シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【兵庫/相生市】秦河勝公の漂流地 そして那波の大避神社

祖母の余命数日の連絡を受け、その二日後には祖母のいる相生市へ。

何も言わず有休をとって車で連れて行ってくれた主人に感謝。

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更にはお弁当まで作ってくれて、肌寒いながらも公園で二人お弁当タイム。

すぐ側には今年七回忌を迎える祖父の働いていた会社がありました。
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面会時間までまだ時間があり、さてどうしようかとGoogleマップを見ていると公園内に面白いものがあることが判明。

 

秦河勝播州漂着説之事之碑】
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秦河勝播州漂着について、能楽書『風姿花伝』に「摂津国難波の浦より、うつほ舟に乗りて、風にまかせて西海に出づ。播磨の国坂越の浦に着く」とあり。一方、『明宿集』では「業ヲ子孫ニ譲リテ世ヲ背キ、空舟ニ乗リ、西海ニ浮カビシガ、播磨ノ国南波尺師ノ浦ニ寄ル。(中略)ソノ後、坂越ノ浦ニ崇メ、宮造リス。」と載せる。
この地は、かって那波大避神社から南へ約百米に及び細長く湾内に突き出た岩場の岬であった。その先端は末広がりになった「杓子」のような地形で土地の人は「白鷺のハナ」あるいは「オオダケさんのハナ」とも呼び、古昔は通称「シャクシノハナ」と称していたとも伝える。


平成19年11月3日 相生歴史研究会

 

秦河勝公と言えば、聖徳太子の側近中の側近。

先日偶然にも訪れた場所は聖徳太子に縁のある地でした。

shironpton.hatenablog.com

 

まさか大阪から遠く離れた兵庫の地でこんな繋がりがあるとは。

秦河勝公は聖徳太子亡き後、蘇我氏の迫害を避けて播磨の国坂越の浦へ来たとあります。

赤穂市坂越には秦河勝公が御祭神の大避神社があり、以前何かのタイミングで知り、いつかは参拝に伺いたいと思っていた神社の一つ。

大避神社と聞いてすぐに思い浮かぶのは、京都は蚕ノ社の近くにある大酒神社。

もちろん御祭神は秦河勝公。

大避神社=大酒神社ですね。

 

そして、ビックリしたことに碑のすぐ近くにあったのです。

神社が。
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それもビンゴな大避神社が。
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もちろん御祭神は秦河勝公。

 

境内にはとても立派な木がありました。
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振り返ると、後方の山が御神体かのような大避神社。

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このあと、祖母のお見舞いまで時間があった為ふらりと入った激安服飾店でありえへんくらいの値引きのストールを娘のもの含めて4枚もゲットできホクホク。

(ここ数年で一番のお買い物かも♪そしておばあちゃんからのプレゼントのように感じました。)

ちょうど祖母の面会時間となった為、病院へと向かいました。

久し振りに会う祖母は以前の祖母の面影はなく、余命数日がにわかに現実味を帯び、滞在できるぎりぎりの時間まで病室で最後の時間を過ごしました。

翌朝早々に母から祖母が亡くなったとの知らせ。

祖母には孫が私を含め9人おりますが、祖母が危篤の連絡を受け実際に動いたのは私のみ。

週末に行くだとか、翌週の定休日に行くだとか、皆自分の都合ばかりを述べてはいましたが、人の生き死にに関わることはそう何度も訪れることはなく、タイミングを延ばせば二度と来ないということを今回の事で改めて学びました。

私も色々と頭で考えてしまいますけどね(^^;

 

それにしてもいつもはのほほんとした主人ですが、今回の即断には正直驚きました。

実の祖母でもないのに、何も言わず有休までとってくれた主人には感謝しかありません。

 

そんな訳で、来月上旬まで四十九日中となりますので神社への参拝はなく、それどころか自治会の事で忙しくしており、参拝にはそもそもいけなかったというのが現実(^^;

 

昨日も自治会の用事があり立ち寄った地域のコミュニティセンターでたまたまお話しする流れとなった87歳のダンディなおじい様の口から『赤穂、坂越』の言葉が出てきて、これは来月の四十九日の際にお参りに行った方が良いのではなかろうかと思っている次第です。

それとは別件で、ここ数日気になってたことの答えもダンディなおじい様の口から飛び出し、『そうきたか!』とまたまたビックリ。

どこでどう答え合わせが出来るかなんて、所詮人間のちっぽけな知識では分かるはずもなく、こうした形で答えを頂けるたびに、人知を超えた何かを感じます。

 

その場ですぐ答えが出なくとも、スマホで調べて答えが出なくとも、自分の思いもよらぬところから必要であればその答えはもたらされるようになっており、この地球、人間のまだまだ解明されていない奥深さに気付かされます。

 

答が分かったらあとは素直に従うだけ。

ここ数年抱えている私にとっての大問題の答えはまだ解決しておらず、こちらを早急にと言いたいところですが、まだ来ないということは、今はタイミングではないのでしょう。

とっても焦りますが、そして焦るが故に間違った判断をしては毎度不自然な方向へと流され、やり直しを繰り返しておりますが、いつかはこの問題にもきっと私にとって必要な答えが出るのでしょう。

 

気付けば目の前のことをおざなりにして、ともすれば先の気になることばかりに気が囚われてしまいますが、まずは目の前のことを一つづつ対応する。

毎日諦めずに対応する。

その先には、必ず答えが出せることを願ってまずは目の前のことを一生懸命に。

と、自分に言い聞かせてずいぶんと間の空いてしまったブログの更新です(笑)

自治会もあと少し!問い合わせめっちゃ多いですが、目の前のことを頑張る。