シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪】水無瀬神宮の御神水

雨がしとしと降る中、御神水を頂きに水無瀬神宮へ。

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拝殿の手前、左右に風鈴が飾られています。
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風が吹くとリーンリーンと良い音色。

短冊には願い事が書かれているようです。

 

夏の催しごとのようで、以下水無瀬神宮のHPより抜粋です。

 夏の風物詩、風鈴の音は元々お祓いで使われていました。風に乗ってやってくる災いを祓い健康と幸福を運ぶ音色です。
風鈴の間を通り抜け本殿にお参りしてください。
風鈴の短冊を見てください。風鈴には皆様の感謝の思いが綴られています。
改めて感謝を考えると本当に自分の大事なことに気づくことがあります。
人の書いた感謝の心が自分心を癒すこともあります。自分の感謝が誰かの力になれるときがあります。
感謝の言霊(ことだま)が皆様の力になれるよう願っています。

水無瀬神宮 公式HP

 

水無瀬神宮のHPで風鈴の催しごとを調べて、いつものごとくコピペの流れ作業の予定でしたが、サラッと書かれている文中にとても大切な事が書かれていました。

 

 ・感謝を考えると本当に自分の大事なことに気づくことがある。

 ・人の書いた感謝の心が自分心を癒すこともあります。

 ・自分の感謝が誰かの力になれるときがあります。

 

先日友達と話していて、『本当に必要なものは何か』という話しになり、独身の彼女は『ピアノ』と即答。

 

心置きなくピアノを弾く為に、その環境を整える為に働いているのであって、ピアノを弾きながら最低限食べていけるだけのお金があれば良いとのこと。

音大を出たわけでもなく、ピアノ教室を開いているわけでも、開こうとしているわけでもないのに最近自分の誕生日にグランドピアノを購入したと、それはとても誇らしげに、そして心から満足した顔で語っていました。

そして、根底にあるのは感謝の気持ち

 

『感謝』という言葉を頭に思い浮かべることは簡単で、『感謝』と書くことも、『感謝』と声に出すことも、いともたやすく出来てしまいます。

 

そこに、気持ちが入っていなくとも。

 

ただ、本当に『感謝』があふれ出し、『こういう場面だから感謝を述べねばならない』の義務や、世間体から全く切り離された『本心からくる感謝の気持ち』にはとてつもなく素晴らしいエネルギーがあるような気がします。

そして、その目に見えない感謝のエネルギーは周りをも取り込んで、更に大きな感謝の渦になり、その渦はまた周りを巻き込んで、その様はさながら感謝の台風のよう。

 

逆も然りで、悪しき思いも伝播してしまうことはもちろんです。

となると、やはり自分の身の置き所や、日々当たり前のように感じること、触れるモノ、食べるモノなどは自分にとっての心地良さがとても大切なのではなかろうかと。

 

何だか随分と話しが反れてしまいましたが、御神水を頂いたことをブログにUPしようと思っただけが、予想以上に沢山の気付きに繋がることとなりました。

 

ありがたいです。

そして、こういう場面にはやはり『感謝』という言葉がピタリ!とあてはまります。

 

なぜお参りに行くのか?

そもそも昔から、なぜ神社が好きなのか?

 

いまだもってその問いには明確には答えられませんが、一つあるとしたらこういった『気付き』を後になって頂けることかもしれないと、ふと思いました。

 

お参りしたその場で由緒書きを読んで、その場で実際見て感じて分かるコトも沢山あるのですが、前者は知識、後者は体感。

そして、知識や体感でゴチャゴチャした頭の中をブログで文字に起こすことによって整理整頓して、気付く。

文章にしてみると一応、形にはなっていますね(笑)

 

手水舎の側に和傘が飾られていました。
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和傘の写真をブログに載せるだけのつもりが、意外と長々とつらつら綴ってしまいました(笑)