久し振りに平日のお参り。
毎週のごとく東方面(滋賀、京都)ばかりのお参りで気分転換。
方角を変えて西宮にやって来ました。
TVで見たことはあっても、西宮神社という名前は聞いたことがあっても、更に何度も目の前の道路(43号線)を車で通っているにも関わらずお参りに行くのは初めてです。
右手にはためくのは七五三ののぼり旗。
私の知っているのぼり旗はこのサイズ感。
先日お参りに行った伊射奈岐神社ののぼり旗はやはり別格だったのではないでしょうか。
【大阪】伊射奈岐神社の狛カメレオン - シロンプトンでパンとお参りと
さて、では境内へ。
43号線沿いの南門くぐってすぐ左手にお社。
【沖恵美酒神社】
由緒書き冒頭に『あらえびすさまと崇められ・・・』とありますが、本殿にお祀りされている蛭子大神の荒魂のようです。
【児社】
目の前に見える赤い門が表大門で、1月10日の十日えびすの日に繰り広げられるドラマのスタート地点。
このコロナ禍で来年はどうなるのでしょうか。
参道を進みます。
歩いていてふと感じたのが、廣田神社へお参りに来たようななんとも言えない感じ。
【兵庫】廣田神社、で瀬織津姫? - シロンプトンでパンとお参りと
【境内図】
右手に面白そうなモノがありました。
こちらの石碑にかかれている文字の意味は、下記案内書きより抜粋です。
鳳凰の心と龍のたてがみを併せもつ勇ましい姿、
金の鞍、玉のくつわをつけ、永く名社に仕える
鳳凰の心と龍のたてがみを持ったこんな立派な龍が側にいれば、百人力です(^^)
その横の掲示板にかかれていた今月のお言葉。
【十月 神無月】
雨風も紅葉も月雪も何れも神の姿なりけり
−修験道諸神勧請通用−
天地万物はどこから、誰によって発生せしめられ、存在し、生き続けて
いるのか。
その自然の姿を生あるものとして認め、天地間の全てのものを神の心の
現れとして尊重し、愛育する教への基がそこにある。
神の姿の変化がそこに生きている。
【修験道諸神勧請通用とは】
室町時代から江戸時代にかけて、修験道による神祭りの作法を教えたもの
神様という存在、エネルギーというのでしょうか、をこの目で肌で感じたことはありませんが、それは自分が勝手に思い描いている神様のイメージを見たことがない、感じたことがないだけで、いつも当たり前のように目にするもの、感じるものの中にあるのではないかと、ふと思いました。
【手水舎】
【由緒書き】
昔々、鳴尾に住んでいた漁師が、沖で漁をしていたところ、網に大変手ごたえを感じました。喜んで引き上げてみますと、それは期待していた魚ではなく、今まで見たこともないものでした。よく見ると人形のような、又御神像の様にも見えましたが、魚ではないので海にもどしてしまい、また魚の群れを求め、西の方へと船を進めてゆきました。なかなかえものに恵まれず、今の神戸の和田岬の辺りまで来て、なかばあきらめながら網を入れたところ、再び大変な手応えを感じ、今度こそはと勇んで網を引き上げてみると、何とそれは先程海にもどしたはずの、あの御神像の様に見えたものでありました。
漁師は瞬時に、これは徒事ではないと確信し、漁をきりあげ、御神像を丁寧に布にくるみ、家に持ち帰りました。粗末な家ではありましたが、漁師はその像の為に床をしつらえ、朝な夕なにお供え物をし、お祀りすることになりました。
しばらくたったある日、いつもの様に夕方のお供えをして、自分も夕食をとり、やがて眠りにつきました。その夜の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」との御神託があったのです。蛭児の神。
それは神代の昔、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神が久美度に興して生み給いし御子。
日本書紀によると、三歳になるまで足が立たなかった不具の子であったとも云われています。伊邪那岐伊邪那美二柱の神は、吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて茅渟の海へ流してしまわれたのです。
その蛭児の神、葦船に乗せて流された蛭児の神が、再び茅渟の海から出現されたのです。平安の御代に力強くよみがえった蛭児の大神、この神が西宮えびす大神として茅渟の海、今の大阪湾岸をうしはく神として、海に生業の道を求める人々はもとより、開けつつある街の人々の、絶大なる信仰を集めてゆくのです。さて鳴尾の漁師は恐れ謹み、漁師仲間と相談し、蛭児大神を輿にお乗せし、御神託の通り西の方、良き宮地を求めて出立しました。途中いく度か輿を下ろし休憩して行きましたが、ある所で一休みされたえびす様が、よほどお疲れになったか眠り込んでしまわれ、なかなかお目覚めになりません。困った漁師たちは、恐れ多いとは思いましたが、えびす様のお尻を捻ってお目を覚ましていただき、再び西へ向って進まれたという話も残っています。その御輿を置いて一休みされたといわれている処が、ここより東へ二百米程の札場筋角にある御輿屋跡地(おこしやあとち)といわれているところなのです。この様にして海より甦った蛭児の神は、えびす様としてこの西宮の地にお鎮まりになったのです。
【出典元:えびす宮総本社 西宮神社 公式サイト - 由緒 御鎮座伝説】
何気なく西宮神社にお参りに来ましたが、家に帰って遅々として進まない伊射奈岐神社(大阪府吹田市)のブログを文字に起こしながら、伊射奈岐神社の御祭神 五柱のうちの一柱 蛭子神と繋がりビックリしました。
こういう後から繋がる感じが、何とも面白く、一緒に遊んでもらっているような(←厚かましい?)気分です(^^)
手水舎の反対側に、破損したと思われる可愛い狛犬さん。
案内書きによると、平成七年の阪神淡路大震災で台座から落ちてしまい、破損してしまったようで、元は西宮神社の境内末社の松尾神社の狛犬さんのようです。
さて、煌びやかな拝殿に向かうと大勢の人と雅楽というのでしょうか、笛の音とその他の楽器(←分かりません(^^;)が聞こえてきました。
よく見ると10月16日は御神影 10時半~頒布始祭とあります。
【御神影頒布始祭とは?】
西宮神社の御神影札(おみえふだ)は、江戸時代の寛文3年、戎像神札の版権を幕府より仰せ渡されてより以降、各地に社用係を置いてお札を配る組織を整え、信仰を広めて行きました。
明治以降も講社組織は残り、350年以上を経た今も続いています。
この伝統を確固たる物にすべく、伊勢の神宮に倣い「御神影頒布始祭」を斎行いたします。
【出典元:えびす宮総本社 西宮神社 公式サイト - ご案内: 2020年9月アーカイブ】
全く詳細が分からないままも、せっかくなので遠巻きに音楽と中で行われている祭祀の模様を見させていただきました。
拝殿前の狛犬さん
中で神職の方が頭を深々と下げられると(中央の白装束の方です)、参拝されている方も頭を下げられており、ピンと張りつめた空気が少し離れた私にまで伝わってきます。
神事が終わった後の拝殿から見える本殿です。
実は行きの時点でアクシデントがあり、西宮神社に着いたのは11時。
自宅を早くに出ていたので、アクシデントがなければ御神事が始まる前にはお参りが済んでいたかもしれず、まさに禍を転じて福と為す。
物事をどの方角から見るかによって、いかようにも取れると渦中の時には気付きませんが、終わってから気付きます。
さて、拝殿を後に境内摂社参りです。
右手【火産霊神社】
左手【百太夫神社】
お社後ろの木が立派でした。
【六甲山(むこやま)神社】
廣田神社の境外末社でもあり、奥の院とも言われている六甲山神社。
標高840mの場所にあり、前回は六甲比命神社神社へのお参りの際通り過ぎましたが、いつかはお参りに行きたい神社です。
こちらは遠目からでもひときわ目立つ【神明神社】
お社左手の木が立派です。
その立派な木の左手に【松尾神社】
神明神社、松尾神社一帯の木の状態はとても良く、気持ちの良い場所でした。
橋が架かっているならば、渡らねば。
と思うのは人間だけではないようです。
反対側から鳩もやって来ました。
この子が私が目前まで迫って行ってもまぁ、逃げない(笑)
私とそのまますれ違い、橋をそのまま反対側まで歩いて渡っていました。
その橋を渡りきった場所に【市杵島姫神社】
とくれば、目の前には池。
立派な鯉が沢山泳いでいる中で、一番気になったのがこの子。
右足を急に上げた亀。
バイバイと言われた気分でした(笑)
【伊勢神宮遥拝所】
そばに【宇賀魂神社】
絶対に歩けない斜度の反り橋。
反り橋の目の前は拝殿。
ぐるりと境内を回ってきたようです。
社務所で御朱印と、珍しく気になったお清めの砂をいただきました。
お水とお塩は気になると頂いて帰りますが、お砂が気になったのは初めてです。
使い方は家の土地の四隅に右回りに撒くようで、詳細は、こちらの荒木神社のサイトが分かりやすいです。
さて、長々と駄文を書き綴っておりますが、気になる場所を見つけました。
つづきます。