シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪/交野市】星田妙見宮 金剛生駒国定公園の木

私事ですが、念願叶って6月からガッツリ働き始めることになり、その間会いたい人に会っておこうと5月下旬は私の数少ない友達と日々を楽しく過ごさせて頂いておりました。

その間面白いことに、これは確実にこの状況を喜んで下さっているんだろうなという現象が毎日起こり、(私はお酒が特段強くはないのですが、初めて入ったお店の店主にランチ後ビールを勧めて頂いたり、今までお酒を頂くことなどなかった方からビールを頂いたり、はたまたいきなりケーキを買ってもらったりだとか、就職の話しなんてこれっぽっちもしていないにも関わらず、他にも色んなおめでとうを沢山いただきました。)7年前の左脳バリバリな退職前の私では絶対に気付かなかったであろう日々の出来事にただただ感謝の気持ちしかなく、この7年で本当に色々みえるようになりました。

f:id:roy-7303-pkbs:20240623111410j:image

ベトナムビール!

 

さて前置きが随分と長くなってしまいましたが、そんな5月下旬のおめでとう週間のうちの一日を、ご夫婦で仲良くしてもらっている方と大人の遠足という名の元の参拝へ。

 

【星田妙見宮】

f:id:roy-7303-pkbs:20240528102805j:image

毎度のことながら私が気になるのは木。

f:id:roy-7303-pkbs:20240528105528j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102849j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102837j:image

そして石。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102824j:image

なかなかな存在感のある石ですが、表立った場所には無く、今回の参拝で初めて存在を知りました。

 

shironpton.hatenablog.com

 

気付けば前回の参拝からすでにもう2年強。

前回の参拝で霊符をいただきに上がり、とても賑やかになった我が家の神棚。

毎日欠かすことなく手を合わせておりますが、毎日続けることで生活の一部となり、習慣化されることでそこに煩わしさや面倒臭いなどの意識が入り込む余地が無くなることは身をもって実感しています。

 

何事も始めるまでは想像しただけで億劫に感じることも、いざ始めてしまえば、そして多少しんどくとも続けていけば、それが当たり前となり生活の一部となること。

 

それには『続ける』ということが大前提となりますが、続けることで見えてくる景色があり、それは続けなければ分からないこと。

ただ無理をして続ける必要はありませんが、自分がなりたい姿や、やってみたいと思うことに関しては、多少無理をしてでも続けることが必要なのではないかと思います。

 

私は小さい頃から、毎日手を合わせる場所に憧れがあり、更に母方の実家に帰省する際、毎日仏壇の前でお経を読む祖父の姿に憧れのようなものを抱いており、今はそのどちらもを当たり前のように享受できる環境にあります。

ただその環境は、ボーっと白馬の王子さまが来るのをただただ待っていた訳ではなく、自分でその環境を望んで掴みにいったからであり、そのことを自分自身でよく分かっています。

 

ここ数年、あるがままや無理をしない、頑張らないなどの耳辺りの良い言葉をよく耳にしますが、確かに『24時間戦えますか』のリゲインのCMの世界がもうやってはこないのは一目瞭然で、ただだからといってそれでも自分のやりたい事については、多少の無理をしてでも頑張りたい、諦めそうになる自分の弱い心に負けたくないと私自身は常々思っています。

まぁ、でも本人がやりたい事であれば無理をしている、頑張っているつもりはないと思うので、傍から見たら頑張っていることが本人からすれば当たり前なのかもしれませんが、私はその境地にいる自分がやはり好きで、それは6月から働くようになってとても強く感じます。

自分の出来る事で人の役に立ち、その為に自分のエネルギーを燃焼したい。

 

そんな私の性格から頑張ることを取り除けばもぬけの殻。

枯れた木。

はりぼて。

 

それらは何の役にも立たず、本来私の望む姿ではありません。

多少しんどくとも、私は燃え尽きたい。

そして働き始めて丸三週間が経ちますが、願望通り毎日燃え尽き、隙あらば座っていても寝ている始末。

昨日はビックリしたことにお昼の12時過ぎまでノンストップで寝ていました(笑)

そんな状況であるにも関わらず、私は私を生きている実感がとてもあり、これから更に増える業務を考えるとそれはそれは面倒臭くもあり、誰かにお任せできればと思わない訳でもないのですが、それでもきっとそれを私は完璧にやり遂げるのであろうということが何となくわかっています。

 

大変で誰もやりたがらないことをやるのが私の得意分野。

空間や思考、場所を綺麗に整理整頓し、こんがらがった状況をあるべき姿に戻すことが私はとても得意なようです。

そんな自分の特性に気付けたのは、退職後7年間もの充電期間があったからこそ。

やっとやっと自分の得意とすることが分かりました。

それは私にすれば当たり前過ぎて得意とすら思ったこともなく、何か資格を取らねばと必死にもがいていた7年間でしたが、そして実際履歴書には書けない資格ばかりを取得してしまいましたが、こんな一見すると周り道も私にとっては必要な経験。

 

目の前の本質を知るには、反対を知らなければ分かりません。

全ての事に無駄はなく、全ての事が私にとっては必要な経験。

無駄を知ることで必要を知り、必要を知ることで無駄を知る。

まさに断捨離。

何も特別なことをせずとも、日々の生活にこそ気付きがあり、そこに気付ければしめたものです(笑)

 

さて、相変わらず話しは脱線しますが境内に戻って、こちらはダンスをしているかのような木。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102931j:image

私はこのような木をバレリーナの木と勝手に呼んでいます。

 

バレリーナの木で思い出すのが、滋賀県の長等山で見かけた木。

shironpton.hatenablog.com

今思えば、よくもあんな場所に1人で行ったものだと、我ながら感心してしまいます^^;


f:id:roy-7303-pkbs:20240528102858j:image

枝分かれの面白い木々も星田妙見宮にはあり、境内を歩くだけでとても清々しい気分。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102919j:image

 

こちらは沢山の木々に囲まれた境内の豊かさの源であろう水の存在。

【飛龍の滝】
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102855j:image

そばには御神木。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102908j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20240528102807j:image

こちらの御神木の近くに、私と付かず離れずの距離を保ってカラスが二匹
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102834j:image

まぁこのカラスが良く喋るのなんのって、このあと更に上空に一匹が加わりさながらカラスの大合唱(笑)
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102901j:image

以前はとても長く感じたこちらの石階段も、今回の参拝では物足りなさを感じるくらいにあっという間に本殿へ。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102925j:image

御本殿向かって左手にある鎮宅社が毎度のことながら気になり、今回もご挨拶のあと、目の前のベンチでしばし休息。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102852j:image

御祭神は、鎮宅霊符尊、須佐之男尊饒速日尊の三柱で雄々しい神々ばかり。

その側には御神体の織女石があり、男女揃って陰と陽。

今回で3度目の参拝となりますが、毎回新たな発見があります。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102922j:image
その発見は境内だけにはとどまらず、駐車場へと向かう道すがら今まで一度も気にならなかった箇所に目が留まりました。

 

こちらの画像中央に位置する木がとても気になり、そばに近寄ってみることに。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102813j:image

キターーーーーーッ!

ビンゴ!!

f:id:roy-7303-pkbs:20240528102845j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20240528102828j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20240528102818j:image

この一本だけが特別。

周りの木々とは全く異なり異彩を放っておりました。

f:id:roy-7303-pkbs:20240528105538j:image

この分かれた根元から縦横無尽に広がる枝ぶりは、兵庫県にある越木岩神社を彷彿とさせます。

shironpton.hatenablog.com

 

この木の近くに『金剛生駒国定公園』とあり、この後参拝する磐船神社や以前参拝した四条畷神社(楠公さんの御嫡男である楠木正成公が御祭神です)も金剛生駒国定公園内に含まれるようで、公園の範囲は金剛生駒山系だけにはとどまらず、1996年には和泉山脈一帯を編入し、名称も金剛生駒紀泉国定公園へと変更されたようです。
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102810j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20240528102839j:image

思いもかけぬ場所で素晴らしい木に出会い興奮冷めやらぬまま、お次はご夫婦の奥さんたってのご希望で同じく交野市にある磐船神社へ。
久し振りにブログ記事が続きます(笑)

 

【奈良/橿原市】橿原神宮 奉拝者優待証で内拝殿参拝

夕方からの雨予報はどこへやら。

朝から絶賛ザザ振りの中、絵馬の奉納へと橿原神宮へ。

f:id:roy-7303-pkbs:20240520132525j:image

本来なら年明けに奉納のはずが、私の自治会に娘・息子のダブル卒入式に、やっと入学したと思えば週末は部活のオンパレードで、まぁ本当に時間がない(笑)
f:id:roy-7303-pkbs:20240520132530j:image

南神門から望む内拝殿。
f:id:roy-7303-pkbs:20240520132510j:image

後方の畝傍山へ行きたいと思いながらウン十年。

今回はあいにくの雨でしたが、いずれ近いうちに。

 

そして、何度見ても惚れ惚れとしてしまう外拝殿の佇まい。
f:id:roy-7303-pkbs:20240520132512j:image

雨の風情と相まって、さながら雨も滴るいい男❤

 

立派な大絵馬には今年の干支の辰。
f:id:roy-7303-pkbs:20240520132533j:image

そのすぐ側にある絵馬の奉納場所に、息子の今年の抱負を祈念して絵馬を奉納。
f:id:roy-7303-pkbs:20240520132528j:image

目標が定まったようで、さて目標達成の為に本人がどこまで頑張れるか。

日々、外の要因を理由に出来ない言い訳をしていては夢は夢のまま。

出来るようになる為に、外に理由を求めず今出来ることに全力を尽くして欲しいと思います。(あー耳が痛い(笑))


さて、お次はこちらの参拝者優待証の初利用。

f:id:roy-7303-pkbs:20240528212352j:image

参集所で提示し、必要事項を記載すること数分。

神職の方のご案内の元、通常では立ち入ることのできない内拝殿へ。

御本殿へ玉串奉納をし正式参拝させて頂きました。

もちろん写真撮影はご法度です。

 

参拝後、内拝殿内を歩きながら神職の方が橿原神宮について色々とお話しして下さいました。

 

その中でも特に印象に残っているのが橿原神宮で使用されている檜の出産地。

当初は国産の檜を使用していたそうなのですが、調達が難しくなり台湾の阿里山の檜が使用されるようになったとのこと。

橿原神宮以外で使用されている寺社仏閣で神職さんの口から真っ先に出たのは明治神宮でした。

初めて明治神宮を参拝した際、橿原神宮と同じ感じがすると思ったのは明治天皇繋がりだけではなく、実際使用されている材木の出産地が同じだということ。

他にも調べてみたところ、二年前に夜行バス一人参拝ツアーで訪れた三嶋大社の記載もあり、こうして繋がりが広がり出すと一人ドギマギしてしまいます(笑)

 

shironpton.hatenablog.com

shironpton.hatenablog.com

 

今ブログを見返してみましたが、阿里山の檜が使用されている三嶋大社総門の写真はありませんでした(^^;

 

家族での参拝はめっきりと減りましたが、こうして必要な時や節目に家族で参拝に来れるのはありがたく、更には橿原神宮はメンズ二人もお気に入りのようでこれからも末永くご縁が続くことを願っています。

f:id:roy-7303-pkbs:20240520132518j:image

帰り際、橿原神宮の結婚式の案内を見つけ、息子に『出来たら橿原神宮で結婚式挙げてーやー』と未来のお嫁さんの承諾もなく無理難題を吹っ掛けましたが、まんざらでもなかったようで、『○○(息子は家では自分のことを名前で呼びます。)はいいけど、それは相手との相談しだいやわ。』と至極もっもな返答をされてしまいました(笑)

 

まぁ姑が口を出すことではないので、あとは私の妄想で楽しまさせてもらいますが、そんなありがたいご縁になればいいなぁと、今から少し期待をしつつ、この先にまた新たな楽しみが出来たことが嬉しくもあります(^^)

 

こちらは内拝殿参拝の際に、神職の方から頂いたお下がり。
f:id:roy-7303-pkbs:20240520132515j:image

今年の干支の辰の置物に、神武天皇のご神徳である開運招徳・健康延寿のお守り。
f:id:roy-7303-pkbs:20240520132520j:image

名前に竜の文字がある息子がたいそう喜んでおり、息子の部屋はさながら竜祭り(笑)

f:id:roy-7303-pkbs:20240529083706j:image

ウサギ年の息子はウサギが大好きで、息子の大好きがギュギュっと詰まったエリアです。

(左右のウサギと竜はばぁばから貰ったJAの貯金箱(笑))

 

気付けば来月で辰年を迎えて半年となり、橿原神宮でそろそろ夏越の大祓の案内が届く旨伺った翌日、タイミングを合わせたかのように大祓の案内が届き、そろそろ心身の大掃除の時期となりました。

f:id:roy-7303-pkbs:20240528100722j:image

家の掃除をするのと同様、心身の健康もまずは掃除から。

ゴミの溜まった状態でいくら綺麗なモノや新しいモノを飾ったところで気付けばゴミと化すのが関の山。

まずは掃除、心身の浄化が大切です。

 

そんな事をPCに向かって打っている最中に、今まで全く手を入れたことのなかった場所の掃除をする流れとなってしまい、ありがたいことに積年の埃とサヨナラする事ができました!

 

こうして、必要な時に必要なことが起こる環境が当たり前になり、そこに気付けるようになったことも私にとってはとても大きな出来事で、色々と時間はかかってはおりますが、無駄なことなど何一つないなと実感しております。

 

無駄な時間ですらも無駄ではない。

無駄を知って相反することの意味を知る。

 

日々勉強。

(こんな勉強はいと楽し(笑))

 

【大阪/河内長野市】秘仏開帳 三大如意輪観音 観心寺

三大如意輪観音が御本尊である大阪は河内長野市にある観心寺

観心寺は大好きな楠公さんが幼少期に学ばれた場所。

f:id:roy-7303-pkbs:20240419072559j:image

(いつ見ても格好よろしおすー!)

 

毎年4月17、18日は如意輪観音様の御開帳日。

念願叶って、やっと参拝することが出来ました。
f:id:roy-7303-pkbs:20240419072547j:image

観心寺には9時半過ぎに到着しましたが、その時点で案内されたのは10時半からの拝観。

当日は次から次へと人の波。

30分ごとの入れ替え制の拝観を終え、金堂から出ると長蛇の列。

観心寺さんへは何度か訪れておりますが、いつもの静かな境内とはうって変わって人の多さに圧倒されました。

f:id:roy-7303-pkbs:20240506085835j:image

如意輪観音という仏様を知ったのは、今から6年前。

当時は自転車で近所の寺社仏閣を参拝しており(今と大差ないですが、今は距離が延びました)、初めて参拝したお寺の御本尊が如意輪観世音菩薩様でした。

御本尊を前に手を合わせた途端ビックリしたことに涙が止まらず次から次へと溢れ、特に悲しいことがあったわけでもなく、一体全体何の涙なのか全く分からず。

例えるなら、蛇口をひねると自然と水が出るように、手を合わせたら自然と涙が出、そしてそこに何らの感情もなかったということ。

未だにあの涙の意味は分かりませんが、あれ以来気付けば如意輪観世音菩薩様と縁のある場所へ参拝していることに。

 

秘仏開帳は30分入れ替え制の拝観ではありましたが、その間お坊様からのお話しもあり、お堂の後方に座っていた人は前列の方と入れ替えをして頂けるアナウンスがあったりと、慌ただしくはありましたが最後に如意輪観音様を間近で拝観させて頂くことも出来、良き拝観となりました。

 

境内は秘仏開帳のある金堂以外は人もまばら。
f:id:roy-7303-pkbs:20240419072611j:image

奥に見えるは楠木正成公の首塚

この静寂な境内の雰囲気が何度訪れても心地良く、そして楠公さんへの想いは増すばかり(笑)
f:id:roy-7303-pkbs:20240419072609j:image

こちらの可憐な佇まいのお花は春先に咲くシャガの花。
f:id:roy-7303-pkbs:20240419072606j:image

お寺や神社の境内で見かけることが多いのですが、調べてみると古来中国から伝わった帰化植物であり、人為的に植えられた植物のようで、自然林にはほぼ自生しないとありました。
f:id:roy-7303-pkbs:20240419072549j:image

こちらは如意輪観音秘仏開帳の際に頂ける特別御朱印

f:id:roy-7303-pkbs:20240419141014j:image

よく見ると、右手第三手 念珠 『智慧を授ける』とあります。

慧の漢字は、さとい、かしこい、ちえ、心のはたらきの意味があり、仏教では物事を見抜く能力。

 

2022年から、秘仏開帳の日限定で如意輪観音様の六手を一本づつ表現された御朱印を用意されているようで、今年2024年は第三手。

蒐集癖のある私としては是非とも全ていただきたく、これからも観心寺さんへの参拝は続きそうです。

 

御朱印の六手をコンプリートするとなるとあと5年。

5年後の私は私の思うような姿となっているのでしょうか。

ただ、こうして他人事のように傍観していても何も変わらず、つい怠けてしまう心をどうにか鼓舞して頑張らなければなりません。

 

そんな私の心と呼応するかのように、昨晩たまたま見たTVでOfficial髭男dismの宿命が流れ、下記のフレーズにドキリ!としました。

 

 

その都度その都度、与えられた場所で精いっぱい頑張ってきたという自負はあるのですが(どうしようもない時期もありましたが)、それでもそれは宿命といったものを意識しての行動ではなく、そもそも自分の成すべき宿命を知らず、例えるならばその場に対する反射対応のようなもの。

 

天下を取るだとか(←何時代?(笑))、世に名を馳せるだとか、そんな大それたことではないにしろ、自分の持って生まれた能力をきちんと使ってこの世を後にしなければ、どうにもこうにも後味が悪いような気がここ最近しています。

その能力とは、それこそ霊力だとかの特別なモノではなく、例えばコミュニケーション能力が高いであるとか、整理整頓や料理が得意であるといったような、普段誰しもが意識せずして使っている能力。

その能力を保持している当の本人であれば、気付くこともないであろう当たり前の能力。

持っていない者からすればスゴイ!となるような能力も、当の本人が気付いて磨かなければ宝の持ち腐れ。
そんな自分の標準設定である能力は脈々とご先祖様から受け継いできたもの。

もちろん、遺伝+αの環境要因を無視することは出来ず、全てを遺伝だけとすることは出来ませんが、そんな自分の能力を知って、世の為人の為に尽くすことがこの世に生まれてきた各々が成すべきことなのかなと思うようになりました。

 

ただ、そこに行きつくまでには外的要因であったり、内面的な未熟さ故に楽な方に航路を取ってしまい、気付けば思っていた場所に辿り着けなかったということもあるかと思いますが。

いずれにせよ、己を知る為には他者と交わり、他者を知ることでしか己を知ることが出来ないという、己と他者は合わせ鏡の関係であることが言葉としてではなく、やっと肚で分かった感じがします。

 

己の宿命を知るには、まず己を知ること。

己を知るには、他者を知ること。

 

やはり人は一人では生きていけないようです。

 

今回、久し振りに御朱印を頂きましたが、御朱印帳を開けてビックリ!

昨年、三大如意輪観音の一つである兵庫県の神呪寺で秘仏開帳の御朱印を頂きましたが、ちょうどその見開きに観心寺さんの如意輪観音様の御朱印が並ぶこととなりました。
f:id:roy-7303-pkbs:20240419141017j:image

更には、当日ありがたいことに如意輪観音様の御影もいただくことが出来(100円でした)、神呪寺でいただいた御影と並べてなんとも嬉しい瞬間。

f:id:roy-7303-pkbs:20240419141126j:image

 

傍から見れば何が楽しいんだろうかと、家族が私を見る目でよく分かりますが、誰が何と言おうが、当の本人が楽しいのだから仕方ない(笑)

小さな幸せ、大きな充足です。

 

shironpton.hatenablog.com

 

shironpton.hatenablog.com

 

今回観心寺へは、出会って40年のサン友と南海電車南海バスに揺られて向かいましたが、今まで車での参拝では気付かなかった場所を見つけました。
f:id:roy-7303-pkbs:20240419072602j:image

観心寺のバス停近くにあるこちらの場所。

どこかに下に降りる道があるかとは思うのですが、バスが到着してしまいあえなく散策は断念。

とても気になる場所でしたが、こちらは次回の参拝時に。

 

6年前に如意輪観音様に出会わなければ、きっと楠公さんに出会うことなく、そして楠公さんに出会わなければ間違いなく河内長野市にやって来ることもなく、こうして自分にとっての必要なご縁は、必要な時に必要な流れとなってやってくるのだと思います。
f:id:roy-7303-pkbs:20240419072614j:image

ただ、そんな流れも日々の行いが滞っていればやってくることもなく、必要な流れは、常日頃から流す習慣をつけておくことが必要で、そんな話しをサン友と話しながら、こういった参拝も流す行為の一つなのではないかと感じました。

ただ、参拝となるとそう頻繁には行くことも出来ませんし、となると日々の掃除や整理整頓、正しい行いが滞りを無くし流すことになるのだと思います。

 

こちらは河内長野市駅前の楠木。f:id:roy-7303-pkbs:20240419072552j:image

楠公さんへの想いはとどまることを知らず、そんな私の熱の入った話しを横で聞いていたサン友から『友達(私)の彼氏が出ているサッカーの試合観戦を一緒見に来たような感じ』と、言い得て妙な例え(笑)

楠公さんは現代に肉体として存在しておりませんが、想いは遥か時空を超え。

 

楠公さんは私にとってなくてはならない存在。

心のヒーローで、今回も参拝させていただけたことに感謝です☆

(そして、そんな私を遠目に見ている私がいるのも事実です(笑))

 

 

【大阪/三島郡】桜の時期の水無瀬神宮

気付けばこの一年、お水汲みが私の仕事となってしまったようで桜舞い散る季節に水無瀬神宮へ。

f:id:roy-7303-pkbs:20240413223205j:image

昨年度は週末がほぼ自治会活動で埋め尽くされ、家族で参拝できたのは数えるほど。

タイミングを合わせるかのように、家族各々が週末にやりたいこと、やるべきことができ、どうやらあの怒涛の家族で参拝年間とは卒業のようです。

コロナ禍で行動規制がされる中、ありがたいことにたくさんの寺社仏閣に家族で参拝出来たことは、今となっては良き思い出。

上りの激坂を自転車で走ったことや、道なき道を山頂目指して歩いたり、はたまた人生で初のヒルに血を奪われたことや、全身筋肉痛になりながらも翌日も家族で参拝という名の山登りや長距離サイクリングをしたりと、何かに取りつかれていたのでは?と思うほどの過密スケジュールでしたが、あの経験があったからこそ家族として成長できたのだと感じています。

 

お互い好き勝手な事をしていれば、それが一番楽で気ままに出来るのですけどね。

そちらに転ばず、家族で様々なことを体験し、沢山話して、とても泥臭い密度の濃ゆい数年間を過ごしました。

その経験があったからなのか、息子も娘も自分で考えて行動し、そして自分の為だけでなく人の為を思って行動することが当たり前のように出来、『みんながしているから』という理由で何かを選ぶことはありません。

自分にとってそれが必要かどうか、よく考えて自分で納得して答えを出しています。

とは言いつつも、私が口を出してしまう場面もありますが(^^;

今春から中学生と高校生になった我が家の子供達ですが、少し手が離れたと言ってもまだまだ親の庇護下にある子供です。

見守りながら、所々でうるさいババアと思われながらも口を挟んでいこうと思います(笑)

 

さてこちらは翌週の水無瀬神宮

f:id:roy-7303-pkbs:20240413223158j:image

あれだけ咲き誇っていた桜はどこへやら。

新緑が眩しい木へと大変身。

 

今年は気付けばお花見をすることもなく、今月の週末も自治会ばかりでしたがそんな生活にも1年経って随分と慣れてきました。

当初はそれこそ拘束日数と時間が多いとブーブー文句を言っていましたが(笑)

そんな損得勘定が骨の髄まで染み込んだ私が、何も考えず自然と身体が動くようになったのはこの一年での大きな変化だと感じています。

 

私の生まれ持った星は東洋占星術でいうところの自分を強める星ばかりで、これが私の標準設定、思考のベースとなっています。

逆を言えば、それ以外の思考回路を持ち合わせておらず(全くないわけではありません)、そうではない思考は他者と関わり合うことでしか知ることが出来ません。

その中で、取捨選択をして標準設定からどんどん変化し今の私が出来上がっています。

 

先月久し振りに会った妹に、『お姉はほんまに変わった。昔は嫌いやった。とっつきにくかった。』と面と向かって言われました(笑)

 

私は自分を変えようと思ったことはなく、変える必要もないと思っていましたが、まさにそれが自分を強める星ばかりを持っている作用。

そんな私が、意図せずどんどんと変化していっているということに、妹との会話の中で気付かされました。

 

私が退職前に思い描いていた人生設計とは気付けばどんどん道が離れてしまっておりますが、これで良かったのではないかと、普段の何気ない会話から感じることが多く(先程の妹との会話然り)、バリバリと働いていた頃よりは自分を生きている感じがします。

(とは言いつつも、バリバリと働きたい自分も間違いなく存在しているのですが(笑))

 

相変わらずこんな感じで自分に振り回されておりますが、これも経験だと前向きに考えて、さて今年はRestart。

新しいことに挑戦したいと考えています。

(ここでもまた自分で自分に振り回されております(笑))

【兵庫/宝塚市】中山寺から清荒神へ

2月下旬。

ほぼ1年振りの中山寺

f:id:roy-7303-pkbs:20240325091926j:image

 

本日一番の目的は1年前の参拝時にいただいて帰った心願成就の石をお返しすること。

shironpton.hatenablog.com

 

今回一緒に参拝したサン友のYさんと『そういえば1年前に何をお願いしてたっけ?』とすでに願い事は記憶の彼方(笑)

私の記憶にあるのは願い事より、ひたすら自治会活動に邁進した1年だったということ。

3月に入り引き継は終わったものの、じゃあそれ以降は丸投げほったらかしというわけにもいかず、今年は顧問として新自治会メンバーのフォローに回る年。

 

今まで全く興味のなかった自治会。

その自治会活動を通して得たことは、自分の住む地域の為に持てる力を尽くすこと。

 

最初は消極的だった活動も、日を追うごとに芽生えるのは責任感。

クジ引き会長と言えども引き受けてしまったならば途中で放棄するわけにもいかず、そんな責任感と共に芽生えてきたのは、頼られることで得られるやりがい。

無償でこんなんやってられへんわ、とはしょっちゅうボヤいていましたが(笑)

 

私には漠然と、自分の出来る事で人の役に立ちたいとの想いがあり、はたして自治会会長職が自分の出来る事だったのかどうかは分かりませんが、それでも結果地域の方の為に少しでもお役に立てたのであれば、それはそれで良かったのではないかと思います。

 

これからも地域活動はまだまだ続きますが、無理のない範囲で続けていければと1年前には全く思いもしなかった感情すら今では芽生えるようになり、基本、私は自分の損得しか考えていない人間で(私の持つ星の特性です)、お金にならないことは興味がなかったのですが、おかしなことになってきました。

 

無償ボランティアという、全くもって真逆の領域に足を踏み入れ、1年の任期と共にさっさと抜け出すつもりが、今後も私に何か出来る事はないかと考えている始末。

他人事のような言い草ですが、自分で自分にビックリしている時点で半ば他人事のようで、私にはこんなことも出来るんだと改めて驚かされています。

 

出来ない。

では無くて、邪魔くさい、したくない

ですね。

 

さて、久し振りのYさんとは近況報告をしながら中山寺の山中を歩き、今回はそのまま清荒神へと抜けるルートで行ってみることに。

 

清荒神清澄寺 山門】

f:id:roy-7303-pkbs:20240325091930j:image

この日は本当に良く喋り、良く歩きました。

2万歩越え。f:id:roy-7303-pkbs:20240325091933j:image

この日以外は前日も翌日もザザ振りの雨で、足元は前日の雨でぬかるんでいるものの良く晴れ、良き参拝日和となりました。

 

そんな参拝日和の中、サン友Yさんから私達は出会って今年で40周年になるということを教えてもらいました。

まさか、こんなに長く続く友達が出来るとは。

意図してするものではなく結果そうなっただけのことですが、ありがたいご縁です。

 

さてこちらは前回の中山寺参拝時に感激したケーキセット。

f:id:roy-7303-pkbs:20240325091937j:image

 

ケーキは日替わりとなる為、何が出てくるかはお楽しみですが今回もハズレなしの美味しさでした。

 

3月上旬までは祖母の四十九日期間となる為、神社への参拝はご法度。

お寺への参拝ということで、タイミング良く心願成就の石の返却の時期と重なった中山寺への参拝となりましたが、これもご縁ですね。

 

2023年度は土日がほぼ自治会で埋まり参拝回数は激減しましたが、それでも参拝では得ることが出来ない自分の生きる場所に根差した一年間となりました。

 

沢山の知り合いが増え、それは年代性別関係なく、様々な方と交流することが出来、ただそれは何も良いことばかりではなく、嫌な出来事もあり。

ただ、対極を知ることでより明確に自分がなすべきことも分かり、やはり経験無くしての成長はあり得ないと実感。

 

何の障壁もなく、のほほんと生きていければそれこそしんどい思いもしなく済むのですが、障壁があるからこそ乗り越えた先の景色は素晴らしく、私はそれを求めているんだということを今年一年の経験で思い出したような感覚があり、更に追い打ちをかけるかのように先日、息子の卒業式の祝辞でPTAの会長が『楽な道と困難な道があれば、迷わず困難な道を選びなさい。』と話されていたことが今の私にピタリとはまり、やはりそっちに向かうしかないと念を押された気がしています。

 

そして、感じるのはこんな経験を用意してくれたのは見えない方々からなのではなかろうかという、確信にも満ちた思い。

 

この一年、事あるごとに食べ物を色んな方から頂き、自治会活動が大詰めとなってきた年明けからは連日のように食べ物が届いているような状況でした。

これを見えない方々からの応援とせず何としようか(笑)

 

参拝回数は減りはしたものの、参拝を続けてきたからこそ見えた激動の2023年度の幾多の出来事。

娘も息子も、そして私も良く頑張りました。

(主人はいつもフォロー役(笑))

 

さて、4月からは娘の受験合格のお礼参りなど、これからも参拝は続くよどこまでも。

そして、地域活動は続くよどこまでも(笑)

【兵庫/相生市】秦河勝公の漂流地 そして那波の大避神社

祖母の余命数日の連絡を受け、その二日後には祖母のいる相生市へ。

何も言わず有休をとって車で連れて行ってくれた主人に感謝。

f:id:roy-7303-pkbs:20240118132121j:image

更にはお弁当まで作ってくれて、肌寒いながらも公園で二人お弁当タイム。

すぐ側には今年七回忌を迎える祖父の働いていた会社がありました。
f:id:roy-7303-pkbs:20240118132111j:image

面会時間までまだ時間があり、さてどうしようかとGoogleマップを見ていると公園内に面白いものがあることが判明。

 

秦河勝播州漂着説之事之碑】
f:id:roy-7303-pkbs:20240118132114j:image

秦河勝播州漂着について、能楽書『風姿花伝』に「摂津国難波の浦より、うつほ舟に乗りて、風にまかせて西海に出づ。播磨の国坂越の浦に着く」とあり。一方、『明宿集』では「業ヲ子孫ニ譲リテ世ヲ背キ、空舟ニ乗リ、西海ニ浮カビシガ、播磨ノ国南波尺師ノ浦ニ寄ル。(中略)ソノ後、坂越ノ浦ニ崇メ、宮造リス。」と載せる。
この地は、かって那波大避神社から南へ約百米に及び細長く湾内に突き出た岩場の岬であった。その先端は末広がりになった「杓子」のような地形で土地の人は「白鷺のハナ」あるいは「オオダケさんのハナ」とも呼び、古昔は通称「シャクシノハナ」と称していたとも伝える。


平成19年11月3日 相生歴史研究会

 

秦河勝公と言えば、聖徳太子の側近中の側近。

先日偶然にも訪れた場所は聖徳太子に縁のある地でした。

shironpton.hatenablog.com

 

まさか大阪から遠く離れた兵庫の地でこんな繋がりがあるとは。

秦河勝公は聖徳太子亡き後、蘇我氏の迫害を避けて播磨の国坂越の浦へ来たとあります。

赤穂市坂越には秦河勝公が御祭神の大避神社があり、以前何かのタイミングで知り、いつかは参拝に伺いたいと思っていた神社の一つ。

大避神社と聞いてすぐに思い浮かぶのは、京都は蚕ノ社の近くにある大酒神社。

もちろん御祭神は秦河勝公。

大避神社=大酒神社ですね。

 

そして、ビックリしたことに碑のすぐ近くにあったのです。

神社が。
f:id:roy-7303-pkbs:20240118132108j:image

それもビンゴな大避神社が。
f:id:roy-7303-pkbs:20240118132127j:image

もちろん御祭神は秦河勝公。

 

境内にはとても立派な木がありました。
f:id:roy-7303-pkbs:20240118132124j:image

振り返ると、後方の山が御神体かのような大避神社。

f:id:roy-7303-pkbs:20240118132118j:image

このあと、祖母のお見舞いまで時間があった為ふらりと入った激安服飾店でありえへんくらいの値引きのストールを娘のもの含めて4枚もゲットできホクホク。

(ここ数年で一番のお買い物かも♪そしておばあちゃんからのプレゼントのように感じました。)

ちょうど祖母の面会時間となった為、病院へと向かいました。

久し振りに会う祖母は以前の祖母の面影はなく、余命数日がにわかに現実味を帯び、滞在できるぎりぎりの時間まで病室で最後の時間を過ごしました。

翌朝早々に母から祖母が亡くなったとの知らせ。

祖母には孫が私を含め9人おりますが、祖母が危篤の連絡を受け実際に動いたのは私のみ。

週末に行くだとか、翌週の定休日に行くだとか、皆自分の都合ばかりを述べてはいましたが、人の生き死にに関わることはそう何度も訪れることはなく、タイミングを延ばせば二度と来ないということを今回の事で改めて学びました。

私も色々と頭で考えてしまいますけどね(^^;

 

それにしてもいつもはのほほんとした主人ですが、今回の即断には正直驚きました。

実の祖母でもないのに、何も言わず有休までとってくれた主人には感謝しかありません。

 

そんな訳で、来月上旬まで四十九日中となりますので神社への参拝はなく、それどころか自治会の事で忙しくしており、参拝にはそもそもいけなかったというのが現実(^^;

 

昨日も自治会の用事があり立ち寄った地域のコミュニティセンターでたまたまお話しする流れとなった87歳のダンディなおじい様の口から『赤穂、坂越』の言葉が出てきて、これは来月の四十九日の際にお参りに行った方が良いのではなかろうかと思っている次第です。

それとは別件で、ここ数日気になってたことの答えもダンディなおじい様の口から飛び出し、『そうきたか!』とまたまたビックリ。

どこでどう答え合わせが出来るかなんて、所詮人間のちっぽけな知識では分かるはずもなく、こうした形で答えを頂けるたびに、人知を超えた何かを感じます。

 

その場ですぐ答えが出なくとも、スマホで調べて答えが出なくとも、自分の思いもよらぬところから必要であればその答えはもたらされるようになっており、この地球、人間のまだまだ解明されていない奥深さに気付かされます。

 

答が分かったらあとは素直に従うだけ。

ここ数年抱えている私にとっての大問題の答えはまだ解決しておらず、こちらを早急にと言いたいところですが、まだ来ないということは、今はタイミングではないのでしょう。

とっても焦りますが、そして焦るが故に間違った判断をしては毎度不自然な方向へと流され、やり直しを繰り返しておりますが、いつかはこの問題にもきっと私にとって必要な答えが出るのでしょう。

 

気付けば目の前のことをおざなりにして、ともすれば先の気になることばかりに気が囚われてしまいますが、まずは目の前のことを一つづつ対応する。

毎日諦めずに対応する。

その先には、必ず答えが出せることを願ってまずは目の前のことを一生懸命に。

と、自分に言い聞かせてずいぶんと間の空いてしまったブログの更新です(笑)

自治会もあと少し!問い合わせめっちゃ多いですが、目の前のことを頑張る。

【大阪/河南町】聖徳太子 岸の桜井と磐船大神社

さて観心寺を後に河南町へ。

とりあえず河南町に行くことは決まっているものの、はてさてどこへ行ったらよいのやら。

Googleマップに相談すると、河南町内に気になる神社を見つけました。

 

ところがどうやら通り過ぎてしまったようで、気付けば山の中。

このまま車で進んで後戻りできないのも怖く、私が歩いて様子を見に行くことにしました。

f:id:roy-7303-pkbs:20240104231514j:image

歩いていくと道のちょうどカーブの手前に石がありました。

f:id:roy-7303-pkbs:20240104231511j:image

よく見て見ると、きしの桜 聖徳太子と読め、お目当ての神社ではありませんでしたが、河南町と太子町から聖徳太子とイエスキリストをイメージしていただけに、まさにビンゴ!
f:id:roy-7303-pkbs:20240104231505j:image
この一帯にはとても気になる木ばかり。
f:id:roy-7303-pkbs:20240104183946j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20240104183944j:image

きしの桜は、正式には岸の桜井になるようで、『河内名所図會』には次のように記されているようです。

 

「岸桜井 平石村にあり。伝云、むかし、聖徳太子、桜の盛なる頃、枝を手折て鞭とし、これをもつて堀給へば、清泉、滔々として涌出しけるよしを、近年、高貴寺の慈雲比丘、書して標石を建る。」

 

となると、きしの桜井と彫られた石の側にあった穴は以前は井戸だったはずで、中を覗いてみましたが埋められてしまったのか、水が湧き出ている形跡はありませんでした。

 

さて肝心要の道ですが、少し進んだところに車が止まっており側に寄ってみるとどうやらお寺があるようです。

f:id:roy-7303-pkbs:20240104183940j:image

するとどこからともなく犬が一匹やってきて、誰が来たのかといぶかしんでいる模様。

きっとこの近くにあるお寺の高貴寺から来たのではないのかと思われ、ただそばには住職が書いたと思われる『写真を撮るなら一句詠め』とあり、どう考えても一句詠める感じがしない我々三名(^^;

 

そんな訳でお寺は断念しワンちゃんにその旨を伝え、目の前にある面白そうな道を歩いていくことにしました。

f:id:roy-7303-pkbs:20240104183950j:imagef:id:roy-7303-pkbs:20240104183924j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20240104231500j:image

気付けばいつもよく似たポーズをしている二人(笑)

 

山道を歩いていくと、ありがたいことに当初予定していた神社に到着しました。

【磐船大神社】
f:id:roy-7303-pkbs:20240104231455j:image

磐船大神社をGoogleマップで見つけた途端、思い浮かんだのは磐船神社

天孫降臨の地と言われる大阪府交野市にある神社です。

 

shironpton.hatenablog.com

shironpton.hatenablog.com

 

御祭神は磐船神社と同じく饒速日命

となると、饒速日命が乗られた天の岩船が境内にあるのではないかと由緒書きを見ると、やはり記述がありました。
f:id:roy-7303-pkbs:20240104231508j:image

境内には天の岩船以外にも奇岩怪石があるようで気にはなりつつも、ただこのあと降り出してきた雨で早々に境内を後にする羽目に。
f:id:roy-7303-pkbs:20240104183936j:image
唯一、確認できたのは鳥居前にあった祓戸社のこちらの大きな石。
f:id:roy-7303-pkbs:20240104231503j:image

写真には写ってはいませんが、境内の周りにはぐるりと害獣除けの電気柵が張り巡らされており、山間部ということもあって鹿や猿などの動物が下りてくるのかもしれません。

山に食べるものがないから下りて来ているのか、どういった状況で電気柵が設置されたのかは分かりませんが、跨ぐのは少し勇気のいる境内でした(^^;

 

そんな中、気付けば雨足がいよいよ怪しくなってき、早々に境内を後に来た道を戻ります。

それでも道中、気になる木をそのまま通り過ぎることは出来ずパチリ。
f:id:roy-7303-pkbs:20240104183929j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20240104231457j:image
今回一番心惹かれた木。
f:id:roy-7303-pkbs:20240104183926j:image

岸の桜井近くの木。

木というより龍。

 

岸の桜井の水脈は未だ枯れることなく地中を流れ、その水源を源に大きくなっているようにも思え、当初予定していた場所ではありませんでしたが、石碑に刻まれた『岸の桜井 聖徳太子』を見た途端、今回の目的地がこの場所であることがハッキリと分かりました。
f:id:roy-7303-pkbs:20240104231452j:image

やはり気になったことは、自分で確認しなければ分かりません。

 

とても便利なネット社会。

知りたい事は片手ですぐ調べられ、『知らない』とは言えない風潮の世の中ではありますが、調べて分かったことが『知る』ことではなく、実際に自分が動き、行動し分かった・感じた・気付いたことが知ること。

頭だけで分かったつもりになってはいけないなと、こうしたことがある度に気付かされます。

 

太子町と河南町から聖徳太子とイエスキリストを感じ、今回河南町聖徳太子の岸の桜井を見つけ、こんなに面白いことが現実にあるのかとこの数年の参拝で幾度も経験してきました。

shironpton.hatenablog.com

 

これは今のこの世の中で常識とされていることや、理屈で考えても到底分かることではなく、自分自身が経験しなければ分からないことで、この経験をすることが人間としてこの地に生まれ落ちてきたことの意味、役割なのかなと感じます。

まぁ、そんな大それたことではなくとも、今を生きることが大切なんでしょうね。

 

11月からずっと気になっていた場所に来れて、そして思いもかけぬ場所で聖徳太子の痕跡を感じることが出来、滞在時間はほんの僅かでしたがとても満ち足りた時間となりました。

 

さて、ざざ振りになる前にどうにか車まで戻ってくることが出来、車を走らせると坂の上からこちらを目掛けて走ってくるものが。

 

その正体は、到着時にお出迎えしてくれたワンちゃん。
f:id:roy-7303-pkbs:20240104183952j:image

思わず主人に車を停めてもらい、何もあげれるものは持ってはいませんでしたが息子と一緒にありがとうとお礼を言っておきました。

お迎えもお見送りもしてくれたワンちゃん。

とてもありがたい瞬間でした。

 

気付けば参拝から1ヵ月以上が経っていましたが、こうしてブログにすると気付くことが沢山あります。

 

下記は今回参拝した磐船大神社と交野市にある磐船神社の位置関係。

真直線とまではいきませんが、生駒山形上の南北に位置し偶然とは到底思えない個所に存在します。

どちらの神社も天の岩船があり御祭神は饒速日命

巨石信仰です。

 

今年は一時期足繁く通った巨石のある六甲に行こうと主人と息子と話しており、六甲と言えば饒速日命と対になる瀬織津姫の土地。

 

今年の参拝はどんな繋がりとなっていくのでしょうか。

 

そんな思いがそのまま現実となった出来事が、後日参拝とは関係なく訪れた場所で目の当たりにし、目で見えなくとも繋がっていると新年早々、心新たに実感した次第です。

 

見えている事だけを全てとしなければ、その瞬間今までの自分が想像し得なかった扉が次々と目の前に現れ、その扉を開けるのもそのままにしておくのも自分次第。

どちらが正しい悪いではなく、自分がどうしたいかという、ただそれだけのことなのだと思います。

 

現実の私は自治会会長職もあとわずかとなり、来期メンバーの選出、引き継ぎとまだまだ他にもやることはありますが、それこそ現実を生きる。

今、目の前にある課題に粛々と取り組むことが生きる事、ですね(^^)

ただ、来期は顧問として残らなければならず、今からすでにゲッソリですが(笑)