娘が自宅からバス、電車に乗って滋賀通いが出来るようになってしまい、望んでいた形なのに、望んでいた形が予想以上に早くき過ぎてしまったことに、望んでいた私が受け入れられず、滋賀に行きたくてウズウズ(笑)
そんな訳で、久し振りに朝から家族で滋賀入りです。
娘を近江神宮へ送り届け、主人先導の元、あてどなく走っていると面白い施設を見つけました。
【おごと温泉 観光公園】
道の駅かと思いきや、
足湯がありました!
おごと温泉観光公園おごと温泉は滋賀県のアルカリ天然温泉です。日帰り温泉・足湯もあり
既に9キロ程走っていた為、疲れた足に温泉は心地良く、更に足湯から上がってビッリクのツルツル肌❤
これは、病みつきになりそうな予感。
さて、ここからどうしようかとGoogleマップに相談。
1kmほど先に雄琴神社がありました。
いくら曇天だからと言っても、もう少し上手く写真を撮れないものかと自分に言いたい。
鳥居までの急斜面を自転車で上がった甲斐がありました。
とてもよい眺望。
手水舎の水が出ていなかった為、こちらで手を清めました。
正面に拝殿
【由緒書き】
拝殿の後ろは、中門で囲まれた本殿。
主祭神は大炊神 今雄宿禰命(おおいのかみ いまおすくねのみこと)
初めて聞くお名前です。
Wikipediaから、下記抜粋。
文献上では「阿保今雄」・「小槻今雄」とも。
於知別命(垂仁天皇皇子)の後裔で、仁寿元年(851年)雄琴荘を拝領し元慶8年(884年)に歿した。
のち当地を治めた小槻氏(官務家)の祖。
大同3年(808年)雄琴山上に鎮座したとされる。この時はまだ今雄宿禰は祀られておらず、土地神であったと推測されている。
仁寿元年(851年)今雄が雄琴荘を拝領、当地は小槻氏所領となる。社名・地名の「雄琴」は、今雄宿禰の邸から琴の音が聞こえていたためだとも言われる。
今雄の死後、延長4年(926年)に子・小槻当平が社殿を造営し、一族の礎を築いた今雄の神霊を「雄琴社大炊神」と称して祭祀した。
小槻氏により同市苗鹿にある那波加神社とともに氏神として崇敬され、ともに同地にある法光寺の鎮守社を担ったとされる。また鳥居前方にある福領寺は神宮寺であった。
【出典元:雄琴神社 (大津市) - Wikipedia】
雄琴を納めた小槻氏の祖先を、雄琴社大炊神としてお祀りされているようです。
そして、配祀神につていは下記の通り。
※いずれも正応4年(1291年)相殿に配祀。
舎人親王といえば、近江神宮の御祭神、天智天皇の弟・天武天皇(大海人皇子)の息子です。
なぜ、舎人親王をお祀りされているのかが気になり調べたところ、雄琴神社と同名の神社が唯一、栃木県に存在していました。
下記、Wikipediaより抜粋です。
社伝では、寛治5年(1091年)に清原武則子孫の保定が栃木県壬生町に祖先の舎人親王を祀ったのが創建とされる。
創建当初は「藤森神社」と称したとする。
寛正3年(1464年)には、下野壬生氏初代の壬生胤業が、雄琴神社(近江国雄琴、現・滋賀県大津市雄琴)から壬生氏遠祖の小槻今雄の神霊を勧請して合祀したという。その際、社殿を建て替えるとともに社号を「雄琴大明神」に改めたとされる。
【出典元:雄琴神社 (壬生町) - Wikipedia】
年代から考えると、
⇒ 藤森神社(後の雄琴神社・壬生町)1091年創建・御祭神:舎人親王
⇒ 雄琴神社(大津市)1291年・配祀神として樟本神社に舎人親王
⇒ 藤森神社(壬生町)に1461年・雄琴神社(大津市)から壬生氏遠祖の小槻今雄の神霊を勧請して合祀。雄琴神社へ改める。
うーん。
藤森神社が雄琴神社へと改めた経緯は分かりましたが、雄琴神社(大津市)がなぜ、200年後に舎人親王をお祀りしたのか。
色々な経緯はあるのでしょうが、年代を追っていくだけでは明確には分かりませんね(^^;
脇道に逸れたついでに。
藤森神社と聞いて思いつくのが、京都市伏見区は深草にある藤森神社。
御祭神は素戔嗚尊ぐらいの知識しかありませんが、調べてみたところ東殿(本殿東座)に天武天皇、崇道尽敬皇帝(舎人親王)がお祀りされており、雄琴神社の御祭神と一緒。
面白い!
さて、程よく自分の知りたい病をみたしたところで、境内に戻ります。
中門前の狛犬さん。
お顔が少し見えにくいような。
こちらの狛犬さんは、少し威嚇気味に見えなくもないような。
後ろを振り返ると、この景色。
志賀湖畔の、少し小高い場所にある神社は先日訪れた樹下神社もそうですが、何とも言えない爽快感。
中門沿いに本堂をぐるりと一周できそうなので、回ってみます。
本堂背後に良い木を一本見つけました。
本堂向かって右手にも良い木があると思えば、
そばにお社がありました。
【稲荷神社】
目の前に井戸があることから水の神様を連想させます。
御祭神は倉稲魂命、市杵島姫命、そして水速女命(みづはのめのみこと)。
ビンゴ!
お神輿が保管されているのでしょうか。
大きな蔵がありました。
少し離れた場所から撮影した拝殿。
後方のお山と言い、想像していた以上に立派なお社です。
さて、拝殿エリアから伸びている道を下ってみます。
お社が三社。
こちらも先程の本殿エリアのお社と同様、裏手の木に力があります。
各々気になったお社の前で手を合わせます。
【野神社】御祭神:野椎神
私としては、そのまま一番右に進んで牛尾神社(御祭神:大山咋神荒魂、菅原道真公)で学問の神様にお参りして欲しかったのですが、何事も私の思惑通りにはいきません(笑)
野椎神は建部大社の摂社 大野神社で草野姫命(かやのひめのみこと)としてお祀りされています。
【滋賀】建部大社、気になる摂社 - シロンプトンでパンとお参りと
野椎神(のづちのかみ)は草野姫命の古事記における別名です。
三社から境内を見ると、この高低差。
右手に先程お参りした本殿が見えます。
気付けば、境内をぐるりと反時計回りに一周して、一番最初に手を清めた場所に戻ってきました。
その側にあった【霊光社】
雄琴神社の縁の人物、八木氏の霊や、日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争戦没者を祀っているお社だそうです。
息子に『ここの神様はどんな人なん?』と聞かれ、戦争で亡くなった人をお祀りしている旨話すと、『戦争は絶対にあかんな。』と一言。
戦争を知らない世代でも、『絶対にあかん!』と感じる戦争。
戦争のない世の中を、これから日本を担う世代に。
さて、もう二社お参りしたいところがあったのですが、思いのほか足湯で長居をしてしまいこのまま近江神宮までサイクリング。
お次は、娘をピックアップして滋賀への帰り道、いつも目にしながら気になっていた神社へお参りです。
つづきます。