シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【兵庫】西宮神社の摂社と南宮神社

さて御朱印をいただいて、手水舎裏手が少し気になり散策です。

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【祓所】

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その右手に一風変わったお社がありました。

【庭津火神社】

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由緒書きを見てみると、

社殿がなく塚の形をした封土を拝する古い姿を残した神社で、この神域内守護の神様をお祀りし、荒神様として信仰されている。

とのこと。

 

右手にぐるりと回りこんでみると、裏手はこのように木々が生い茂る別空間。

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中心部分にしめ縄がかかっており、こちらが塚にあたる部分だと思われます。

 

すぐ側に、大きな岩がありました。

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塚に、岩に、木々とくれば古代祭祀場の様相です。

御祭神の奥津彦神、奥津比売神は竈の神様。

以前、京都は八幡市でお参りに行った神社で名前は少し異なりますが、同じだと思われる神様がお祀りされていました。

【京都】木津川沿い石田神社と薬師如来 - シロンプトンでパンとお参りと

 

ちなみに神様のお名前は、於岐津毘子命(おきつひねのみこと)。

 

庭津火神社の名前ですが、庭は塚の部分火は竈の神様、であれば津は何にあたるのでしょうか?

津から連想されるのは水。

意味を調べてみると船着場

 

蛭子神伊邪那岐命伊邪那美命に海に流され、漁師が海に張っていた網にかかり、のちにお祀りされ、西宮神社の御祭神となられます。

船着き場ではないけれども、漁師=船=船着き場

 

無理矢理こじつけた感は否めませんが、気になるお社でした。

 

さて、参道を戻った突き当りに廣田神社の境外摂社 【南宮神社】

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ピンクの前掛けが可愛い狛犬さん。

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よく見ると、お顔のあたりが少し破損しているような・・・。

左足と台座の部分に修復跡が見られます。

 

そして、こちらの狛犬さんは思わず二度見してしまいました。

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足に踏まれたというか、足元でじゃれているミニ狛犬さんはお見かけしますが、一緒に座っているタイプは初めてです。

前掛けもつけてもらっていますねー。

なんだか、得意満面のように見えます(笑)

 

こちらの南宮神社のご朱印西宮神社ではなく、廣田神社の境外摂社の為、廣田神社で頂くことができます。

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南宮神社の由緒書きで気になる箇所がありました。

【南宮神社の由緒書き】

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当社は、西宮市大社町に鎮座する廣田神社の摂社で、「浜南宮」とも称されました。平安時代には都の貴族が参詣し、『梁塵秘抄』には「浜の南宮は如意や宝珠の玉を持ち」と歌われています。

神功皇后が豊浦津で得られたという、廣田神社の宝物「剣珠」は、もと南宮に収められていました。

 

『剣珠』とは?

日本書紀仲哀天皇2年(193)の条に、「神功皇后関門海峡長門豊浦の津に泊まり海中より如意珠(こころままのたま)を得らると見ゆるも是なり」とあり、剣の形の現れたることから、剣珠と称された現存する日本最高最古の如意宝珠です。

八幡大神(應神天皇)・神功皇后に戦勝を授け、高野山を鳴動させた神通の霊宝として著名です。

【出典元:廣田神社 | 御宝物

 

如意宝珠とは、意のままに願いをかなえる宝。

この如意宝珠は、神功皇后三韓征伐の際、戦勝祈願の為に立ち寄った住吉大神から授かった、潮満珠(しおみつのたま)、潮干珠(しおひるのたま)の二つの珠のことらしく、総称して如意宝珠というそうです。

 

潮満珠は潮を満たす珠であり、潮干珠は潮を干かせる珠。

 

三韓征伐の際、どうやってこの如意宝珠を使ったのかというと、

 

 ・新羅の軍船が押し寄せてきたところをまず潮干珠を投げ、潮が干いて水がなくなり新羅の軍船は横に倒れる

 

次に、

 ・潮満珠を投げ水が湧き出たところ、横に倒れていた軍船に水が覆いかぶさり船は沈没

 

新羅の海軍は全滅し、日本は大勝利を得たという伝説だそうです。

 

てっきり、『この戦に勝ちますように!』と願って意のままに願いが叶う珠だと思っていただけに、潮満珠(しおみつのたま)、潮干珠(しおひるのたま)であれば、何もせずとも勝てるわけではなく、やはり知恵と勇気が(愛と勇気だけが友達なのはアンパンマン(笑))先導者には必要なのでしょうね。

 

さて、話しが少しそれ気味ですが御祭神の葉山姫神も気になりました。

どこかで聞いたことのあるお名前だと思えば、以前廣田神社にお参りした際、とても気になった摂社 齋殿(ときどの)神社の御祭神でした。

【兵庫】廣田神社、で瀬織津姫? - シロンプトンでパンとお参りと

 

【齋殿神社 由緒書き】

神功皇后廣田神社御創建の際、皇后の命をうけて、天皇皇大神荒御魂を御心廣田の国に鎮際された最初の斎宮で旧暦4月8日の祭日には歴代の神祇伯白川氏は特に深い関心を有して参拝されたことが伯日記に散見されている。
古くより廣田神社の東北御手洗川岬に鎮座せられたが、亭保12年の還座にあたり当社も境内西山に還座し、明治44年末社松尾神社に合祀せられ更に廣田神社本殿復興に際し、一宇を設け祭祀を厳修することになった。
現在の祭日は5月8日である。

 

天皇皇大神荒御魂とは、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)=瀬織津姫

 

瀬織津姫廣田神社にお祀りされた斎宮が葉山姫命。

その葉山姫命がお祀りされているのが南宮神社。

 

西宮神社(南宮神社)を北上した先には廣田神社

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前回の参拝時には気付きませんでしたが、廣田神社の北から東へ、川沿いに走る道は『みたらし通り』とあります。

この川の名称は御手洗川、別名東川とも。

 

これはあくまでも推測ですが、廣田神社の東に流れる川で東川

西宮神社の摂社 齋殿神社は以前はこの御手洗川の川畔にあったそうで、だとすると御手洗の名称の通り、祓い清めの川なのではなかろうかと。

その祓い清めの神様といえば瀬織津姫

 

あまりスッキリとはまとまらない感じですが、先月からどうもお参りから少し離れつつ、そしてお参りブログが思うように書けません。

 

目に見える方のことがありがたいことに、少しづつ忙しくなってきました。

このことが要因なのかもしれませんが、これも必然の流れなのかもしれず、この一年気付けばお参りに行くように仕向けられていた流れが、少しづつ鈍化しつつあります。

このあたりで少し休憩のようです。

お参りに行く流れとなれば、またその流れがやってくるのでしょう。

 

以前ほどのスピードはありませんが、それでもお参りをやめることはなく、ボチボチと綴ってはいくことと思います。

 

この流れとは別に、どうしても年内に行きたい神社があり、そこは『無理をしてでも!』な感じです。(←自然な流れはどこへ?(笑))

 

こんな取り立ててなんの目新しい情報も、お役に立てる情報もないブログですが、それでも毎日訪れて下さる方がいて、今更ながらにご縁に感謝です☆

 

西宮神社瀬織津姫様を感じるお参りとなりました(^^)

その瀬織津姫様の神社には、どうしてもお礼参りに行きたいところです(笑)