魚吹八幡神社を後にし、高砂市にある生石神社へとやって来ました。
一時期、磐座巡りになっているようなお参りの時期があり、その際に主人と二人一度は目にしてみたいと話していた日本三奇岩の生石神社の御神体の岩。
拝殿を抜けると、もう目の前にはご神体の岩。
意地悪な私は、先頭を行く息子がぽちゃんとハマるのではないかと少し期待(笑)
恐る恐る進んでいるだけあって、無事に裏側にたどり着いていました(笑)
御神体の下部にある水の流れがどうなっているのかは分かりませんが、お世辞にも透明度の高いお水とは言えない状況。
所々泳いでいる金魚が可愛い。
水の上に浮いているように見えますが、実際は大きな岩山の周りをくり抜いてできた御神体。
木彫りの仏さまは彫るのではなく、仏様を彫り出すと耳にしたことがありますが、生石神社の御神体の岩も、後の写真で分かりますがこの特異な形は掘り起されたのかもしれません。
御神体の後方の左右にはお社がお祀りされていました。
こんな高さの岩の中に御神体の岩があるのです。
宝殿駅のロータリーに御神体と同様のレプリカが飾られておりましたが、凹凸で言うところの凸を右に90度倒したような形で、何とも特異な形。
今まで様々な磐座を目にしてきましたが、土台に水があること、自然な形では無いことが異質な感じを受けました。
こちらの石にお鎮まりになられているのは御祭神の大穴牟遅命と少毘古那命の二神。
国を譲られた出雲の神様。
〇生石神社の創建について〇
御肇國(はつくにしらす)天皇と称えられていた第10代崇神天皇の御代に、日本全土に悪疫が流行して人民死滅の危機になりました。ある夜二神が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を齋き奉らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあったので、此処に生石神社が創建されました。以来悪疫も終息して天下泰平となりました。
【出典元:御由緒 | 日本三奇 石乃宝殿 生石神社】
このコロナ禍と同様のことが崇神天皇の御代にもあり、大穴牟遅命と少毘古那命をお祀りすることで天下泰平となったと由緒書きにはあります。
ウィルスは、肉眼では見えないもの。
祈りも神様も、肉眼では見えないもの。
ただ、見えないからと言って『ない』わけではなく、見えなくともどちらも『ある』もの。
色々と気付かされることが沢山あります。
さて、こちらの御神体は上部からも拝見することが出来、石から切り出された階段を上がっていくと、
このように上部からご神体を見渡すことが出来ます。
張り切って着物でこの斜面を登っておりますが、さすがにそんな変わり種は私だけでした(^^;
生石神社のある辺りは、採石場と思われる場所があり右手の岩肌が見えた山と言い、お山というより生石神社を含めて岩山。
さながら、この一帯の岩山含めて神様のお住まいになられる石の宝殿のよう。
御神体の上部をぐるりと周り、戻ってきた場所に『霊石』と立札のある大きな岩がありました。
立札によると、石の宝殿の分岩とあり、全身の力を込めて押すと神様より偉大なる力を授けていただけるとのこと。
岩に触れた手で悪い所を撫でると良いそうです。
『こんなん絶対に動かせへんわ』
と息子はブータレながら岩を押した手で頭を撫でていましたが、誰も動かせとは書いていません(笑)
私も岩に触れて押してみましたがビクともせず、頭では分かっていたことですがいつか動かせる日が来るのでしょうか。
拝殿右手に摂社がありましたが、声を出されて熱心にお願いされている方がいらっしゃいましたので写真は少し遠慮しました。
太陽も西側に移動し、そろそろお暇の時間です。
魚吹八幡神社で頂いた勾玉の御守り。
生石神社の御朱印にも勾玉。
もう一つの勾玉を反転させれば、陰陽太極図。
片方だけでは分からない世界。
どちらも体感して一つとなる。
丸、輪、和。
知識だけではどうしようもなく、こうして体感して分かることが沢山あります。
久し振りの家族でのお参り。
自身のルーツを知り、良きお参りとなりました。