さて、伊雑宮をあとに宮司さんに教えて頂いた通り道なりに進んでいくと、ちょっと気になる場所があり寄り道です。
【伊佐波登美命鎮座地】
伊佐波登美命(いざわとみのみこと)は初めて聞くお名前です。
早速Wikipediaで調べてみると、
【出典元:伊射波神社 - Wikipedia】
鳥居の横には『千田の御池』の立て看板。
奥に見えるは先程の伊雑宮よりもこじんまりとしておりますが、木の根元が膨らんだきんちゃく楠。
こちらはびっしりと記載されておりますが、先程の伊佐波登美命(いざわとみのみこと)の記述に繋がる箇所がありました。
それは、田と稲。
天の真鶴が天の稲穂を口先に携え飛来した際、落とした種を倭姫命が先程の千田の御池に種つぎをされ、その年は豊穣であったとのこと。
そこから日本国中へとその種を広められたことによって米穀豊かな国となり、諸国の神社八百万神へお供えをする始まりになったと記載がありました。
こちらはその倭姫命の遺跡とされている場所。
【倭姫命の遺跡】
先程の案内板によると、大正時代に楠(後ろ手に見える注連縄をかけられた枯れた楠)を樟脳用に切り倒した際、その根元を掘ったところ天井石(枯れた楠の手前にある平たい石)が現れ、その下から鏡や勾玉などが発見され倭姫命の遺跡だったのではなかろうかと。
ただ、その際掘り出されたものは持ち去られてしまい、更にはこの地の鑑定は官憲に封じられてしまった為、詳細は不明なようです。
倭姫命といえば、以前参拝した京都市にある西院野々宮神社の御祭神は倭姫命。
以下、西院野々宮神社のHPからの抜粋です。
西院野々宮神社は、伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が伊勢へ赴かれるまでの間、心身を清められるための潔斎所である「野々宮」が築かれた聖地で、各地に残る「野々宮」の名称はこの地が発祥とされています。現存する斎宮の中で最もその風情をとどめるといわれるお宮です。
思わぬところで倭姫命の足跡と功績を知り、改めて日本という国の豊かな水、そしてその水がもたらす水田、そして豊穣の証である黄金色に輝く田の奇跡に気付きました。
毎日当たり前のようにお米を食べれる環境におりますが、それは当たり前ではなく、当時より今まで繋いできて下さった日本の祖先の方々の賜物であり、そんな大切なことを日々何の不自由もなく口に出来ていることから、当たり前過ぎて見失っていました。
大切な事は日々の中に。
次回の伊勢神宮への参拝の際には、是非別宮の倭姫宮へご挨拶に伺おうと思います。
さてさて寄り道が思わぬ勉強となりました。
次こそは、目的地の上郷の石神へ。
つづきます!