寒い寒いと家に縮こまっていても仕方ありません。
娘はクラブで不在。
主人の発案で、息子と3人近所の阿武山散策へ。
一時期は毎週のようにハイキングという名の元、参拝へと繰り出しておりましたが、子供達も年齢が上がるといつも親と一緒に行動できるというわけでもなく、たまにこうして一緒に出掛けることが出来ると、ちょっと嬉しくなります。
奈佐原古道から阿武山へと続く道へ。
先日の中山寺の奥之院への山道もそうでしたが、やはりお山は楽しい。
久々のハイキングで足元もおぼつかないながらも山頂に到着。
山頂にはテーブルと椅子が何カ所か設えられており、全てボランティアの方々のご尽力の賜物。
『何事にも費用(金)がいります。』の文言に激しく同意。
ホンの気持ちですが募金をしてきました。
何かの足しにして頂ければと思います。
あとでもう一つ別の場所のテーブルも利用させて頂くのですが、そちらのテーブルにもサザンカが一輪置かれており、他のテーブルにはないにもかかわらずなぜかここだけ。
息子と主人と三人で出た言葉は、『これは、いらっしゃい!と言ってくれてるはず。』と、傍から見れば勘違いな出来事に家族三人でしみじみと感謝。
このテーブルでお昼ご飯といきたいところでしたが、腹時計がまだとのことでここから御神木を探しに行くことに。
道中、何カ所か木彫りの像があったのですが、ボランティアの方々の作品なのでしょうか。
それにしても、この方いつもなんだか奇怪な動きをしていますが、本人は全くそんな気はないようで、いつも面白い写真が撮れてしまいます(笑)
さて、御神木はどこにあるのかと歩いていると、もうこの木以外に絶対に考えられないという木に出会いました。
絶対この木!
このあと写真が続きます。
私の興奮と暫しお付き合い下さい(笑)
木に目を奪われ過ぎていて全く気付きませんでしたが、御神木の立札がありました(^^;
いやー。
この根と枝振りの素晴らしさと言ったら、もう言葉にはならないくらいと言いたいところですが、興奮し過ぎてしまって帰りの道中ではいかにこの御神木が素晴らしかったかという話しをメンズ二人は聞かされる羽目に(笑)
どこから撮っても様になって、傍から見れば大差のない写真ですが、私にとってはどれも甲乙つけがたい写真ばかり。
本当に素晴らしかった。
御神木はエノキ。
御神木の近くにあったこちらの木も御神木の佇まい。
向こうに見えるは大阪平野と、一時期足しげく通った六甲山系。
想像以上に素晴らしかった阿武山の御神木。
こんなに近くに、こんなに好みな木があったとは。
これはお正月太り解消も兼ねて、足しげく通わねばなりません。
サザンカベンチに戻って来ました!
さてお昼ご飯。
この日はめちゃくちゃ寒かったこともあり、お湯を持参して、スーパーで買ったカップラーメンとおにぎりでお昼ご飯。
外気温に適応し過ぎたおにぎりが冷たくて、ビックリでした(笑)
さてここからは、せっかくなので藤原鎌足公の墳墓とされている阿武山古墳へ。
阿武山古墳を見るのは初めてな主人。
もっと、こう古墳な感じを想像していただけに、ちょっと面食らっていました(笑)
社会の教科書に出てきた藤原鎌足公のお墓が家から歩いて行ける場所に、それも厳重な囲いもなく見ることが出来るのですから、色んな意味でビックリしますよね。
阿武山古墳を後にし、京大の地震観測所付近に差し掛かったところ、またしてもサザンカベンチに遭遇。
サザンカを見てふと思い出したのが、同じく高槻市にある摂津峡の行者岩へと向かう道中での出来事。
普通に考えれば、『誰かがしたことを、たまたま目にしただけ』のことなのですが、その後、ある方から聞いたお話しで、そうでもないと知りました。
『その人に分かる形で伝えてくれている。』
と考えることも出来、特に私は超現実主義の合理主義(笑)
目に見える事をとても重視する傾向があります。
であれば、私の分かる形は目に見える化。
『私に分かる形で教えてくれているのかもしれない』と考えると、今まで目にしてきたことや知ったことが、また違った意味を帯びてきて、その点と点が繋がっていくことが分かってくると、『目に見えなくとも無い』わけではなく、かえって目に見えないことによって、表面だけに囚われることが少なくなってきたような気がします。
(あくまでも、気がするだけですが(^^;)
下山途中、はるか向こうに見えるは役行者さんの活躍なさった生駒山系。
阿武山古墳は、生駒山系はおろか六甲山系までも見渡すことが出来、当時この土地に墳墓を築かれたことは、見渡す限りの土地を掌握するような意味もあったのではなかろうかと、色々と想像をかき立てられました。
今年の参拝は残すところ年末詣のみ。
私の参拝が加速したきっかけかもしれない神社。
今年も家族と参拝させて頂けることに、感謝です☆