シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都】玄武神社、惟喬親王の想い

とっても寒いある週末の朝。

娘の滋賀行きへ便乗して私は京都で下車。

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今日の相棒は6段変速、タイヤが細くてとてもよく走る緑のブロンプトン

向った先は、京都駅から北へ堀川通をひたすら走った先。

 

【玄武神社】
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【御祭神】惟喬親王
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前回、六角堂~神泉苑~西院春日神社~西院野々宮神社へお参りに行った際、Googleマップでとても気になった神社です。

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以前、平安神宮から見た四神獣を巡るお参りをしたこともあり、Googleマップで何気なく目にした『玄武』の文字に釘付け。

 

【北】(玄武/船岡山):上賀茂神社

【南】(朱雀/巨椋池):城南宮

【東】(青龍/鴨川):平安神宮

【西】(白虎/山陰道):松尾大社

 

北に玄武神社なるものがあったとは。。。

となると、行かないわけにはいかずのお参りです。

 

さて、境内に戻りまして

 

狛犬さん


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手水舎の水の吐き出し口に注目。

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随分と表面がぼこぼこしていますが、きっと亀ですね。

口の先には巻いた葉を咥えています。
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玄武といえば足の長い亀に蛇が巻き付いた四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の北面の鎮護神。

玄武の玄は黒を意味し、黒は五行説では北方の色とされ水を表すことから水神。

 

となると、こちらの手水舎の亀さんは玄武を表しているのではないかと。

 

【拝殿】
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三輪明神
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三輪といえば、奈良県桜井市大神神社が浮かびます。

そして、やはりというかこちらの三輪明神ですが、大神神社からの御分霊を頂いているようです。

 

毎年4月の第二日曜日に行う玄武やすらい祭は、
奈良県桜井市大神神社(おおみわじんじゃ)の御分霊をいただいた
三輪明神のお祭りです。
鞍馬の火祭太秦の牛祭とともに京都の三大奇祭の一つで、
国の「重要無形民族文化財」の指定を受けています。
4月の春の花が散る時に、悪霊や疫神も同時に飛び散ると云う言い伝えから、鎮花祭の意味合いを持っています
無病息災を願い、お祭りの行列の花傘に入ることによって悪霊、疫病などの疫神はそのまま神社に封じ込めるという謂われもあります。

【出典元:玄武神社を知ってちょうだい | 伝えたい京都、知りたい京都。Kyoto love Kyoto


このあと、社務所御朱印を頂く際に宮司さんから色々とお話しを伺うことになるのですが、京都の三大奇祭の玄武やすらい祭りのお話しも伺うことが出来ました。

 

コロナの影響で2020年度のお祭りは中止されたそうですが、来月4月のお祭りは踊巡業は控えるものの、お祭りの象徴的な花傘は境内に飾られるそうです。

 

・コロナで今まで一度も途絶えたことのなかったお祭りが開催されなくなり、疫病退散のお祭りにも関わらず開催できないもどかしさ。

 

・今出来ることは、流れに抗わず、流れに身を任せること。

 

・何が正しくて、何が正しくないかは分からなく、今出来るコトを今出来る範囲で行っていくこと

 

などなど、朝早くに伺ったので社務所で待たれている方もおらず、沢山お話しをお伺いすることが出来ました。

 

玄武神社のHPはこちらです。

yasurai.org

 

 

さて、境内に戻りまして三輪明神の左手には

【玄武稲荷大神社】
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お社の右手に大きな切り株がありました。
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稲荷神社といえば、傍らには大きな木が存在しているような気がします。

例えば、こんな感じです。

shironpton.hatenablog.com

 

拝殿の左手には、立派な木。
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幹の先は枯れてしまったのでしょうか。
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鉄板のようなもので塞がれている様が痛々しく感じます。
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それにしても立派!
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こちらは手水舎の後方にあった祠。
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柑橘の木と祠の組み合わせは、見ていて朗らかな気分になります(^^)

左の石碑には『御大典記念』と彫られていました。

 

2月限定の御朱印を頂きました。

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こちらの見開きの御朱印

通常版もあるそうですが、月毎に異なる御朱印を1年前から始められたそうで、何か楽しいことが出来ればと宮司さんとそのお友達で考案されたとのこと。

今考えてみたら、1年前といえばコロナが始まった頃。

コロナがきっかけとなったのかもしれませんね。

 

御朱印の絵はてっきり手書きなのかと思っていましたが、消しゴムハンコで鬼と惟喬親王をペタペタと見開き二面に押された後、おもむろにクーピーの入った鉛筆立てから、サササッと色を入れていかれました。

 

これだけでも見ているだけで充分楽しく。

そして、玄武神社の御祭神は惟喬親王なはずなのに、なぜか後ろ姿だけで、それも少しうろたえているような感じが。

正面を向いているのは鬼で、これでは鬼がメインかのような仕上がり(笑)

 

そのことを宮司さんに尋ねると、惟喬親王はとても優しい方のような感じがするのです。と

 

そのお話しを聞いて、全く興味のなかった惟喬親王俄然興味が湧き調べてみました。

 

天安元年(857年)文徳天皇の前で元服して四品に叙せられ、天安2年(858年)14歳で現在の福岡県、大宰権帥に任ぜられる。

その後、大宰帥弾正尹常陸太守・上野太守を歴任する。

貞観14年(872年)病のため出家して素覚と号し、小野(伊勢物語八十三段によると比叡山山麓とあり、近江と大原の説がある)に隠棲した。

その後、山崎・水無瀬にも閑居したといわれる。

それから京都市北区雲ケ畑の岩屋山金峯寺(志明院)に宮を建て移り住む

耕雲入道と名乗り宮を耕雲寺(高雲禅寺)としたともいう。在原業平、紀有常らも親王の元を訪れたという。その後、病に倒れる。死期迫り、御所の川上に当たる金峯寺を避け、さらに北にある小野郷、大森の地へ移り亡くなったという。寛平9年(897年)2月20日薨去。享年54歳。

勅撰歌人として、『古今和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集に6首が採録されている。

 

【出典元:惟喬親王 - Wikipedia

 

山崎・水無瀬の地名が出てきました。

水無瀬といえば大阪府三島郡、天王山の麓にある水無瀬神宮

我が家が毎週お水を汲みに行っている神社です。

それだけですでに親近感(笑)

 

更に文中にある京都市北区雲ケ畑の岩屋山金峯寺(志明院が気になり調べてみました。

 

 ・雲ケ畑(くもがはた)は、京都市北区の鴨川(賀茂川)源流域の名称

 

 ・賀茂川の源流域に沿い広がる雲ケ畑は、近世まで朝廷との結びつきが強固だった平安京造営に際してはこの地の木材が用いられたほか、主殿寮・仙洞御料(せんとうごりょう、上皇の所領地)として、木材や鮎などを始め、端午の節句には菖蒲(しょうぶ)を献上する「菖蒲役」を務めていた。薪炭や鮎などを朝廷に献上する供御人の活動地でもあった。

平安時代前期に、時の権力者の圧力で皇位継承から遠ざけられた惟喬親王が、隠棲して出家した場所としても有名である。雲ケ畑の村人に慕われた彼にまつわる話が数多く伝えられている。

明治中期から大正にかけて「御猟場」(ごりょうば)が設けられるなど、東京奠都の後も皇室とのかかわりを保ち続けてきた。

 

 ・岩屋山金峯寺(志明院)は「岩屋不動」の名で知られる。

「水源地を祈願し祀らなければ、暴れ川である賀茂川は治まらず、都の平穏はない」と、829年(天長6年)に空海により開創され、不動明王が祀られた真言宗の寺院である。歌舞伎『鳴神』の舞台として、また4月下旬に美しく咲くシャクナゲの群生地として有名。

 

【出典元:雲ケ畑 - Wikipedia

 

雲ケ畑は惟喬親王が隠居された土地。

その土地には鴨川の水源があり、その地に住まう集落の方は今でも水を汚さないように生活されている。

その水の清らかな土地に、空海さんが開創された不動明王を祀る岩屋金峯寺

皇室が東京へ遷った後も、皇室との関わりを保ち続けた土地。

その土地で、村人に慕われた惟喬親王の存在。

 

宮司さんの話されていた、惟喬親王のイメージがぼんやりと見えてきたような気がします。

鬼を前にしても、豆を投げることすら躊躇するであろうお人柄。

 

その土地に赴いても、もちろんご本人(惟喬親王がいるわけではありませんが、ここ最近強く感じることは、その土地に消えることなく続く想念のようなものがあるということ。

 

雲ケ畑は鞍馬より更に山奥。

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岩屋山金峯寺(志明院)がとても気になります。

 

岩屋という文字からは、山科区にある岩屋神社が思い起こされ、となると巨石。

shironpton.hatenablog.com

 

こうやって、行く先々で次に繋がる場所が提示され、いつになるかは分かりませんが岩屋山もいずれ。

 

玄武神社から、随分と話が脱線しましたが、この一見脱線のようなことが脱線ではなく必要な事だということに、うっすらですが気付き始めてきました。

 

自分にとって必要な事は、必要なタイミングで必ず起こり、大事なのはそのことに気付けるかどうか。

 

誰も教えてくれないのです。

自分で気付かなければ。

 

玄武神社という、少し厳めしい神社の名前。

そして北面の鎮護神という役割からは真逆のほんわかと暖かい感じ。

その、何とも暖かい感じはもちろん玄武神社にお仕えする宮司さんにも受け継がれているような感じがしました。

 

御朱印を受け取る際、御朱印の上に置かれていたものは、
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ビスコとチョコレート❤

 

御朱印を頂いてこのような事をして頂いたのは初めてで、なんだか子供の頃に戻ったかのよう。

 

帰り際、『また良かったらお参りに来て下さいね~。』の声に、宮司さんと惟喬親王の暖かさを感じた良き神社でした。

 

さて、まだまだ時間はあります。

とりあえず、このまま北上!

 

つづきます。