私事ですが、念願叶って6月からガッツリ働き始めることになり、その間会いたい人に会っておこうと5月下旬は私の数少ない友達と日々を楽しく過ごさせて頂いておりました。
その間面白いことに、これは確実にこの状況を喜んで下さっているんだろうなという現象が毎日起こり、(私はお酒が特段強くはないのですが、初めて入ったお店の店主にランチ後ビールを勧めて頂いたり、今までお酒を頂くことなどなかった方からビールを頂いたり、はたまたいきなりケーキを買ってもらったりだとか、就職の話しなんてこれっぽっちもしていないにも関わらず、他にも色んなおめでとうを沢山いただきました。)7年前の左脳バリバリな退職前の私では絶対に気付かなかったであろう日々の出来事にただただ感謝の気持ちしかなく、この7年で本当に色々みえるようになりました。
ベトナムビール!
さて前置きが随分と長くなってしまいましたが、そんな5月下旬のおめでとう週間のうちの一日を、ご夫婦で仲良くしてもらっている方と大人の遠足という名の元の参拝へ。
【星田妙見宮】
毎度のことながら私が気になるのは木。
そして石。
なかなかな存在感のある石ですが、表立った場所には無く、今回の参拝で初めて存在を知りました。
気付けば前回の参拝からすでにもう2年強。
前回の参拝で霊符をいただきに上がり、とても賑やかになった我が家の神棚。
毎日欠かすことなく手を合わせておりますが、毎日続けることで生活の一部となり、習慣化されることでそこに煩わしさや面倒臭いなどの意識が入り込む余地が無くなることは身をもって実感しています。
何事も始めるまでは想像しただけで億劫に感じることも、いざ始めてしまえば、そして多少しんどくとも続けていけば、それが当たり前となり生活の一部となること。
それには『続ける』ということが大前提となりますが、続けることで見えてくる景色があり、それは続けなければ分からないこと。
ただ無理をして続ける必要はありませんが、自分がなりたい姿や、やってみたいと思うことに関しては、多少無理をしてでも続けることが必要なのではないかと思います。
私は小さい頃から、毎日手を合わせる場所に憧れがあり、更に母方の実家に帰省する際、毎日仏壇の前でお経を読む祖父の姿に憧れのようなものを抱いており、今はそのどちらもを当たり前のように享受できる環境にあります。
ただその環境は、ボーっと白馬の王子さまが来るのをただただ待っていた訳ではなく、自分でその環境を望んで掴みにいったからであり、そのことを自分自身でよく分かっています。
ここ数年、あるがままや無理をしない、頑張らないなどの耳辺りの良い言葉をよく耳にしますが、確かに『24時間戦えますか』のリゲインのCMの世界がもうやってはこないのは一目瞭然で、ただだからといってそれでも自分のやりたい事については、多少の無理をしてでも頑張りたい、諦めそうになる自分の弱い心に負けたくないと私自身は常々思っています。
まぁ、でも本人がやりたい事であれば無理をしている、頑張っているつもりはないと思うので、傍から見たら頑張っていることが本人からすれば当たり前なのかもしれませんが、私はその境地にいる自分がやはり好きで、それは6月から働くようになってとても強く感じます。
自分の出来る事で人の役に立ち、その為に自分のエネルギーを燃焼したい。
そんな私の性格から頑張ることを取り除けばもぬけの殻。
枯れた木。
はりぼて。
それらは何の役にも立たず、本来私の望む姿ではありません。
多少しんどくとも、私は燃え尽きたい。
そして働き始めて丸三週間が経ちますが、願望通り毎日燃え尽き、隙あらば座っていても寝ている始末。
昨日はビックリしたことにお昼の12時過ぎまでノンストップで寝ていました(笑)
そんな状況であるにも関わらず、私は私を生きている実感がとてもあり、これから更に増える業務を考えるとそれはそれは面倒臭くもあり、誰かにお任せできればと思わない訳でもないのですが、それでもきっとそれを私は完璧にやり遂げるのであろうということが何となくわかっています。
大変で誰もやりたがらないことをやるのが私の得意分野。
空間や思考、場所を綺麗に整理整頓し、こんがらがった状況をあるべき姿に戻すことが私はとても得意なようです。
そんな自分の特性に気付けたのは、退職後7年間もの充電期間があったからこそ。
やっとやっと自分の得意とすることが分かりました。
それは私にすれば当たり前過ぎて得意とすら思ったこともなく、何か資格を取らねばと必死にもがいていた7年間でしたが、そして実際履歴書には書けない資格ばかりを取得してしまいましたが、こんな一見すると周り道も私にとっては必要な経験。
目の前の本質を知るには、反対を知らなければ分かりません。
全ての事に無駄はなく、全ての事が私にとっては必要な経験。
無駄を知ることで必要を知り、必要を知ることで無駄を知る。
まさに断捨離。
何も特別なことをせずとも、日々の生活にこそ気付きがあり、そこに気付ければしめたものです(笑)
さて、相変わらず話しは脱線しますが境内に戻って、こちらはダンスをしているかのような木。
私はこのような木をバレリーナの木と勝手に呼んでいます。
今思えば、よくもあんな場所に1人で行ったものだと、我ながら感心してしまいます^^;
枝分かれの面白い木々も星田妙見宮にはあり、境内を歩くだけでとても清々しい気分。
こちらは沢山の木々に囲まれた境内の豊かさの源であろう水の存在。
【飛龍の滝】
そばには御神木。
こちらの御神木の近くに、私と付かず離れずの距離を保ってカラスが二匹
まぁこのカラスが良く喋るのなんのって、このあと更に上空に一匹が加わりさながらカラスの大合唱(笑)
以前はとても長く感じたこちらの石階段も、今回の参拝では物足りなさを感じるくらいにあっという間に本殿へ。
御本殿向かって左手にある鎮宅社が毎度のことながら気になり、今回もご挨拶のあと、目の前のベンチでしばし休息。
御祭神は、鎮宅霊符尊、須佐之男尊、饒速日尊の三柱で雄々しい神々ばかり。
その側には御神体の織女石があり、男女揃って陰と陽。
今回で3度目の参拝となりますが、毎回新たな発見があります。
その発見は境内だけにはとどまらず、駐車場へと向かう道すがら今まで一度も気にならなかった箇所に目が留まりました。
こちらの画像中央に位置する木がとても気になり、そばに近寄ってみることに。
キターーーーーーッ!
ビンゴ!!
この一本だけが特別。
周りの木々とは全く異なり異彩を放っておりました。
この分かれた根元から縦横無尽に広がる枝ぶりは、兵庫県にある越木岩神社を彷彿とさせます。
この木の近くに『金剛生駒国定公園』とあり、この後参拝する磐船神社や以前参拝した四条畷神社(楠公さんの御嫡男である楠木正成公が御祭神です)も金剛生駒国定公園内に含まれるようで、公園の範囲は金剛生駒山系だけにはとどまらず、1996年には和泉山脈一帯を編入し、名称も金剛生駒紀泉国定公園へと変更されたようです。
思いもかけぬ場所で素晴らしい木に出会い興奮冷めやらぬまま、お次はご夫婦の奥さんたってのご希望で同じく交野市にある磐船神社へ。
久し振りにブログ記事が続きます(笑)