました。

その中でも、源氏重代の宝刀である「髭切」「膝丸」は特に有名です。
相槌神社では、その刀に由来する「悪縁斬払」「良縁結叶」などを、ご神徳としていただいております。

【出典元:https://aitsuchi-jinja.or.jp/

 

とても古くからこの地にあるお社のようで、お社横の湧き出る水で刀剣、それも天下の名刀と呼ばれる五剣のうちの一剣を作られたとあります。

天下五剣が気になり調べてみました。

 

天下五剣(てんかごけん/てんがごけん)とは、数ある日本刀の中で特に名刀といわれる5振の名物の総称。

童子切・鬼丸・三日月・大典太・数珠丸の5振を指す。

【出典元:天下五剣 - Wikipedia

 

右手には『山ノ井戸』とあり、この井戸水で天下の名刀(童子切)が作られたとはお参り当時は知る由もなく。

ただ、消化ホースの収納庫が手前にあることから、飲用はされずとも現在でも使用されているんだろうな程度でした(^^;
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この一年、様々な神社お寺を参拝させて頂いて痛感したのが、井戸水、湧水の枯渇。

井戸はあるものの、トンネル、ダム工事により水路が枯渇という話しを、至る所で見聞きしました。

淀んでしまった池を見るのは神池であればなお更に辛く。

 

裏手に立派なお山があっても、そしてお水の源泉はあっても、水路が断たれてしまえば水が流れるわけもなく、便利、合理化、の名の下に、本当に必要なものが失われてしまってきているような気がしてなりません。

 

ちなみにこの相槌神社の裏手にある男山には石清水八幡宮

その男山の中腹に石清水が湧き出る摂社石清水社があります。

 

石清水は、厳冬にも凍らず、大旱にも涸れない霊泉として、男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを例としていました。

その際、御神前に供された石清水を「御香水」といいます。

現在でも、当宮にて斎行される祭典には、当日早朝に汲み上げられた「石清水」が御神前に献供されています。

 

【出典元:境内のご案内 | 当宮について --- 石清水八幡宮

 

冬にも凍らず、枯れない霊泉。

その霊泉は『男山五井の中でも特に尊ばれ~』の男山五井が気になり調べてみたところ、分かりやすいサイトがありました。

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画像はこちらからお借りしました。

【出典元:京の霊場 五名水

 

先程お参りした相槌神社の山ノ井は男山五井の一つのようです。

その下、閼伽井のあった石清水八幡宮の境外摂社 狩男(とがのお)神社は気になっていた場所でもあり、機会があれば行ってみようと思います。

 

閼伽井の消滅は宅地造成のようで、宅地造成は人間が地球で生きていく上で必要な事かもしれませんが、人間の都合により自然が破壊されていくのはやはり悲しいものです。

 

空き家問題があるにもかかわらず、新築を建てる為に山を木を切り崩す。

供給過多。

拝金主義。

 

色々、マイナスなイメージばかりが私には浮かんできてしまいます(^^;

人間だけの地球ではありませんしね。

共存共栄の道はないのだろうかと、山から降りてくる鹿やイノシシ、猿など、害獣扱いされているニュースを耳にするたびに思います。

 

人間ですが、人間であることが嫌になる瞬間。

でも、人間に生れてきたからこそ、人間にしかできないことがあるのではないかと、これまた頭で色々とこねくり回して、一人憤って、一人で疲れています(笑)

 

山、水はとても気になります。

 

つづきます。

 

【兵庫】西宮神社の摂社と南宮神社

さて御朱印をいただいて、手水舎裏手が少し気になり散策です。

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【祓所】

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その右手に一風変わったお社がありました。

【庭津火神社】

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由緒書きを見てみると、

社殿がなく塚の形をした封土を拝する古い姿を残した神社で、この神域内守護の神様をお祀りし、荒神様として信仰されている。

とのこと。

 

右手にぐるりと回りこんでみると、裏手はこのように木々が生い茂る別空間。

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中心部分にしめ縄がかかっており、こちらが塚にあたる部分だと思われます。

 

すぐ側に、大きな岩がありました。

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塚に、岩に、木々とくれば古代祭祀場の様相です。

御祭神の奥津彦神、奥津比売神は竈の神様。

以前、京都は八幡市でお参りに行った神社で名前は少し異なりますが、同じだと思われる神様がお祀りされていました。

【京都】木津川沿い石田神社と薬師如来 - シロンプトンでパンとお参りと

 

ちなみに神様のお名前は、於岐津毘子命(おきつひねのみこと)。

 

庭津火神社の名前ですが、庭は塚の部分火は竈の神様、であれば津は何にあたるのでしょうか?

津から連想されるのは水。

意味を調べてみると船着場

 

蛭子神伊邪那岐命伊邪那美命に海に流され、漁師が海に張っていた網にかかり、のちにお祀りされ、西宮神社の御祭神となられます。

船着き場ではないけれども、漁師=船=船着き場

 

無理矢理こじつけた感は否めませんが、気になるお社でした。

 

さて、参道を戻った突き当りに廣田神社の境外摂社 【南宮神社】

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ピンクの前掛けが可愛い狛犬さん。

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よく見ると、お顔のあたりが少し破損しているような・・・。

左足と台座の部分に修復跡が見られます。

 

そして、こちらの狛犬さんは思わず二度見してしまいました。

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足に踏まれたというか、足元でじゃれているミニ狛犬さんはお見かけしますが、一緒に座っているタイプは初めてです。

前掛けもつけてもらっていますねー。

なんだか、得意満面のように見えます(笑)

 

こちらの南宮神社のご朱印西宮神社ではなく、廣田神社の境外摂社の為、廣田神社で頂くことができます。

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南宮神社の由緒書きで気になる箇所がありました。

【南宮神社の由緒書き】

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当社は、西宮市大社町に鎮座する廣田神社の摂社で、「浜南宮」とも称されました。平安時代には都の貴族が参詣し、『梁塵秘抄』には「浜の南宮は如意や宝珠の玉を持ち」と歌われています。

神功皇后が豊浦津で得られたという、廣田神社の宝物「剣珠」は、もと南宮に収められていました。

 

『剣珠』とは?

日本書紀仲哀天皇2年(193)の条に、「神功皇后関門海峡長門豊浦の津に泊まり海中より如意珠(こころままのたま)を得らると見ゆるも是なり」とあり、剣の形の現れたることから、剣珠と称された現存する日本最高最古の如意宝珠です。

八幡大神(應神天皇)・神功皇后に戦勝を授け、高野山を鳴動させた神通の霊宝として著名です。

【出典元:廣田神社 | 御宝物

 

如意宝珠とは、意のままに願いをかなえる宝。

この如意宝珠は、神功皇后三韓征伐の際、戦勝祈願の為に立ち寄った住吉大神から授かった、潮満珠(しおみつのたま)、潮干珠(しおひるのたま)の二つの珠のことらしく、総称して如意宝珠というそうです。

 

潮満珠は潮を満たす珠であり、潮干珠は潮を干かせる珠。

 

三韓征伐の際、どうやってこの如意宝珠を使ったのかというと、

 

 ・新羅の軍船が押し寄せてきたところをまず潮干珠を投げ、潮が干いて水がなくなり新羅の軍船は横に倒れる

 

次に、

 ・潮満珠を投げ水が湧き出たところ、横に倒れていた軍船に水が覆いかぶさり船は沈没

 

新羅の海軍は全滅し、日本は大勝利を得たという伝説だそうです。

 

てっきり、『この戦に勝ちますように!』と願って意のままに願いが叶う珠だと思っていただけに、潮満珠(しおみつのたま)、潮干珠(しおひるのたま)であれば、何もせずとも勝てるわけではなく、やはり知恵と勇気が(愛と勇気だけが友達なのはアンパンマン(笑))先導者には必要なのでしょうね。

 

さて、話しが少しそれ気味ですが御祭神の葉山姫神も気になりました。

どこかで聞いたことのあるお名前だと思えば、以前廣田神社にお参りした際、とても気になった摂社 齋殿(ときどの)神社の御祭神でした。

【兵庫】廣田神社、で瀬織津姫? - シロンプトンでパンとお参りと

 

【齋殿神社 由緒書き】

神功皇后廣田神社御創建の際、皇后の命をうけて、天皇皇大神荒御魂を御心廣田の国に鎮際された最初の斎宮で旧暦4月8日の祭日には歴代の神祇伯白川氏は特に深い関心を有して参拝されたことが伯日記に散見されている。
古くより廣田神社の東北御手洗川岬に鎮座せられたが、亭保12年の還座にあたり当社も境内西山に還座し、明治44年末社松尾神社に合祀せられ更に廣田神社本殿復興に際し、一宇を設け祭祀を厳修することになった。
現在の祭日は5月8日である。

 

天皇皇大神荒御魂とは、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)=瀬織津姫

 

瀬織津姫廣田神社にお祀りされた斎宮が葉山姫命。

その葉山姫命がお祀りされているのが南宮神社。

 

西宮神社(南宮神社)を北上した先には廣田神社

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前回の参拝時には気付きませんでしたが、廣田神社の北から東へ、川沿いに走る道は『みたらし通り』とあります。

この川の名称は御手洗川、別名東川とも。

 

これはあくまでも推測ですが、廣田神社の東に流れる川で東川

西宮神社の摂社 齋殿神社は以前はこの御手洗川の川畔にあったそうで、だとすると御手洗の名称の通り、祓い清めの川なのではなかろうかと。

その祓い清めの神様といえば瀬織津姫

 

あまりスッキリとはまとまらない感じですが、先月からどうもお参りから少し離れつつ、そしてお参りブログが思うように書けません。

 

目に見える方のことがありがたいことに、少しづつ忙しくなってきました。

このことが要因なのかもしれませんが、これも必然の流れなのかもしれず、この一年気付けばお参りに行くように仕向けられていた流れが、少しづつ鈍化しつつあります。

このあたりで少し休憩のようです。

お参りに行く流れとなれば、またその流れがやってくるのでしょう。

 

以前ほどのスピードはありませんが、それでもお参りをやめることはなく、ボチボチと綴ってはいくことと思います。

 

この流れとは別に、どうしても年内に行きたい神社があり、そこは『無理をしてでも!』な感じです。(←自然な流れはどこへ?(笑))

 

こんな取り立ててなんの目新しい情報も、お役に立てる情報もないブログですが、それでも毎日訪れて下さる方がいて、今更ながらにご縁に感謝です☆

 

西宮神社瀬織津姫様を感じるお参りとなりました(^^)

その瀬織津姫様の神社には、どうしてもお礼参りに行きたいところです(笑)

 

 

【兵庫】西宮神社で前回から続く蛭子神

久し振りに平日のお参り。

毎週のごとく東方面(滋賀、京都)ばかりのお参りで気分転換。

方角を変えて西宮にやって来ました。

西宮といえば、毎年福男神事がTV中継される西宮神社

TVで見たことはあっても、西宮神社という名前は聞いたことがあっても、更に何度も目の前の道路(43号線)を車で通っているにも関わらずお参りに行くのは初めてです。

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右手にはためくのは七五三ののぼり旗。

私の知っているのぼり旗はこのサイズ感。

先日お参りに行った伊射奈岐神社ののぼり旗はやはり別格だったのではないでしょうか。

【大阪】伊射奈岐神社の狛カメレオン - シロンプトンでパンとお参りと

 

さて、では境内へ。

43号線沿いの南門くぐってすぐ左手にお社。

 

【沖恵美酒神社】

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由緒書き冒頭に『あらえびすさまと崇められ・・・』とありますが、本殿にお祀りされている蛭子大神の荒魂のようです。


【児社】
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目の前に見える赤い門が表大門で、1月10日の十日えびすの日に繰り広げられるドラマのスタート地点。
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このコロナ禍で来年はどうなるのでしょうか。

 

参道を進みます。
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歩いていてふと感じたのが、廣田神社へお参りに来たようななんとも言えない感じ。

【兵庫】廣田神社、で瀬織津姫? - シロンプトンでパンとお参りと

 

【境内図】

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右手に面白そうなモノがありました。

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こちらの石碑にかかれている文字の意味は、下記案内書きより抜粋です。

鳳凰の心と龍のたてがみを併せもつ勇ましい姿、

金の鞍、玉のくつわをつけ、永く名社に仕える

 

鳳凰の心と龍のたてがみを持ったこんな立派な龍が側にいれば、百人力です(^^)

 

その横の掲示板にかかれていた今月のお言葉。

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【十月 神無月】


雨風も紅葉も月雪も

何れも神の姿なりけり

 

修験道諸神勧請通用−

 

天地万物はどこから、誰によって発生せしめられ、存在し、生き続けて
いるのか。
その自然の姿を生あるものとして認め、天地間の全てのものを神の心の
現れとして尊重し、愛育する教への基がそこにある。
神の姿の変化がそこに生きている。

 

修験道諸神勧請通用とは】

室町時代から江戸時代にかけて、修験道による神祭りの作法を教えたもの

 

神様という存在、エネルギーというのでしょうか、をこの目で肌で感じたことはありませんが、それは自分が勝手に思い描いている神様のイメージを見たことがない、感じたことがないだけで、いつも当たり前のように目にするもの、感じるものの中にあるのではないかと、ふと思いました。

 

【手水舎】
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【由緒書き】
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昔々、鳴尾に住んでいた漁師が、沖で漁をしていたところ、網に大変手ごたえを感じました。喜んで引き上げてみますと、それは期待していた魚ではなく、今まで見たこともないものでした。よく見ると人形のような、又御神像の様にも見えましたが、魚ではないので海にもどしてしまい、また魚の群れを求め、西の方へと船を進めてゆきました。なかなかえものに恵まれず、今の神戸の和田岬の辺りまで来て、なかばあきらめながら網を入れたところ、再び大変な手応えを感じ、今度こそはと勇んで網を引き上げてみると、何とそれは先程海にもどしたはずの、あの御神像の様に見えたものでありました。

漁師は瞬時に、これは徒事ではないと確信し、漁をきりあげ、御神像を丁寧に布にくるみ、家に持ち帰りました。粗末な家ではありましたが、漁師はその像の為に床をしつらえ、朝な夕なにお供え物をし、お祀りすることになりました。
しばらくたったある日、いつもの様に夕方のお供えをして、自分も夕食をとり、やがて眠りにつきました。その夜の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」との御神託があったのです。

蛭児の神。

それは神代の昔、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神が久美度に興して生み給いし御子。

日本書紀によると、三歳になるまで足が立たなかった不具の子であったとも云われています。伊邪那岐伊邪那美二柱の神は、吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて茅渟の海へ流してしまわれたのです。
その蛭児の神、葦船に乗せて流された蛭児の神が、再び茅渟の海から出現されたのです。平安の御代に力強くよみがえった蛭児の大神、この神が西宮えびす大神として茅渟の海、今の大阪湾岸をうしはく神として、海に生業の道を求める人々はもとより、開けつつある街の人々の、絶大なる信仰を集めてゆくのです。

さて鳴尾の漁師は恐れ謹み、漁師仲間と相談し、蛭児大神を輿にお乗せし、御神託の通り西の方、良き宮地を求めて出立しました。途中いく度か輿を下ろし休憩して行きましたが、ある所で一休みされたえびす様が、よほどお疲れになったか眠り込んでしまわれ、なかなかお目覚めになりません。困った漁師たちは、恐れ多いとは思いましたが、えびす様のお尻を捻ってお目を覚ましていただき、再び西へ向って進まれたという話も残っています。その御輿を置いて一休みされたといわれている処が、ここより東へ二百米程の札場筋角にある御輿屋跡地(おこしやあとち)といわれているところなのです。この様にして海より甦った蛭児の神は、えびす様としてこの西宮の地にお鎮まりになったのです。

【出典元:えびす宮総本社 西宮神社 公式サイト - 由緒 御鎮座伝説


何気なく西宮神社にお参りに来ましたが、家に帰って遅々として進まない伊射奈岐神社(大阪府吹田市)のブログを文字に起こしながら、伊射奈岐神社の御祭神 五柱のうちの一柱 蛭子神と繋がりビックリしました。

 

こういう後から繋がる感じが、何とも面白く、一緒に遊んでもらっているような(←厚かましい?)気分です(^^)

手水舎の反対側に、破損したと思われる可愛い狛犬さん。
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案内書きによると、平成七年の阪神淡路大震災で台座から落ちてしまい、破損してしまったようで、元は西宮神社の境内末社松尾神社狛犬さんのようです。
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さて、煌びやかな拝殿に向かうと大勢の人と雅楽というのでしょうか、笛の音とその他の楽器(←分かりません(^^;)が聞こえてきました。
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よく見ると10月16日は御神影 10時半~頒布始祭とあります。

 

【御神影頒布始祭とは?】

西宮神社の御神影札(おみえふだ)は、江戸時代の寛文3年、戎像神札の版権を幕府より仰せ渡されてより以降、各地に社用係を置いてお札を配る組織を整え、信仰を広めて行きました。

明治以降も講社組織は残り、350年以上を経た今も続いています。

この伝統を確固たる物にすべく、伊勢の神宮に倣い「御神影頒布始祭」を斎行いたします。

 

【出典元:えびす宮総本社 西宮神社 公式サイト - ご案内: 2020年9月アーカイブ

 

全く詳細が分からないままも、せっかくなので遠巻きに音楽と中で行われている祭祀の模様を見させていただきました。

 

拝殿前の狛犬さん
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中で神職の方が頭を深々と下げられると(中央の白装束の方です)、参拝されている方も頭を下げられており、ピンと張りつめた空気が少し離れた私にまで伝わってきます。
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神事が終わった後の拝殿から見える本殿です。
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実は行きの時点でアクシデントがあり、西宮神社に着いたのは11時。

自宅を早くに出ていたので、アクシデントがなければ御神事が始まる前にはお参りが済んでいたかもしれず、まさに禍を転じて福と為す。

物事をどの方角から見るかによって、いかようにも取れると渦中の時には気付きませんが、終わってから気付きます。

 

さて、拝殿を後に境内摂社参りです。

 

右手【火産霊神社】

左手【百太夫神社】
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お社後ろの木が立派でした。
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【六甲山(むこやま)神社】
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廣田神社の境外末社でもあり、奥の院とも言われている六甲山神社。

標高840mの場所にあり、前回は六甲比命神社神社へのお参りの際通り過ぎましたが、いつかはお参りに行きたい神社です。

 

こちらは遠目からでもひときわ目立つ【神明神社

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お社左手の木が立派です。

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その立派な木の左手に【松尾神社
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神明神社松尾神社一帯の木の状態はとても良く、気持ちの良い場所でした。

 

橋が架かっているならば、渡らねば。
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と思うのは人間だけではないようです。

反対側から鳩もやって来ました。
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この子が私が目前まで迫って行ってもまぁ、逃げない(笑)

私とそのまますれ違い、橋をそのまま反対側まで歩いて渡っていました。

 

その橋を渡りきった場所に【市杵島姫神社】
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とくれば、目の前には池。
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立派な鯉が沢山泳いでいる中で、一番気になったのがこの子。
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右足を急に上げた亀。

バイバイと言われた気分でした(笑)

 

伊勢神宮遥拝所】
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そばに【宇賀魂神社】
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絶対に歩けない斜度の反り橋。
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反り橋の目の前は拝殿。

ぐるりと境内を回ってきたようです。

 

社務所御朱印と、珍しく気になったお清めの砂をいただきました。

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お水とお塩は気になると頂いて帰りますが、お砂が気になったのは初めてです。

使い方は家の土地の四隅に右回りに撒くようで、詳細は、こちらの荒木神社のサイトが分かりやすいです。

神符 御守 清め砂|荒木神社

 

さて、長々と駄文を書き綴っておりますが、気になる場所を見つけました。

つづきます。

 

【大阪】伊射奈岐神社の狛カメレオン

今日のお目当てはサイクリングショップ2店舗。

その道中に伊射奈岐神社はありました。

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こちらの神社、10数年前に一度初詣に来たことがあるのですが、あまりの人の多さと夜の暗闇で境内の記憶はほぼなく、記憶にあるのは石階段をのぼりながら遅々として進まない行列に並んでいたことと、出店のたこ焼きが今まで食べてきたたこ焼きの中で一番おいしかったこと。ぐらいです(^^;

 

何かお祭りでもあるのでしょうか、鳥居前に立派な提灯が飾られています。
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右のクリスマスリースのような紋?が気になります。

 

思っていたよりも立派な川。

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この蛇行している感じといい、意外と水が綺麗な事といい、ふと五十鈴川を思い出しました。

前回お伊勢さんに行ったのは確か3年前。

そろそろお参り時でしょうか。

 

ふと、川を見るとなにやら動く物体が。

ズームで見て見ると、

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水遊び中の鳥さんでした。

 

さて伊射奈岐神社ですが、御祭神を見ると伊射奈岐命ではなく伊射奈美之命

相殿神には天児屋根命手力雄命、天忍熊根命、蛭子命の四柱。
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ここで四柱の整理。

 

天児屋根命といえば、天の岩戸の前で祝詞を唱えた神様で中臣(藤原)氏の祖神。

手力雄命は天の岩戸が開いた際、天照大御神を引きずり出した神様。

・天忍熊根命の父は一緒にお祭りされている天児屋根命

蛭子命は『古事記』において国産みの際、イザナギ伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神にも関わらず、不具を理由に流されてしまう。

流された先で神様としてお祀りされているのが和田神社(神戸市)や西宮神社兵庫県西宮市

 

 下記、Wikipediaより抜粋です。

社伝によると、雄略天皇23年に伊勢神宮斎宮である皇女・倭姫命の示教によって岡本豊足彦が五柱の皇大神を奉祀する地を探し求め、付近の小川谷の地に祀ったという。

当初は姫宮社と呼ばれた。仁寿2年(852年)に姫宮を高庭山に移す。

貞観元年(859年)から貞観15年(873年)の間に佐井寺社から伊邪那美神を勧請する。

貞観15年(873年)に社名を姫宮から五社宮に改名する。

江戸時代には一般的に五社と呼ばれていた。

 

【出典元:伊射奈岐神社 (吹田市山田東) - Wikipedia

 

伊射奈岐神社の前は五社宮(その前は姫宮社)と呼ばれていたそうで、相殿にお祀りされている四社と、本殿にお祀りされている伊射奈美之命を合わせて五社となることから五社宮になるようです。


両脇の木が天然の鳥居のよう。
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根が空洞になろうがそんなのお構いなしな木の生命力。
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そして、今回一目で惚れてしまったこちらの狛犬
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カメレオン?
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阿吽ではなさそうです。

口を閉じて、斜め上空を見る先には?

 

さて、目の前の石段を上る右手にお社が見えてきました。
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さっさと先に進んでお参りする息子。

【弁財天】
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池の中にあるお社も、池もとても綺麗でした。

 

その奥には稲荷社。
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こうやって写真で見ていても気持ちの良い空間ですが、実際その場所にいるだけでとても気持ちの良い空間でした。

 

参道を振り返ると、先程のカメレオン。
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よく見るタイプの狛犬さんは、参拝客を確かめるかのように顔は参拝客が歩いてくる参道を向いています。

それに比べてこちらの狛カメレオンさん、お互いが向き合うような形で座っており、だからといって視線はというと見つめ合うわけではなく、上方に向けられています。

向きといい、姿形といい、やはり面白い。

 

石階段を上がった先は大賑わい。
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のぼり旗には御祭神の伊射奈美命ではなく、天照大御神のお名前。

七五三の祈願旗でもありません。

 

今までこんな立派なのぼり旗にはお目にかかったことはないかも。

青空にはためくのぼり旗がとても神々しく、なんだか胸が高鳴りました。

そして、そののぼり旗の下には七五三や初宮参りであろう沢山の人。

前日の雨が嘘のようなとても良いお天気の中、続々とお参りの方がいらっしゃいます。

 

拝殿前の狛犬さん。
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通常の阿吽の形です。
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何気なく撮ったお賽銭箱の神紋は二つ巴。

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先日お参りした大石内蔵助がお祀りされている大石神社の御神紋と同じです。

 

拝殿左手に御祓所の石碑があり覗いてみると、左から八幡宮、八王子社、天満宮祓戸大神がお祀りされていました。
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祓戸大神は下記四柱。

 ・瀬織津比売神(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す


 ・速開都比売神(はやあきつひめ) -- 河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む


 ・気吹戸主神(いぶきどぬし) -- 速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ


 ・速佐須良比売神(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

 

【出典元:祓戸大神 - Wikipedia

 

本来であればこちらのお社で祓い清め、拝殿でお参りですね(^^;

 

そんな祓戸社の石碑の手前にある、拝殿横の紅葉の木がとても素晴らしかったです。
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御朱印は通常は書いて下さるようですが、この日は書き置きでした。

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凄い人でしたし、御朱印まで手が回らないのでしょうね。

 

先程歩いてきた参道。
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見る方角が違うだけなのに、見え方が違って面白い。

参道周りは生命力を感じる木ばかりが勢揃いです。

 

その参道沿いに置かれていた大きな鳥居の上部。
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やはりというか2年前の2018年の大阪北部地震で被害を受け、解体移築されたようです。
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大阪は茨木市にある佐奈部神社も同様の被害を受けており、ふと思い出しました。

【大阪】佐奈部神社で、狛犬さんの性別を知る - シロンプトンでパンとお参りと

 

佐奈部神社といえば、気付けば毎週末お水を汲みに行くことが日課になった我が家。

佐奈部神社の神主さんとお話ししたことがきっかけだと思っています。

また、お礼参りに。

 

このあと、吹田市にあるもう一社の伊射奈岐神社(吹田市佐井寺)へお参りに行く予定でしたが、気付けば通り過ぎてしまっており、私一人であれば戻ってでもお参りに行くところですが今日は家族4人。

家族といえども各々を尊重して。

こちらの我を通してはいけません。


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さてお次は、翌週のお参り。

伊射那美神社のご縁ではなかろうかと後で気付いた神社です。

【京都】山科神社で繋がる伏見稲荷、磐座

大石神社の社務所右手から伸びる細い道。

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右手のお山の荒廃っぷりが凄まじく、2年前の台風で大木が次々となぎ倒されたと社務所の方に聞きました。

そのなぎ倒された木々の側に本殿があり、間一髪のところで本殿には影響がなかったそうで、それでもこうやって当時の爪痕は残ったままです。

 

右奥の白っぽい幹の木が大石神社の境内社 義人社から見えていた木でやはり気になります。

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変わって左手の木々は台風なんてなんのその、な佇まい。

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分かりにくいですが、大石神社の裏手のお山から流れてくるお水が川になっていました。
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そして、短いながらも自然豊かなこの道の周りは京都市の『自然風景保全地区』に指定されているようです。

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木の根が立派です。

 

そんな気持ちの良い道沿いにお地蔵様が並んでいました。f:id:roy-7303-pkbs:20201012165657j:image

真言『オンカカカビ サンマ エイ ソワカ

 

さて、道なりに進んでいくと右手に岩屋寺

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下記、Wikipediaより。

岩屋寺(いわやじ)は、京都府京都市山科区西野山桜の馬場町にある曹洞宗の寺院。

山号は神遊山。本尊は不動明王

赤穂事件で有名な大石良雄が隠棲したところと伝えられ、大石寺とも称される

本堂には、本尊の周りに赤穂浪士・四十七士の位牌が並べられている。また、大石良雄が使用した文机や鍵付き貴重品箱などの遺品が保管、展示されている。

この寺の創建年代等については不詳であるが、古くは天台宗に属していた。住職は代々尼僧が勤める事になっている。

【出典元:岩屋寺 (京都市) - Wikipedia

 

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大石内蔵助が隠棲したお寺とあり、大石寺とも呼ばれているそうで大石神社が岩屋寺の側に創建されたのも納得です。

住職は代々尼僧が勤めることになっているとありますが、気になります。

立ち寄りたかったのですが足場を組んだ大掛かりな改修でしょうか、工事をされていた為今回は見送ることにしました。

 

当初のお目当ての山科神社はその岩屋寺向かってに左手にありました。
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【由緒書き】
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日本武尊(やまとたけるのみこと)・武王稚(わかたけのみこと)を祀る。
社伝によれば寛平九年(八九七)宇多天王の勅命により創建されたと伝え、以後、この地の豪族宮道(みやじ)氏の祖神として、また山科一ノ宮とも呼ばれてこの地の産土神として人々の崇敬を受けて栄えてきた。
盛時には、社領丹波、山城に持ち、社殿の規模も大きかったが、度々の兵火のため焼失し、現在は、三間社流造の本殿及び権殿、拝殿、神庫などが残っている。
 また、元禄十四、五年(一七〇一~〇二)赤穂浪士大石良雄が山科の里に隠棲していたが、その時、当社奥の院岩屋神社に参篭して、大願成就を祈ったといわれている。
例祭は、「山科祭」と呼ばれ、毎年十月十日に行われる。

 

鳥居をくぐってすぐ、見た目ではわからないけれども急な坂道。
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雨上がりの上に苔も生えており、気を抜くと滑ります。

手すりを頼りに石階段を上がると、すぐ目の前に拝殿。

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右手に手水舎。
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手水舎には『岩屋大明神』と彫られています。

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岩屋三社と呼ばれていた山科神社と、その東方向にある岩屋神社との繋がりを一つ見つけました。

 

中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社(岩屋神社)であり、西が山科神社、上は不明である。 

【出典元:【公式サイト】山科一之宮 岩屋神社 | 由緒

 

拝殿後ろのお山は大石神社の裏手のお山と同様です。
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右手のご神木が痛々しく、根の状態からするとさぞや立派なご神木だったのではなかろうかと。

 

狛犬さん
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足元が随分と苔むしています。
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本殿右手にずらりと並ぶ境内社
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奥から愛宕神社、弁財天社、天満宮社、春日社、竈社、稲荷社、山王社、夷社と圧巻のお社勢揃い。

お社のサイズはバラバラですが、間隔を区切って丁寧にお祀りされています。

目の前の玉砂利は白。

白は邪気を清める色とされているそうで、実際にとても清々しい場所でした。

 

さて、息子の姿が見当たらないと思ったら、境内社の後方に回った息子が何か見つけた模様です。

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付いていくことに。

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イノシシ除けの柵がされている向こう側にお社が見えます!

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チェーンを外して進んでいくと、
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【多?社】
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後で調べようと写真を間近で撮ったつもりなのに文字がぼやけており、『?』の文字が分かりません(^^;

『庚』でしょうか。

色々漢字を調べてみても、該当する文字が見当たらず・・・。

 

この奥も気になりましたが、雨上がりのぬかるんだ山道。

 

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『雨上がり 山』とくれば・・・前回血液を飲みに飲まれたヒル!(笑)

家族全員軽装の為、今回はここで下ることにしました。

 

 

『多?社』も気になりますし、またお参りに来なさいということでしょう。
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こちらは本殿左手にあったお社。
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正面が護国社で、その右手に権殿。

 

権殿とは、下記コトバンクより。

社殿を造営・修理する間、神体を仮に奉安する場所

仮殿(かりどの)。

【出典元:権殿とは - コトバンク

 


帰りも行きと同様、急な坂道を手すりを持って滑らないように慎重に歩きます。
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さて、帰りに寄ろうと気になっていた場所がありました。

山科神社と岩間寺の間の稲荷社。

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扁額には『正一位 稲荷大神』とあります。

そして、側の立札は岩屋寺の由緒書きになりますが面白い箇所を見つけました。

 

創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであったが、現在は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で遊山金地院と号する。

古来は隣接する山科神社の神宮寺であったと伝えられる。

赤穂義士大石良雄(通称大石内蔵助)の隠棲地として有名で、大石寺とも呼ばれる。

本堂に安置する本尊大聖不動明王智証大師の作とされ、大石 良雄の念持仏であったとう。

 

智証大師といえば、三井寺の開祖であり空海さんの甥。

そして役行者に感銘を受けて修験道の発展へ貢献された方。

 

【滋賀】園城寺三井寺 其の一 - シロンプトンでパンとお参りと

 

更に、この立札からするとその智証大師の作とされる不動明王大石内蔵助の念持仏

その大石内蔵助の遺髪を埋めたとされる場所が、岩屋寺のすぐ側にありました。

 

【遺髪塚碑】

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面白いことはまだまだ続きます。

大石内蔵助滋賀県瀬田の唐橋のムカデ退治で有名な藤原秀郷公の子孫にあたるそうで、藤原秀郷公といえば先日お参りした滋賀県大津市の龍宮秀郷社にお祀りされています。 

【滋賀】瀬田は唐橋近く、勢田橋 龍宮秀郷社 - シロンプトンでパンとお参りと

 

こんな面白いことが分かったのは遺髪塚碑の二つ巴紋を調べていた際での偶然。

そして、何気なく地図を見ていてこれまた面白いことに気付きました。

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大石神社、山科神社の裏手の威風堂々と感じたお山は稲荷神社の総本山、伏見稲荷大社のあるお山。

そのお山の上部には、まだ実際見たことはないのですが磐座があるそうです。

 

となると、

 ・岩屋寺そばの稲荷社は裏のお山の伏見稲荷大社を拝むためのお社

 ・稲荷神社の東の麓にある山科神社と大石神社は稲荷神社のある山がご神体?

ただし、

 ・山科神社の直線状にある岩屋神社は山科神社の奥の院とされている。

 

バラバラだった点と点が線になってきたような感じですが、相変わらずバラバラのような気もします(^^;

 

それでも行ってみなければ分からない、知り得ないことが沢山。

そして、体験し気付くことによってまた新たな入り口が見えてきたようなお参りとなりました。

 

翌日はサイクリングがてら、大阪でお参りです(^^)